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「カフェが好き」という言葉

 「カフェが好き」、この言葉には多様な意味が内包されていることを知っている。雰囲気に惹かれる人、食べ物や飲み物に惹かれる人、居心地に惹かれる人、店主さんに惹かれる人、最近では「映える」といった観点も大切なのかもしれない。

 僕も気づいたらいつ頃からか「カフェが好き」と言っていた気がする。遠い記憶をたどるとおそらく最初は淡い「恋心」が根底にあったような。少し気になっていた人がカフェめぐりが好きな人で、その人に少しでも合わせてみたいと思う自分がいて、話のきっかけにしようとして、「カフェが好き」と言った。でも、当時の僕は、甘いもんを食べるのは好きだったけど、カフェなるものにそんな行ったこともないような学生で全然話について行けなかった。そう、簡単にぼろが出たのである。

 でも、言葉にしていくとなんとなくしみついてくるのか、どんどん「カフェが好き」が具体化していった。就職した後、ある地方都市に赴任することになったのだが、そこは地元と比べると正直なところ、選択肢の少ない街だった。だからといって、そこでの生活がつまらないものだったのかというそうではなくて、いろんな思い出があって。でも、これはまた別のお話。

 そんな街にも当然カフェはあった。初めてのひとり暮らしでまだ街に慣れていなかったけど、そのお店はすんなりと僕を受け入れてくれた。ほぼ毎週末、おやつを食べつつ、読書して、のんびりとした時間を過ごす。たまの平日に行って、夕ごはん食べて、遠くに音だけ聞こえる花火を楽しんだという夜もあった。そのお店のフードは美味しくて、最初はそれに惹かれていたのだと思うが、最終的にはその居心地に助けられていた。変に肩筋はらずにいることが許された環境は自分にとって、「カフェが好き」にのめり込む、第一歩だったのである。

 でも、自分が好きだからといって、何事もいつまでも存在し続ける訳ではない。赴任してからある程度時間が経ち、その街にも慣れが生じてきた。つまり、「非日常が日常」になってきたのである。そのカフェにあまり通えなくなってきて、ある時気がついていたら、そのお店はなくなっていた。正確には、店舗はあるのだが、店主さんが変わって、お店のコンセプトががらっと変わってしまった。もうそこには帰れなかった。そんな形で、地元に戻ることになったことを店主さんに伝えることができないまま、赴任期間が過ぎ去ってしまった。

 地元に帰ってきて、確実にお店の選択肢は増えた。でも、どこにでも行きたい訳ではなく、「惹かれる」お店に行きたい。選択肢の多さに救われて、こちらでも居心地に惹かれるお店を見つけることができた。街中に出て、少し時間があれば、そこでふわっと時間を過ごす。それもひとりの時もあれば、誰かと一緒に行くこともあって、そのお店にいろんな思い出が蓄積されていっている。地元で暮らすことで、あちらこちらに記憶というか思い出の断片が残っていて、時々息苦しくなってしまうこともあるけど、それ以上にいい記憶の気配があって、なんやかんや地元に戻ってきて、それはそれでよかったのかなって、思えるようになってきた。

 今ならあの時よりも思いも経験も記憶も増されて、ちょっとは「カフェが好き」らしさに意味合いが持てるようになってきたのだろうか。いや、何かを好きになることに意味合いなんて、必要ないんだろうな、おそらく。

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