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アンフィニッシュト 2-2

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 案に相違せず、翌日には特別捜査本部が立ち上がり、寺島は野崎と同じ特命班に入ることになった。

 班長には名目的に捜査一課のベテランが就いたが、地取りなどの地道な活動を把握し、適時、細かい指示を飛ばすのは野崎の仕事となる。

 久しぶりの大きな事件に気合の入っている野崎は、「今、分かっているのはこれだけだ」と言いつ、徹夜でまとめたらしき資料を寺島らに回してきた。

それを見た寺島は愕然とした。

 ——十人も死んだのか。

 大家の記憶や住人たちの証言から、事件当日には死者が十人と特定できた。

その中で、すぐに身元が判明したのは三体である。この三体は、「ある程度」の焼死体だったからだ。

残る七体は損傷が激しく、それぞれの特定は目視や証拠品だけでは無理だった。それでも少しは生きていた頃の痕跡もあり、特定できないまでも目星は付けられる。

だが問題は、友人や知人が立ち会い確認をしてくれないことにあった。こうした場合、家族なら、どんなに痛ましい姿でも、遺体を確認してもらうことはできる。しかし簡宿に住む者たちの大半は、遠い地に住む親戚はいても、家族などいない。

友人や知人と称する者に遺体確認を頼んでも、決まって「そんなに親しくはなかったから」と言って断られる。その気持ちは分からないでもない。ちらりと見るだけで済むなら、承知もしてくれるだろう。しかし焼死体だけは綿密に見てもらい、根拠を確定させないといけない。それを事前に伝えると、いったん承認していた者も尻込みしてしまう。

 こうした場合、科学捜査研究所、いわゆる科捜研に依頼し、焼け残った骨や筋肉などから血液やDNAを採取し、近親者と照合すればよいのだが、どこに近親者がいるのかさえ分からない者ばかりである。とりあえず血液の採取やDNAの記録を取ってもらったが、近親者と名乗る人物が現れない限り、それらも意味をなさない。

 そうなると鑑取りと地取りしかない。寺島は聞き込みで、あたりを付けていく覚悟をした。

 一方、すぐに氏名を特定できた三人が、簡宿にたどり着いた経緯も明らかになってきた。

 六十歳のA氏は元板前で、長らく築地近辺の料理屋や居酒屋で働いていたという。ある程度の蓄えもでき、老後の見通しを立てたつもりでいたが、一人息子が自立したのをきっかけに、専業主婦をしていた妻が離婚を申し立ててきた。妻との関係は冷え切っていたので、A氏も離婚に応じたが、裁判所の命令で年金は二分割され、生活は徐々に苦しくなっていった。

三十万もらっていた年金が半額になり、家賃が重くのしかかってきたのだ。それでも東京生まれで東京育ちのA氏は、家賃の高い東京に住み続けた。家賃の安さを理由に地方に転居する高齢者は、皆無に近い。そんなことをすれば孤独になるからだ。しかも高齢者の場合、時間ができると、その時間をつぶす方法によって、すぐに貧困に陥る。

A氏の場合、お定まりのようにパチンコと酒に溺れた。それによって数年で貯金を使い果たし、貧困状態に陥った。A氏も老後設計をしていたはずである。年金を半分にされても、それなりの生活を続けるくらいのことはできたはずだ。しかし時間を持て余すことで、すべてを失った。

 六十七歳のB氏は長らく銀行員として働いていたので、厚生年金にも加入していた。その上、生涯独身だったので貯蓄も十分にあった。ところが定年退職後、長年の偏食がたたったのか糖尿病に罹患してしまった。その医療費負担が意外に大きく、貯金の多くを使い果たすことになる。さらに、かなり前に飲んでいた薬の副作用で、軽い認知症を患っていたらしく、おかしな友人らと飲み歩き、金をせびられていたという。その結果、銀行預金は瞬く間に底をつき、市役所の紹介で増田屋に流れ着いたという。

B氏の場合、病気という誤算が人生を狂わせ、さらに独身ということで誰も守ってくれる者がおらず、想定もしていなかった貧困に陥ったのだ。

 五十八歳のC氏の場合、もっと悲惨である。トラック運転手をしていたC氏には家庭もあり、二人の子にも恵まれていた。ところが、正社員として勤めていた運送会社が倒産したせいで、フリーとして働かざるを得ず、賃金は目に見えて下がっていった。それでも妻との関係は良好で、妻もパートに出て家計を支えていたが、運の悪いことに妻が癌になり、その治療費で貯金を使い果たした。C氏は妻のために懸命に働いたが、それが裏目に出て、居眠り運転で事故を起こしてしまい、その時の怪我が元で仕事を続けられなくなった。

結局、妻は死に、働けなくなったC氏は酒浸りとなって生活が破綻した。その頃には子供も自立していき、C氏は路上生活者となった。そこにNPO法人から救いの手が差し伸べられて、増田屋に入ったという。

C氏の子供の連絡先を突き止めて電話をすると、「そちらで処理して下さい」と言って骨さえ取りに来なかった。それでも、「犠牲者に賠償金や見舞金が出る場合は、連絡を下さい」と付け加えるのは忘れなかった。

貧困状態に陥った三人に共通しているのは、自分と配偶者の健康な老後を前提とし、離婚や病気のようなアクシデントを想定していなかった点にある。

——いわゆる想定外ということか。

しかし彼らの生きてきた軌跡を知れば知るほど、人生が想定内に収まる可能性は極めて低いと感じられる。

 四人目の犠牲者は、友人たちの証言によって突き止めることができた。通称源さんと呼ばれていた元沖仲仕で、十年余にわたって増田屋に住んでいたという。明るくて社交的だったので、皆から好かれていたという。ただし、どの遺体が源さんなのかまでは確定できなかった。彼の場合は、将来の計画もないまま、その日暮らしを続けた末、落ちるべくして落ちたと思われる。

 五人目は、田舎の親類からの問い合わせで分かった。増田屋に長く住んでいたらしく、地方に住む弟の息子に年賀状を欠かさなかったという。その年賀状の差出人住所が増田屋なので、弟の息子も心配はしていたのだが、経済期に援助するわけではなかった。

弟の息子は、電話で「私だけが、伯父と故郷を結ぶか細い線だったのでしょう」と語ったが、彼が何を仕事とし、どんな人生を送っていたのかまでは知らなかった。

 難航はしたものの、一週間で五人まで突き止めることができた。

五月末、仕事場の記録から身元が分かった犠牲者がいた。さらにもう一人、病院の通院記録から特定された犠牲者もいた。皆、現住所を増田屋と記録していたから分かったものの、残る三人の手掛かりは杳として摑めない。

 その後も地道な捜査が続いた。

 八人目は、東京のNPO法人からの連絡で分かった。遺留品を展示した際、見に来たNPO法人のソーシャルワーカーが、特徴的なライターを見つけたのだ。

 六月に入り、残るは二人となった。

 

 一方、特捜本部の主力部隊が追いかける放火犯の方は、何ら物的証拠もなく、聞き込みでも有力な手掛かりが摑めず、苦戦を強いられていた。だが初動捜査は二週間を目安としており、まだ焦ることはない。

現場で宿直の者たちが撮った野次馬の写真も徹底的に洗われたが、その中に、放火犯などで捕まった前歴のある者はいない。また近隣に設置されている防犯カメラも入念にチェックされたが、とくに挙動不審の人物が映っていることもなかった。

 つまり放火した者は、放火後に現場を訪れず、また放火する際も、防犯カメラが設置してある場所を通らずに現場に到着したことになる。

野崎は終日、不機嫌そうな顔をして銀縁眼鏡を拭いている。

 寺島が何かの報告や相談に行くと、いつも「遅い」だの「手順が悪い」などと小言を言うが、実際は自分の仕事のことで頭がいっぱいなのだ。寺島は「いい気味だ」とは思いつつも、犯人を見つけられないことには、仏も浮かばれないので複雑な心境だった。

 六月も半ばになり、科捜研の努力によって九人目が特定された。

 ——灯台下暗し、か。

 九人目は前科者だった。警察庁が保存する膨大なデータの中から人物を特定し、99.4%以上の確率で同一のDNAと判明し、ようやく特定できた。

 かくして一カ月以内に、十人中九人までが特定できた。

 ところが十人目は謎に包まれたままである。どうしても手掛かりがないのだ。

 そんな時、焼土の中から新たな遺留品が発見されたとの一報が届いた。その中にコインロッカーの鍵らしきものがあるという。

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