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夏の落としもの。

夏休み。僕は自由研究に取りかかろうとしていた。
読書感想文は苦手だけど、自由研究は大好きだ。
なんたって、名前のとおり自由に好きなものを研究できるから。僕は決められたことをするのがちょっぴり苦手だった。

そんな僕だけれど、好きなものはたくさんある。
透き通る空。
ふわふわの綿飴みたいな雲。
その間を突き抜ける白い飛行機。
夕焼けに燃えるコンクリート。
そよ風に草花が歌いながらゆらめく姿。
それから、そんな景色たちに、時間を忘れて見とれる僕を、笑顔で迎えに来てくれるおかあさん。
僕は、走るのがとても遅い。
めまぐるしく変わっていく時間が苦しくて、駆け足で通り過ぎるみんなに追いつけない。

でも、よく立ち止まってしまう僕だから、ひとつひとつの景色の声が聞こえてくる。
そう教えてくれたのは、夏の日差しで熱を持った僕の頭に麦わら帽子を被せてくれたおかあさんだった。

大好きなものを、ずっと忘れないように残しておきたい。
だから、今年は“夏”を研究することにした。

夏は不思議な季節だ。
よっつの季節の中で、いちばん眩しく地球を照らすのに、いつの間にか目の前からいなくなってしまって、なんの前触れもなく秋を連れてくる。
あんなにも鮮やかなのに、僕の苦手な全力疾走で季節の間を駆け抜けていく。
僕の苦手なことをらくらくこなせる“夏”のことを、どうして僕は好きなのだろう。
そのことが不思議でたまらなくて、ついに今年、僕は勇気をだして自由研究のテーマに選んでみた。

夏休みの間、僕は近所を歩き回った。
家を出発するとき、おかあさんがくれた水筒とスケッチブックが、今日の僕の相棒だ。

真夏の暑い昼下がりに、誰もいないあぜ道を歩いていると、ふと地面に茶色い木の実が落ちているのを見つけた。
近づいてみると、それは木の実じゃなくて、セミの亡骸だった。
その足は、しっかりと閉じられている。
心はもう、あの飛行機雲の向こうに旅立ったのだろう。
どんな歌声をしていたのかもわからないその子のからだを拾って、道の隅にもう一度寝かせた。
手を合わせて瞼を閉じると、世界から音が消える。
次の瞬間、ジィッ!と鋭い声が響いた。
僕は驚いて、尻もちをついた。
ぱちぱちと目をこらすと、すぐそばにそびえる木の根元に、またセミが横たわっている。

揺れる蜃気楼の奥に、まだたくさんの、誰にも見つけられていない亡骸の気配がして、僕は胸が苦しくなった。
そんな僕に語りかけるように、夏の日差しは暑く翳りはじめる。

夏は短い。
セミの命はもっと儚い。
カゲロウの寿命は、もっともっとはやい。
夏に生きるものたちは、世界があくびをしている間に、みんな手の届かないところへいってしまう。

じわり、じわりと汗が溢れてくる。
視界が揺れて、頭がぐらぐらと沸騰している。

空を見上げれば、僕を照りつける太陽と目が合う。
白い入道雲が、僕の心を遠くへ誘う。
止まらない汗が、僕を夏の生き物にさせようとしている。

ああ、そうか。

夏は短い。
セミの命はもっと儚い。
カゲロウの寿命は、もっともっとはやい。
でも、それにはきっと理由がある。

夏は、ひとりぼっちで去りたくないんだ。
だから、季節のかみさまは、ひときわ短い夏のために、共にいける友をたくさん夏の生き物にしたんだ。

僕もこのまま、夏の生き物になってしまうのだろうか。
もう、おかあさんには会えないのだろうか。夏が大好きだった心を置いて、僕は夏と共に去りゆくのだろうか。


「ーーちゃん、探したよ」

その声に、僕の命は真夏の空から体へと戻ってきた。
振りかえれば、息をきらせたおかあさんが、僕を力強く抱き締めていた。
おかあさん、と名前を呼ぼうとして、大きく体がよろめく。
ガラン、と音がする。
しゃがんでいたせいで、おかあさんから貰った水筒がコンクリートに擦れていた。

「おかあさん、僕、まだ夏をきらいになりたくないよ」

そう言うと、おかあさんはかすかに笑いながら、水筒のふたを開けた。

「じゃあ、また来年も夏と会えるようにしなきゃね」

おかあさんは水筒のコップいっぱいに麦茶を注いだあと、僕の両手にそっと持たせてくれた。
一口飲むと、喉が渇いていたことを思い出して、ひといきに中身を飲み干す。
そんな僕をみて、おかあさんはまた微笑んでから、いつものように僕に麦わら帽子をかぶせてくれた。

手を繋いで、ゆっくりと家を目指す。

自由研究の答えは、スケッチブックには残せていない。
去り際の夏が、僕の心にだけ、そっと落とし物をしていった。

それは眩しく輝く“夏”が見た寂しさと、小さな友人たちとの思い出。

遠くでひぐらしが、夏を見送るように優しく鳴いている。

夏の暑い日差しは、もうすっかり涼しくなっている。

夏の最後に吹いた風は、僕の流した汗を優しく拭ってくれた。
やっぱり、夏は新緑のように優しくて、大好きだ。
来年の夏は、今よりもっと好きになれる気がして、僕の心の羽根はセミのように高く泣き声を上げた。

さあ。もうすぐ、秋がやってくる。







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