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新薬と六本木ヒルズ

コロナ禍にあって僕が思い出すのは、昔サラリーマン時代に携わったとある新薬の仕事だ。
その新薬は今では誰もが知っているあの有名な薬。
病と闘う未知の薬に伸るか反るか、あの時の僕は。

大阪の封筒メーカーの営業マンだった僕は、転勤して東京勤務となっていた。年齢は20代後半に差し掛かり、縁もゆかりもない土地で、関西弁は直せないまま。

他人の心を動かすのは、必死に頑張る自分の姿だ。上から指示するだけのリーダーに、僕は向いていない。
いつでも泥臭く、かっこ悪く動き回る。誰かが助けてくれようとしたら、甘んじてその救いの手を取る。その時にビジネスが化学反応を起こし、何倍にも膨らむ。

こんな事があった。

とある製薬会社が世界を変えるような新薬を開発した。その新薬に関わる封筒を作るために、工場の稼働スケジュールを大幅に割いてほしいという話が僕の元に舞い込んだ。競合他社は「よく分からない薬のために工場の日程を押さえるのはハイリスクだ」と考えた。
しかし僕は自社の工場責任者に頼み込んだ。「星田君の頼みだったら」と英断してくれた。
そして新薬は見事に売れた。その新薬に関わる封筒製造印刷の仕事が大きな利益をもたらした。
新薬の名前は「タミフル」だった。

さらにその経緯を聞きつけた僕の顧客がさらに仕事を紹介してくれた。「今度、六本木ヒルズっていう新しいビルが出来る。そこに将来性のある企業が入るから、その企業の仕事を受けてみないか。」という紹介だった。もちろん受けた。その会社は「楽天」と「ライブドア」だった。

会社員が嫌になったわけではない。営業成績もトップだったし、会社の待遇に不満もなかった。ではなぜ脱サラしたのかというと、理由は様々あるのだが、そのうちの一つが「作り手になって、自分が作ったものを自分でお客様に直接届けたい」という想いからだった。

3年の修業期間を経て、独立開業した僕は念願のマスターとなって、自分で考えたメニューを自分で作って、顔が見えるオープンカウンターからお客様に届ける毎日が始まった。
スタッフも増え、店の規模も大きくなったが、現場に立っていたい思いは変わらない。

伝統産業において頻発する問題のひとつが職人(作り手)と販売店(売り手)の意思疎通が芳しくないという問題である。
もちろん立場が違うため意見が異なるのは当たり前で、各々が最善を尽くすために主張の相違は避けられない、という認識もある。
しかしながら出来る限り職人さんに気持ちよく作ってもらって、出来る限り円滑にお客様に届けたい。

そこで僕がマスターであるという事実が生きてくる。
職人さんと同じ作り手という立場からコミュニケーションが取れるという事だ。
彼らは僕が毎日店に立って肉体労働に勤しみ、作り手として身を粉にしているのを良く知ってくれている。だからこそ、僕の話に耳を傾けてくれる。

トップが現場に立つというのは時に非効率にも思えるが、存外、大きなメリットを生む事を知っているし、何より現場が好きなので、僕はきっと永遠に止められないだろう。


飲食業界に大きな影を落とす新型コロナウィルス。
僕はあのタミフルの封筒を作った時のように、自分がまず1番動く事、そして信頼のおける仲間がそこに付いてきてくれる事を信じている。
1人では見られない景色を見るために、様々な立場の人達と美味しいコーヒー豆のように僕自身もブレンドしていきたい。

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