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日記「19XX年6月30日」

私には中学生から下の記憶が無い。気がついたら、私はおばあちゃんの家から近くの高校に通っていた。毎日、徒歩30分の道を、大雨の日も大雪の日も歩き通した。もう高校3年生。秋には大学の推薦入試がやってくる。私は道内の医科大学に進むつもり。“医科”と言っても医者になる訳じゃない。看護の方。でも、なんで私が看護に行くことにしたんだっけ? 私が看護師になんか向いてないって、自分でよく分かってる。死にたいって、いつも思ってる。手首をカッターで切ったこともある。赤い血がすーっと流れて、見ていてとても綺麗だった。そんな私が、看護師に? 笑っちゃうよね。

最近、よく同じ夢を見るんだ。誰かにずっと追いかけられる夢。ただそれだけなんだけど、なんか分かるの、最後には殺されるんだって。いつも、私の靴の裏が剥がれて起きるの。靴がいくつあっても足りないわ。

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そんなことを考えているうちに、お腹が痛くなってきた。
「先生! お腹痛いので保健室行ってきます」
いつものこと。国語の石塚の時間になるとお腹が痛くなるのだ。隣で保健委員のナツが立ち上がった。
「じゃあ俺、付き添ってきます」
これもいつものこと。保健室まで付き添うのは、保健委員のナツの役目。たった3分廊下をお互い無言で歩くだけだけれど、私にはこの時間が心地よくて、そして愛おしかった。
「ありがとう、ここで大丈夫」
ナツは気をつけてとひと言残して帰っていった。
「あら、うみさん! また石塚先生腹痛?」
山田先生、腹痛にそんな名前つけないでくれ。からかいながらも、山田先生はあたたかかった。山田先生と話しているうちにいつも自然と痛みは消えていく。

保健室のベッドに横になりながら、私が何者なのかについて考えていた。どうして中学生から下の記憶が無いのだろう。あるのは、最近ずっと見る夢と、『名古屋』という強い土地のイメージだけだ。愛知県の知り合いなんていない。おばあちゃんが千葉に住んでいたのは知っているけれど。気がついたら、私は『名古屋』が気になっていたのだ。次の夏休み、行ってみるしかないか。

家に帰ると、私はおばあちゃんに聞いてみた。
「ねぇ、おばあちゃん、名古屋に知り合いっている?」
おばあちゃんは明らかに一瞬表情を曇らせた。そして元のにこやかな顔に戻って言った。
「いいや。千葉にはいるけれど、名古屋は知らないね」
「ふうん」
私はそれ以上追求しなかった。自慢じゃないが、私は勘がいいし、一瞬の表情の曇を見逃さなかった。私が中学生から下の記憶が無いことと『名古屋』が関係している気がした。

よし、夏休みは名古屋旅行に行こう。何故か私は、その夜あの夢を見なかった。

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