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アンフィニッシュト 53-1

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

——随分と寂しい街だな。
 それが寺島の辺野古に対する第一印象だった。
 市街地にもかかわらず、歩いている人はほとんどいない。今は廃屋となった店舗に掲げられた英語の看板も色あせ、大半の店はシャッターを下ろしたままになっている。
 かつてキャンプ・シュワブとして繁栄していた辺野古は、シュワブの縮小と軌を一にするように閑散としていき、移転問題が起こらなければ、静かに朽ち果てていく運命にあったのだ。
 ——兵(つわもの)どもが夢の跡、か。
 かつて屈強な米兵たちが陽気に闊歩していた街角を見ていると、同じように衰退の一途をたどった学生運動のことが思い出された。
 ——あの頃の学生たちの情熱は、いったいどこに行ったんだ。
 ここのところ、寺島はそのことばかり考えていた。確かに、彼らのやったことは正しいことばかりではない。だが超大国のアメリカが、東洋の小国ベトナムに戦争を仕掛け、その国民を殺戮(さつりく)しているという事実を前にして、それを止めようとして立ち上がった意欲は買える。しかも日本は安保条約によってアメリカに加担し、ベトナム攻撃の補給基地になっていたのだから、彼らが怒るのも当然である。
 寺島は、ある理由から学生運動に異様な関心があった。それが高じて「日本のために尽くしたい」という気持ちを持つようになり、警察官を志望した。
 警察こそが正義の象徴で、最も信頼を託すに値する組織だと思ってきた。だが今回、上層部は政治家の圧力に屈し、捜査本部の解散を命じてきたのだ。
 寺島の警察に対する信頼は、無残に打ち砕かれた。
 ——あの火事で亡くなった方々にも、それぞれの人生があった。彼らが冥府で望むことは唯一、事件の解決ではないか。それを踏みにじろうとする警察を俺は許せない。
 だが寺島には、それとは別の情熱もあった。
 ——それを解き明かすことで、あなたが終わらせられなかった仕事を、すべてを終わらせます。
 しばらく歩くと大浦湾に出た。そこから南東に行くと、テント村が見えてきた。
 だが寺島は現役の警察官なのだ。そんな者がのこのこと行ったところで、藤堂亜沙子という著名な闘士が会ってくれるとは思えない。
 しばらく海を見ながら寺島が考え込んでいると、突然、背後から声を掛けられた。
「あんたは反対運動をやりに来たのかい」
 その男は白髪交じりで、優に六十歳は超えている。
「はっ、はい」
「どう声を掛けていいか分からなかったんだろう。心配するな。辺野古の海を守ろうとする者は、みんな仲間だ」
「よろしくお願いします」
 男は寺島を促し、テント村へと導いた。

 寺島はサラリーマンと偽り、テント村での活動を手伝うことになった。活動への理解と真摯(しんし)な姿勢を買われた寺島は、若者が少ないこともあってか、老人たちに歓迎された。隣町の宜野座にある安ホテルも紹介してくれたので、毎朝、十五分ほどバスに乗って辺野古に通うことにした。あとは、いかに自然に藤堂亜沙子に接近するかだ。
 だが、チャンスは突然やってきた。
 数日後に、埋め立て用資材の搬入があることを摑んだ反対派は、座り込みを行うべく、その準備に入っていた。
 それと時を同じくして、内地で反対運動を展開していた藤堂亜沙子も辺野古入りした。
 藤堂の人気はすさまじく、姿を現しただけで拍手喝采の嵐である。
 藤堂は、こうした活動家のイメージとはかけ離れた白いワンピースを着て、ブランド物と思しきサングラスを掛け、白い手袋をしていた。
 女王のように人垣で作られた道を通った藤堂は、取り巻きが設えた演台に上がると、「皆さん、ご苦労様です」という第一声を発した。
 ——これが藤堂亜沙子か。
 すでに六十歳を超えているはずの藤堂だが、その優雅な身のこなしと、その対極にあるような情熱の籠もった弁舌には、年齢を感じさせないものがある。
 ——いったい、あんたは何者なのだ。
 藤堂は一切の経歴を明かさないため、その過去は様々な憶測を生んでいた。だがそうしたミステリアスなところも、藤堂亜沙子の人気を高めることに一役買っていた。
 一方で寺島は、彼女が誰か”あたり”をつけていた。
 ——だが、それをどう切り出すかが問題だ。
 壇上の藤堂は、辺野古を守り抜くことを強く主張し、「国家権力に立ち向かうことが、国民の役割でもあるのです」と締めくくった。演説内容に目新しいものはなかったが、その弁舌には聞く者を魅了する何かがあった。それは多くの演説の場に立ち会い、自分なりの方法論を身に着けた者だけにできるものだった。
 翌日のことである。寺島がテント村に着くと、大きめの白い日よけ帽をかぶった藤堂が、取り巻きを引き連れて散歩をしていた。
 挨拶をして通り過ぎようとした時である。
「それは今朝の朝刊ね」
 藤堂の視線は、寺島が脇に挟んだ新聞に向けられていた。ホテル近くのコンビニで買ってきたものだ。
「はい。そうですが」
「今朝は、朝刊をまだ読んでいないの。読ませてくれない」
 寺島が朝刊を差し出すと、藤堂は砂浜に腰を下ろして読み始めた。
 その時、テントの方から人手を求める声が掛かり、取り巻き連中は皆、そちらに向かった。
 寺島も行きかけたが、藤堂と二人きりになれることに気づき、その場にとどまった。
 ——チャンスは今しかない。
 警察官の本能が、それを教える。
「本土では、いろいろなことがあるのね」
 藤堂は老眼鏡を掛けると、一面記事からゆっくりと読んでいる。
「ときに藤堂さん——」
「私の過去は聞かないこと」
 藤堂が機先を制してきた。過去を聞いてきた者が、これまで何人もいたのだろう。
「では、別の質問をさせていただきます」
 その言い回しに何か感じたのか、藤堂が新聞から目を上げる。

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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