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織田信長と桶狭間の戦い(前編) 【歴史奉行通信】第九十号

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こんばんは。伊東潤です。
今夜も歴史奉行通信、第九十号をお届けいたします。


〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓


1.はじめに

2. 織田信長と桶狭間の戦い(前編)
ー今川義元の目的

3. 織田信長と桶狭間の戦い(前編)
ー両軍の兵力 / 桶狭間周辺の地形と道

4. 織田信長と桶狭間の戦い(前編)
ー桶狭間の戦い直前まで

5. Q&Aコーナー / 感想のお願い

6. お知らせ奉行通信
新刊情報 / イベント情報 / Voicy・TV・ラジオ出演情報


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1.はじめに

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今年はGWでも肌寒い日が続きましたが、
いよいよ暖かくなってきましたね。

さて、皆さんは5月19日に何があったかご存じですか。
そうです。この日は桶狭間の戦いの当日だったのです。

今回と次回の二回にわたり、最新の研究成果を基に、桶狭間の戦いとは何だったのかを検証していきたいと思います。
なお本稿は、雑誌「修親」に寄稿した論考を短縮しての再掲載となります。
最終的には『合戦で読む日本史 野戦十二番勝負(仮題)』として、2022年夏頃に新書で発売しますので、お楽しみに。

本稿は、こちらの図をご覧になりながらお読み下さい。

尾張・三河国境の城郭群
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/c76SaaxnyAqfa9bG

桶狭間周辺図
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/c76SaaxnyAqfa9bH

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2. 織田信長と桶狭間の戦い(前編)
ー今川義元の目的

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■今川義元の目的

永禄二年(一五五九)の春、信長は尾張上四郡を支配する守護代・織田信賢(のぶかた)の岩倉城を攻略した。
これにより信長は尾張国の約半分を手中に収めた。
続いて信長は、尾張国の東方の愛知郡から知多郡にかけて、いまだ今川方の勢力下にある諸城の攻略に乗り出した。

永禄二年、信長は知多半島北部に義元が築いた鳴海(なるみ)・大高(おおだか)両城を取り戻そうと、
鳴海城の付城として丹下(たんげ)・善照寺(ぜんしょうじ)・中島(なかしま)の三砦を、大高城の付城として鷲津(わしづ)・丸根(まるね)・正光寺(証光寺)(しょうこうじ)・向山(むかいやま)・氷上山(ひかみやまとりで)の五砦を築いた。

そもそも鳴海・大高両城は、信長の経済基盤の伊勢湾交易網を牽制する目的で築かれたもので、将来的な伊勢湾支配を念頭に置いたものだった。
この一報を駿府館で受けた義元は五月十二日、陣触れを発して西上の途に就く。

義元としては自ら後詰勢となって鳴海・大高両城の包囲を解除することが目的で、あわよくば熱田辺りまで勢力を拡大したいと思っていたのではないだろうか。
つまり三河国西部の支配を強固にすると同時に、尾張東部の併呑を目指していたと考えるのが自然だろう。


この時代、最前線拠点が危機に陥った際に後詰勢を救援に差し向けるのは、最も多い出兵動機で、義元もそのセオリーに従っただけだ。
しかもこの二城は伊勢湾に通じる城で、
織田氏の伊勢湾交易網を牽制し、さらに伊勢湾に出没する服部一党ら今川方海賊との連携を維持するために、どうしても確保しておきたい二城だった。

『信長公記』には、尾張国の海西郡を勢力基盤とする服部友貞が二千艘もの軍船を率いて扇川河口まで来ていたという記述がある。
義元は服部水軍に大高城への兵糧搬入を依頼していたのだ。
すでに義元は、傘下国衆の松平元康(後の徳川家康)に陸路からの兵糧搬入を命じていたが、それがうまく行かない場合も考慮していたのだろう。

いずれにせよ義元最大の目的は、鳴海・大高両城の打通、すなわち包囲解除だったことは間違いない。

なお鳴海・大高両城のどちらが重要だったかだが、
鳴海城は大高城の二・五倍の規模であり、また要害性も高かったが、後に義元が大高城の打通を優先したことから分かるように、
この作戦の最重要目的は大高城の打通にあった。
というのも鳴海城が入江の内懐にあって海上封鎖されやすいのに比べ、大高城は伊勢湾に面しているので封鎖されにくく、
また信長やその与党国衆の勢力下から遠いこともあったからだろう。

さらに視点を変えれば、今川方の鳴海城は最前線拠点であり、大高城はそれを支える第二線拠点という考え方もできる。
つまり対織田戦の場合、北が最前線で南が第二線になる。
つまり第二線拠点を確保してから、最前線拠点の打通を目指すのはセオリー通りなのだ。


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3. 織田信長と桶狭間の戦い(前編)
ー両軍の兵力 / 桶狭間周辺の地形と道

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■両軍の兵力

最近、今川氏の総兵力はたいしたことなかったという説が罷り通るようになってきた。では、それが事実なのか検証してみよう。

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