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13年間続けたお店を閉める時

あと2ヶ月で13年間続けたお店を閉める。
お店を作るのも大きな決断だけれど、閉める決断もまたとてつもなく大きな転機に違いない。

お店をオープンした2009年、夫は33歳で私は25歳だった。お腹には大切な命が宿っていた。借金300万円で妊娠3ヶ月、悪阻でニンニクの匂いが辛かった。
それでも毎日必死で働いた。働いていないと不安だったし、貧乏だった。その時の感覚は未だに抜けないから、物欲は今でもほぼ無い。

SNSなど無い時代。本当に少しずつ少しずつ、一滴ずつ瓶に水は満ちていった。
余りにもお客様が来ないので、テラス席で雑誌読みながらコーヒー飲んで「ここにカフェありますよー!」宣伝する方法も試した。しかし、そもそも通行人がほぼいないので意味が無いと30分で気付いた。
閉店時間を設定するのが怖くて、ラストオーダーだけ決めて、常連さんが帰るまで延々と営業した夜もあった。
妊娠中は死ぬかと思うくらいお腹が痛くなって、一畳ほどのキッチンの床に新聞紙を敷いて横になり、汗をダラダラ流しながら痛みが去るのを耐えた。
子どもが生まれる前日まで店に立って働いていたし、産後は1ヶ月で復帰した。閉店すると夫はおんぶ紐で娘をおんぶしたまま、ひたすらその日の食器を洗った。若さと丈夫な体に甘えて、とにかく夫婦で働き通した。
メニューも増えて、スタッフも増えて、お客さんも増えていった。今のお店からは、オープン当初の苦労が想像出来ないくらい。

新しいお店は今よりもっと素敵になるし、絶対カッコいいって確信しているし、楽しみに違いないのだけど。
それでもやっぱり、勝手な私は、寂しい。
めちゃくちゃ寂しい。
良い思い出も辛い思い出も、出会いも別れも、コーヒーの香りが立ち込めるこの場所に詰まっている。

うちのお店に家族連れで来てくれるキッズ達に言いたい。私は、君たちが生まれるずっと前の、パパとママが初デートした頃から見守ってきたんだよ、と。
少しずつ大きくなるお腹を一緒に楽しみに待ち、生まれてから初めてお店に来てくれた日のその輝く赤子の愛らしさに泣きそうになるくらい喜んだんだよ。

カフェというのは特別な場所だ。人生の一部、心のリビングみたいな場所だ。だから、私たちがお店を閉めるという事は、誰かの心のリビングを勝手に無くしてしまうのと同じなのだ。あの日の記憶を、美しい思い出の日々を、心休まる時間を、勝手に消してしまってごめんなさい。
沢山の家族の風景を、今は噛み締めて。

都会を離れて夫婦でカフェを営む。
なんて嘘みたいな人生だろうね。
例えば高校3年生が進路指導で「結婚相手と田舎でのんびりカフェがしたいです」なんて言ったら「真面目に考えなさい」と再提出を余儀なくされるような人生だ。
シンガーソングライター宮本浩次さん(エレカシじゃないよ)の「だいたい彼女は…」という曲に、こんな歌詞がある。

だいたい彼女は月から金をスーツの 
クールなふりした暮らしは無理で
僕と二人で港のそばに 喫茶店でも開けばいいね

それならこんなじゃ無理 もっと頑張らなければ無理だ
タ暮れまで汗流して お金をためて 調理を学び
いつか夢のような every day
「だいたい彼女は…」宮本浩次 2001年

夢のようなeveryday、ありがとう。
新しい店舗が始まったら多分、忙しくてしばらくは思い出すことも無いかもしれない。それでも、ヨレヨレの老夫婦になった時に絶対に思い出すんだろうな。そして何度も何度も同じ話をするんだ。若くて、貧乏で、小さな喫茶店だった頃の話を。

最後に一言だけ。
あー、寂しい!

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