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アンフィニッシュト 50-2

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

——警視庁に連れていかれるのだな。
 近藤たちは琢磨と話をするのを禁じられているのか、「喉が渇いたか」「煙草を吸うか」といった質問をしただけで、それ以外のことを一切聞いてこなかった。
 琢磨も缶コーラと煙草をもらっただけで、ずっと口を閉ざしていた。
 車は国道十六号を北上し、横浜市内に入ると関内駅の近くで止まった。
「こんなところに、何の用がある」
「まずは懐かしい場所で、懐かしい人に会ってもらおうと思ってね」
 そう言うと近藤は、二人の私服に車で待つように言いつけ、かつて警察のアジトがあった横浜通商ビルに入っていった。
 暗い階段を上り、近藤がドアを開けると、公証役場の分室を装っていたその場所は、広い空間になっていた。その中央にある回転椅子に座し、外を見ながら煙草をふかしていた男が椅子を回転させた。
「公証役場は移転しました」
 男がおどけた調子で言う。
その顔を見た琢磨は、ため息をついた。
 着替えの入った米軍のナップザックと岡田の遺骨箱を壁際の椅子の上に置くと、琢磨は横山と向かい合う位置にある椅子に腰掛けた。それを見て、琢磨の背後に置かれた椅子に近藤も座った。ちょうどドアをふさぐ位置になる。
「早速、皮肉とは、お前も変わらんな」
「そう簡単には変わりませんよ。北朝鮮の洗脳教育はすごいものでしたが、生来の石頭が幸いし、昔通りの中野健作、おっと三橋琢磨です」
 横山と近藤が声を上げて笑う。
「それにしても、こんなところに連れてこられるとは、思ってもみませんでした」
「警視庁の入口で、花束と拍手で迎えられたかったのか」
「それぐらいは、やってもらってもいいでしょう」
「そもそも三橋琢磨は、警視庁に存在しない人間だ。だからこうした場所で会うことにした。公安なら、それぐらいはわきまえておけ」
 横山の言い方があまりに横柄なので、琢磨は不快になった。
「では、ここでの取り調べが終われば御役御免というわけですか」
「そうだ」と答えつつ、横山が何かを足元に放った。拾ってみると、預金通帳だった。
「毎月の給料に色を付けておいた。つごう三千万円ばかりになる。それで当面は暮らしていけるだろう」
「ということは、警察は首ですか」
「馬鹿を言うな。ほとぼりが冷めるまで身を隠し、上層部から指示があり次第、ほかの職に復帰してもらう。離島の駐在さんとかな」
 再び横山と近藤が笑う。
「それなら将来も安泰ですね」
 琢磨の皮肉には反応を示さず、横山が真顔に戻って続ける。
「では早速、質問に答えてもらう」
「その前に、こちらから質問させて下さい」
「何をだ」
「羽田で奴らを捕まえなかったのは、どういうわけですか」
 横山は少し考え込むと答えた。
「俺の知ったことじゃない」
「では、岡田金太郎とは何者だったんですか」
「どうして俺が、それを知る」
「まあ、お答えいただけないとは思っていましたが、いいでしょう。まずは、お話をおうかがいします」
 横山は胸ポケットから煙草を取り出すと、琢磨に進めた。
「いただきます」
 紫煙を吐き出す琢磨を、横山が物珍しそうに見ている。
「やはり、お前は変わった」
「そうですか」
 横山は組んでいた足を解くと言った。
「では質問する。まず、順序立ててハイジャックから、脱出までの経緯を教えてくれ」
 背後でスイッチ音が聞こえた。近藤がテープレコーダーを回したようだ。
「そう来ると思っていましたよ」
 琢磨は立ち上がると壁際まで歩き、ナップザックの中から報告書の束を取り出した。
「米軍基地で時間を持て余していたんでね。記憶が薄れないうちに書いておいたのです」
「さすがだな」と言いつつ、横山がその分厚い報告書に目を通している。
「こいつはコピーじゃないか」
「はい。米軍の事務所でコピーさせてもらいました」
「原本はどこにある」
「さてね」
「原本をどこかに送ったのだな」
「はい。何年かしたら自伝でも書こうと思いましてね」
「冗談はやめろ」
 横山は報告書の束を閉じると、手招きで近藤を呼び寄せて、それを手渡した。
「つまり、いざという時に備えているというわけか」
「そうです。わたしも、無駄に年月を過ごしてきたわけじゃないですからね。米軍にも親しい友人ができました。原本はその友人の知己に送り、保管してもらっています。さすがに米兵には、日本の警察も手が出せないでしょう」
「お前も知恵が付いたな」
「生き残るためです」
 横山が呆れたように首を左右に振る。
「分かったよ。ここまではお前の勝ちだ。この報告書を読んでから、また質問することになるだろう。心得ていると思うが、当面、過去の人間関係を断ち切るべく、ある施設に入ってもらう」
「施設に——、その心配はありませんよ。私は逃げも隠れもしません」
「上から、そう命じられているんだ。海の見える静かな場所で、一年ぐらいゆっくりできるぞ」
「外には出られないのでしょう」
 横山が紫煙を吐き出した。むろん、それが答えである。
「もう自由を束縛されるのは、たくさんだ!」
 琢磨が椅子を蹴って立ち上がる。
「俺は勝手にやらせてもらう。だが公安としての心構えはできている」
 琢磨が出ていこうとすると、近藤がドアの前に立ちはだかった。
「もういい。どいてやれ」
 横山が命じる。その言葉には、何か思惑があるに違いない。だが琢磨は、一刻も早くここを出たかった。
「せいぜい自由を満喫することだ」
「そうさせてもらいますよ」
「近藤、俺の電話番号を教えてやれ」
 近藤は黙って手帳を取り出し、ペンを走らせると、そのページをちぎって押し付けてきた。
「すまないね」と言いながら、琢磨が近藤の肩を摑んで押しのける。すかさず近藤が琢磨の腕を摑み返すが、横山の「行かせてやれ」という言葉で手を放した。
 琢磨は足早に外に出ると、雑踏に身を隠すべく、伊勢佐木町の方に向かった。

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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