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「文章」について考える④ 上手な文章の書き方

 前回は文章の長さについて書いた。今回は、ある意味では誰もが知りたい、上手な文章の書き方について、恐れ多くもド素人の読書好き程度の人間がまとめてみようと思う。徒然草に「少しのことにも先達はあらまほしきものなり」とある。小さなことでもその道の先輩はあるべきだなぁ、ぐらいの意味だが、ということで、谷崎潤一郎と三島由紀夫の二人に登場してもらう事にする。二人とも「文章読本」という、文章の読み書きを説明した書籍を残している。文句なく一流の作家である二人はそれぞれ「名文、良い文章」について書いてくれている。まずは谷崎から。

仮に私が、名文とはいかなるものぞという質問に答えるとしたら
長く記憶に留まるような深い印象を与えるもの
何度も繰り返して読めば読むほど滋味(じみ)の出るもの

谷崎潤一郎 「文章読本」より

 と、なっている。一方、三島は

具体的に言えば、文章の格調と気品とは、あくまで古典的教養から生まれるものであります。(中略)文体による現象の克服ということが文章の最後の理想であるかぎり、気品と格調はやはり文章の最後の理想となるでありましょう。

三島由紀夫 「文章読本」より

 と、定義している。気を付けておきたいのは、特に三島は「芸術作品の文章」を念頭に置いて語っており、日記とかエッセイとか、もしくはニュース記事のようなものを想定していない、ということ。②の記事で説明したように、芸術作品、文学作品としての文章ならば、語彙やレトリックは凝らねばならないが、そうでなければ違う表現になるだろう。私は上手な文章というのは

伝えたい事を的確な文章、文体で表現できているもの

と定義したい。それはそうだろうけど、曖昧でどうもわかりにくいよ、と思うかもしれない。そこで再び、先ほどの徒然草の言葉を思い出してもらいたい。仮にあなたが名エッセイストになりたい、エッセイを上手な文章で書きたい、と思うなら、売れている、人気のある、評価の確かなエッセイストの文章をしっかり読み込んでほしい。そして、真似をしてほしい。学ぶとはまねぶである。古語においては「まねぶ」は文字通り学ぶの意味だった。

 まとめると、まず自分が書きたいものをしっかりと決め、そして、それを書いている作家やエッセイストや評論家などを見つけ出し、その文章を真似して書いてみること。そのまま筆写してみるのもいい。現在はPCならコピペでそのまますぐに模写出来るが、そうではなく自分で打って再現してみる。手書きでももちろんいいと思う。すると、少しづつ自分の書く文章が変わってくるのではないだろうか。しかし、これ以上はド素人の読書好きに過ぎない私が言うことは出来ない。他にもネットで検索すれば、上手な文章の書き方を教えてくれているサイトが幾らでも見つかるだろう。良い文章が書けるようになって、皆の発信力があがったらよいな、と思う。文章について考えるシリーズはこれで終わりにする。

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