生まれ故郷・長崎市~長崎県への思い

40歳を過ぎたあたりからでしょうか?徐々に芽生え始めていた”郷土愛”が一層強くなってきたのって。

語学学校へ通うため渡米したのが30歳の頃、その後アメリカでの就職を果たし社会人としての人生を歩んでいたのですが、ちょうど40歳を迎える前後の転職時に合法的にアメリカ滞在するための何らかのビザをキープする事ができず、一旦帰国。長崎市の両親宅で約2年を過ごしましたが、まさしくその期間に地元への思いがより一層強くなったと思います。

ちなみに・・・

(1)高校卒業までの18年間:長いものには巻かれろ!?的発想で、周囲の同級生の大半がそうだたように長崎大学への進学を第1志望にしてはいたものの、心の中では地元を離れたくて仕方がなかった時代

(2)大学進学~アメリカへの語学留学決意までの約10年間:引き続き地元に対しそこまでの郷土愛は育まれておらず

(3)渡米準備のため福岡市の旅行会社を退職、長崎市の両親宅へ戻っていた約2年間:たまたま長崎市の観光復興に関する仕事を半年間したことにより、”将来的に長崎(市)の観光に貢献したい!!”という気持ちが芽生える

(4)渡米後~ビザの関係で一時帰国を余儀なくされるまでの約10年間(30代):外から客観的に地元(広義に日本とも言える)を眺める事により、それまでネガティブな面ばかりが目についていたところが、ポジティブな面がいろいろ目につくようになってきた

(5)長崎市へ一時帰国していた約2年間:(4)の理由により地元に対しよりポジティブなメンタリティで物事を捉え生活する事ができ、それまで長期間音信不通にしていた友人知人との関係の再構築、新たな交友関係の構築、そして新たな発見が多数できた

(6)大学院進学を目的としたビザが取れ再渡米に成功後現在までの約11年間:地元への貢献策として、主に長崎へのインバウンド観光に関しどのようなアプローチが有効か?試行錯誤しながらぼちぼち種まき

・・・といった感じの変遷を辿って<郷土愛/地元への思い>が熟成されてきたと言えます。

また、これは<郷土愛=郷土への貢献>という思いに変換され、『じゃあどのように?』、という自問自答で得られた答えが、アメリカで暮らしていく中でより多くの外国人観光客、特に欧米系個人客を送り込む、<インバウンド観光を通じた貢献>、に行きついたと言えます。

そんなこんなで、パンデミック開始前後からこれまで自分の頭の中だけで温めてきた構想を文字に起こすようにしたり、周囲の人達に伝えるようにしたり、実際にアクションを起こすようにしたり・・・etc・・・自分自身が動く事によりさまざまな突破口が見えてきているのは嬉しい限りです。

そしてつい先日54歳を迎えた現在、そのぼちぼちまいてきた種が芽を出し、徐々にではありますが順調に育ってきてるように思います。

併せて、両親が高齢になってきている事が最大の理由ではありますが、この”インバウンド観光による貢献”を推進すべくなるべく頻繁に一時帰国し、長崎だけではなく東京や大阪などにも滞在しさまざまな活動をするようにしています。

その一環で、つい先日も長崎と東京に滞在し活動しましたが、双方の滞在において新たな発見や進展があった事、これまた嬉しい限りです。

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