その①の続き。
諦念(resignation)
鷗外を理解する際に外せない概念が「諦念」。英語ではresignation。
この概念を理解するためには、「妄想」、「かのように」は必読だ。
この諦念という解釈をずっと考えているのだが、積極的に捉えるか、消極的に捉えるか、で意味が変わってくるような気がする。
消極的に捉えること:鷗外は陸軍という極めて保守的な組織の中枢にあり、山縣有朋の庇護を受け出世してきたことは事実である。
そして、その地位は守りたいので、大っぴらな抵抗ではなく、秘かな抵抗として、小説を通じて「曖昧」な形で自らの考えを伝え、自己矛盾を解消している、という考え。
積極的に捉えること:鷗外は相当に自信家だ。そして、自らが国家を支えている、という強い自負があったはずだ。(国家を支える意識、という観点では「舞姫」につながる)
鷗外は、西洋の合理主義的な考え、自由主義的な考えが日本の社会に必要だと思っていたに違いないが、それを組織の中枢に入ることで実現することが最も効果的、という冷静な判断があったと思う。
山縣有朋よりも高みを見ていた。
大逆事件を暗に批判した「沈黙の塔」からも、社会的な地位維持のリスクを負っていたことは想像がつくし(消極的な解釈にはなり得ない)、鷗外の有名な遺言「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」からも、彼が地位や名誉に頓着する人物ではなかったことがわかる。
脱線するが、この遺言を肌で感じるべく、昨年の夏に三鷹の永明寺に鷗外の墓参りに訪れた。ちなみに、鷗外の墓の前に太宰治の墓であることはよく知られている。
閑話休題。
現在でも「諦念」を以って人生を送っている人は大勢いるのではないか。
自分もその一人で、社会不義、不合理、矛盾をなんとか自分の中で消化し、折り合いをつけている。
「かのように」として物事を捉えている自分がいる。
なぜ鷗外作品を読むのか?
”積極的な「諦念」を持ちなさい”、と励まされている自分を感じるため、そこにロールモデルを見い出すためかもしれない。
「渋江抽斎」
「渋江抽斎」については、以前、Noteにまとめたこともあり、本著より、「渋江抽斎」に関する内容を引用してみたい。
前述の「諦念」との一貫性を感じることができる。
鷗外の「諦念」とは、自分の内面は誰もが理解できない、理解する必要がない、というメッセージも含まれるのではないか。
それは反自然主義、という小説家としての立場だけでなく、生き様として、先に触れた通り、”自分は「林林太郎」以上・以下でもない、内面を理解できるのは自分一人でしかない”、という達観でもあるのだろう。