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不屈の精神 


まずはじめに 

この前の取材で自分の職歴について聞かれて、
記事を読んで頂いた方は働きながら
サッカーをしていた事はご存知だと思うので、
異色のキャリアについて深く掘り下げて
話していこうと思う。


働きながらサッカーをしてる選手や進路で悩んでる人の、夢を目指すきっかけにでもなればと思います。

人生においての決断


大学4年目、学生サッカー最後の年。
試合出場時間は0分。
公式戦に一度も出場する事はなかった。
怪我とかではない。実力不足。


でも、練習で手を抜いたことは一度もない。
GKだけれど毎週オフ明けに行われる走りのトレーニングでは、毎回チーム全員を1周以上は差をつけていた。悔しくて仕方なかった。
練習が終わっても自主練は毎日やっていた。
しかし、チャンスは来なかった。
ずっとベンチから試合を見ていた。
チームを鼓舞することが自分の仕事だった。

インカレ決勝
学生サッカー最後の試合。


季節は寒くなり冬になろうとしていて、
進路の選択が迫っていた。

サッカーを続けるのかそれとも就職か?

社会人サッカーからプロを目指すのか。

大学卒業後は公務員としてサッカーは趣味程度で
ずっと安定して暮らす選択肢もあった。

俺は働きながらサッカーをしてプロを目指す決断をした。

理由は簡単。
幼い頃からの夢を諦めたくなかった。
いつも応援してくれる両親や兄弟の為にも
夢を叶えたかった。

大変な生活になるのを覚悟で
サッカーを続ける選択をしたのを覚えている。


プロでもサッカーだけで生活するのは狭きモノ。どれだけ努力をしてもプロになれる保証も無い。もしプロになれなければ社会人としてのスタートが遅くなるリスクもあった。

大学卒業後はジュニア時代に過ごした、
JFLの横河武蔵野FCに入団する事になった。

朝から夕方まで小学校の給食を作る仕事をして
夜は練習という生活。

サッカーでは給料がもらえないアマチュア契約だった。
周りは就職してる人が多く、会社員になった同期の暮らしは旅行に行ったり、車を買う人もいたり輝いて見えた。

だけど、自分自身で決めた道に後悔は無かった。
その道を正解にする為に努力しようと決めた。

JFL/横河武蔵野FC

タイムリミットを設ける

武蔵野で1年プレーした後にJリーグ参入を目指してる福山シティFCに移籍する決断をした。
武蔵野がJリーグ参入を目指してなかったことも移籍の一つの理由にあった。

周りからは当然驚かれた。

それもそのはず。JFLから2つカテゴリを落として当時広島県1部リーグに所属するクラブへの移籍だったから。

ただの移籍ではなく自分の中で覚悟を決めた移籍だった。
福山に移籍したのが自分の人生におけるターニングポイントだったのかもしれない。

その理由は福山に移籍をして3年後にJリーグのピッチに立てないなら引退する覚悟で移籍の決断をしたから。
(当時県リーグから通年で昇格できれば3年以内にJ3でプレーできる事になる)

自分の中でサッカーを続けるリミットを決めた。価値観は人それぞれで自分はいつまでも働きながらサッカーをする生活はやめようと考えていた。
だから全てをサッカーに懸けて打ち込むことができた。
これだけやってプロになれなかったら、後悔なく胸を張って引退できるくらいの気持ちで毎日過ごしていた。

1年目は順当に地域リーグに昇格を果たしたが、
2年目の地決(JFL昇格戦)で敗退が決まり
昇格は無くなった。
仮に来年昇格できたとしてもJFL。
移籍した当初に決めていたJリーグには届かない。
敗退が決まった後にクラブとの面談があった。
面談が終わり帰宅後、頭の中を整理して自分の夢から逆算してやるべき事を明確にした。
契約延長のオファーを断りチームを探す旨をクラブに伝えた。

数日後、自分のプレー映像を見たY.S.C.C.横浜
から練習参加依頼の連絡が来た。
実際に送った福山在籍時のプレー映像

12月の5〜8日の練習に参加することになり、
クラブのファン感後にすぐに横浜へと向かった。

この数日に勝負を懸けるしかなかった。
もしダメなら引退する考えもあった。

練習参加から1週間が経ちY.S.C.C.横浜から
正式なオファーがあり無事に移籍が決まった。

地決敗退が決まった試合
働きながらサッカーをしていた時の
タイムスケジュール。

プロ1年目

Y.S.C.C.横浜では前所属がプロではないため、
サッカーだけで生活できない契約だったため、
最初は働きながらの生活を送った。
そんな中だったけれど1年間、プロサッカー選手として這い上がる為に毎日サッカーのことだけを考え努力しピッチに立ち続けた。

自分がプロの世界で生き残り這い上がることだけを考えた。

「自分の武器を徹底的に磨き勝負する」

自分の出した答えだった。

人は誰もが1日24時間平等に与えられている。
俺は1日たった2時間の練習でそこまで差は生まれないと思うけれど、それ以外の22時間の使い方が大きな差になると思っている。
もちろん練習の2時間は高い集中力でこだわりを持って取り組む。細かい事を意識して課題と向き合いクリアしていくことの繰り返し。

ちなみに左右遜色なくフィードやコントロールできるのは福山での2年間にある。

少し福山時代の話に戻るが誰にも言ってなかったけれど、練習中に利き足を一切使わずに逆足のみでプレーしていた期間もあった。
自分の中で制限を設けてプレーしていた。
逆足で効果的なパスを出すには、
ボールを受ける前にどこにポジションを取り、
どう身体の向きを作り、 
どうコントロールすれば良いのか。など...
1日2時間の限られた練習時間の中でも工夫して
武器を磨く努力を黙々とやり続けた。
プレーの選択肢は一気に広がった。
それ以外にも意識的に取り組んでいた事は沢山あった。

ではピッチ外でどうやって武器を磨くか?

家で過ごす時間、遠征の移動時間、ひたすらサッカーを観てビルドアップ、シュートストップやクロス対応を勉強した。
特に武器であるビルドアップはJリーグで通用させるために徹底的に取り組んだ。
1日2〜3試合観る時もあった。映像を何度も巻き戻して細かく分析した。
どうやってボールを前進させるか?
どこにポジションを取れば効果的か?
身長が低い自分はどうすればこのボールを防げるのか?

ipadに入ってるアプリ。
サッカーを見るだけのツール。
7歳から20年近く書き続けているサッカーノート
今年で15冊目。
多くの指導者・チームメイトからの言葉、
当時の課題や振り返りが細かく書かれている大切なノート


これ以外にも筋トレの質と量、食事の質と量、
タイミングを考えて毎日取り組みプロになってからの3ヶ月で6kg筋肉量を増やした。
ちなみにここ3年近く体脂肪率は5%前後。
オフの日も、試合後もジムで筋トレをして、
黙々と自分の目標に向かってやっていた。
当たり負けしない身体をつくり、
怪我をせずに戦い抜くために。

昨シーズン終盤の身体の状態
試合後の深夜に誰もいないジムで筋トレ


キーパーは一つしかない特殊なポジションで自分が怪我でプレー出来なくなれば、他の選手にチャンスを与えることになる。
だから肉体改造して身体の土台を作ることにした。
それでも、昨年の夏に肋骨を2本骨折した。
だけど誰にも言うことなく試合に出続けた。
痛みを隠して淡々とプレーした。

飲みや遊びの誘いを断り友達も減った。
実家も近かったけれど、シーズン中は一度も帰らずにサッカーと向き合い続けた。

頭がおかしくなるくらいサッカーのことだけを
考えて毎日過ごしていた。
少しずつピッチで成長を実感できるようになり、プロ1年目だった昨シーズンはリーグ戦37試合に出場して自分なりに手応えを感じる事ができた。


1年目のパフォーマンスが評価されたこともあって、翌年からはサッカーだけで生活できる契約に変わった。ただ、契約更新のコメントでも口にしたけど、上のカテゴリで勝負したかったのが本心だった。

ビルドアップの数字がデータサイトで評価された。
2023年ホーム最終戦
最終戦の後に仲の良い先輩たちと。

そして札幌へ


冬の移籍マーケットが締まるのが
2024年3月27日の正午。

2024年3月22日に北海道コンサドーレ札幌から正式なオファーが届いたと代理人から連絡があった。

「札幌でプレーしたい」

自分の決断に迷いはなかった。

シーズン途中での移籍、ましては5日後にはマーケットが締まるタイミング。
クラブに多大な迷惑をかけるのは承知の上だった。


「この数年間多くのものを犠牲にして、全てをサッカーに懸けてきて、ようやくチャンスをつかむ事が出来た。だから挑戦させて下さい。」

社長と強化部に直接想いを伝えた。

倉貫監督には
「移籍させて下さい」と自分から頭を下げた。

監督から笑いながら「止める訳ないやろ」
と言われて泣いたのを覚えている。

23日の夜に口頭合意で正式に移籍が決まった。

24日が最後の試合だった。
勝って終わりたかった。お世話になったクラブへの感謝を結果で示したかった。

25日にスーツケース1つ持って札幌へと旅立ち、
翌日チームに合流した。

ガイナーレ鳥取戦
Y.S.C.C.横浜での最後の試合
最後に失点して同点に追いつかれ試合終了。


札幌に向かう飛行機でこれまでのサッカー人生について少し考えた。

J3の時は毎日のようには働いて無かったけれど、それでもアウェイゲームの移動、試合翌日にリカバリーが終わってから仕事だったり、リカバリーで疲労を落としても仕事で疲労が溜まったり、そんな環境の中でトップトップでプレーする為にコツコツと自分と向き合い、休みたいと思う弱い自分を殺して、妥協せずに毎日サッカーにエネルギーと時間を費やしてきた。

大学卒業後からずっと働きながらサッカーをして体力的にも精神的にも本当に苦しかった時もあったけれど、いつも職場のみんながチームの結果がどうであれ暖かく応援してくれていたし、それが本当に力になっていたと思う。どの職場でもいつも笑って仕事をしていた記憶があるし、武蔵野や福山、横浜でお世話になった職場へたまに挨拶に行けば喜んで迎えてくれるし、たくさん支えてもらったなと思う。それに普通に仕事が楽しかった。疲れるけれど行きたくないと思った事はなかった。いつも良くしてもらったし自分の周りに居る人は良い人しか居ない。自分は人との巡り合わせに本当に恵まれてると思う。

毎日笑いながら仕事をしていた程、
どれも本当に最高の職場だったと思う。


だからサッカー以外の仕事で繋がった人たちの為にも頑張ろうって思うし、活躍してる姿を見せるのが1番の恩返しになると思っている。

この日はマリノスユースの食事作り
SundayMondaykitchenで
お世話になったアッコさん
元々はコンサドーレの寮母さん


ここからが勝負。


自分にとってはサッカーだけで生活ができるのは当たり前ではない。

今では練習着だってスタッフが洗濯をしてくれて、クラブハウスにはトレーニングジム、シャワー、風呂、水風呂、サウナがあり、ケアや治療を受けたければすぐに受けられる。
天然芝の練習場、芝の下にはヒーターが備わっていて、雪を溶かして3月でも練習ができる環境がある。

練習が終わればありったけの時間をサッカーや
身体の為に使う事ができる幸せ。

札幌ドームの雰囲気、平日の練習にも多くのファンやサポーターが見に来てくれている。

試合に出れない悔しさはもちろんあるけれど、札幌に来てこんなに素晴らしい環境の中で、毎日大好きなサッカーができる事が嬉しくて楽しくて本当に幸せで仕方ない。

自分を獲得してくれた札幌には本当に感謝しかない。
だからこそ、チームの力になりたいし、ピッチで、プレーで、結果で恩返しをしなければいけないと思ってる。昔から試合に出る出ないに関わらず、やるべき事やモチベーションは全く変わらないし、コツコツと準備をして後悔のない1日を積み重ねるだけ。


全てはプロサッカー選手として結果を残す為に。



札幌に来て多くの時間ができて、誘惑はたくさんあるけれども、遊びなんて興味は無いし、サッカーの楽しさに勝るものは26年間生きてきて出会った事がない。
俺は才能がある方ではないから、遊んでいたらプロになれず、サッカー人生は終わってたと思う。

多くのものを犠牲してやっとここまできた。

もし才能があるとすれば、
どんな時も努力を続けられる事くらい。

ピッチに立って成長を感じる瞬間やスタジアムの歓声、シュートを止めた瞬間、自分のフィードから決定機が生まれた瞬間の喜びや楽しさ、あのゾクゾク感が堪らない。
その瞬間を多く味わうために死ぬ程努力できる。
全てをサッカーに懸けられる。
自分がサッカーを続けたいと思う理由はそれ。


周りからはJ1凄いねとか言われるけど、
まだピッチにも立ててないしJ1で試合に出れずに
消えていく選手はたくさんいる。
危機感しかない。常に上には上がいる。
ここからが本当に勝負だし、チャンスがきた時にモノにする為の準備をし続けて、自分自身と向き合うだけ。
ミシャの最終兵器になる。



まだ何も成し遂げて無いし、
ここで浮かれてたらあっという間に消えていく。


J1で結果を残す為に、
自分を応援してくれる全ての人のために
粉骨砕身の思いで努力する。

環境なんて関係ない。
どん底を経験してるから胸を張って言える。
どれだけ自分の夢に対して覚悟を持ち
弱い自分に打ち勝ち続けることができるか。


努力次第で道は切り拓けるということを
サッカー人生を懸けて証明していく。


自分の道は自分で切り拓く。



俺のサッカー人生はまだまだこれから。

さぁ今日も頑張ろうか。





最後にこれまでの仕事の写真と
オフシーズンのトレーニング仲間との写真を少し。




横河時代の職場、小学校の給食を作り。
多分右奥の緑色のエプロンが自分。
福山のイタリアンLUONTO
LUONTOでの勤務中
慣れないスーツで仕事中
お世話になった山陽不動産
景勝館での写真が無いから
勤務中に撮った鞆の浦
横浜の関内で週に1度働かせてもらってた
"あいおい食堂”
食材にこだわった健康的な美味しい定食が
食べられるので是非!
ヴェルディユースの時にお世話になった
冨樫さんがマリノスユースの監督になり
レストランでばったり再会した時の写真。
アミーゴスキャンプ
オフ期間は毎日2部練か3部練
オフシーズン毎日高め合ったGK仲間
元旦8時からトレーニング
Goal Keeper Project
GKクリニック開催
GKクリニック②
オフ期間ほぼ毎日一緒に過ごしてる幼馴染の
井上潮音と2人宮古島でトレーニング。





こんなの極一部にしか過ぎないけど、
人生濃いなー笑 


最後までありがとうございました。



変わらずサッカーに全てを懸けて頑張ります。

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