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男という役割の死について考えてみる

私の持論だが、結婚してある程度まで子供が大きくなって育て終わると男は男としての役割を追えて、オジサンという生き方を肯定するようになると思う

もちろん、中には不倫にはしったりするものもいるとは思うが、何かしらの理由で男であることを捨てきれずに男としてその関係性を楽しんでるよう感じる

また、この議題を出したかった要因は、ブラッディドールシリーズの評論を書いていたときに話題にあげたいと思いました

ブラッディドールシリーズはかっこいい男たちがいつまでも無茶をやってるような話である

基本的には30代以上の人物ばかりだが、それぞれの人間が男としての役割を全うしているように感じる

30代の私はこのハードボイルドの界隈からはだまだ青い
けれども、諦めずに愚直でまっすぐであり続けられれば何かしらの形になるものが得られるのではないかとも思っている

男という役割の死の本質は精神としてひたむきさを失うことではないだろうか

子孫繁栄というものを具体的に取り上げたが、それは人間の本能であることから結婚から一連の流れを済ませることに意義を置いている人は多いと思う

一般論としての男の死はそこにあるかもしれない
ただ何かに夢中になることが多いブラッディドールの人物たちにはその死の香りを感じることはあまりない

ムッシュかまやつのゴロワーズを吸ったことがあるかいはハードボイルドを一言で表した本質だろう

最初はカッコいいものの模倣から始まり、何かに夢中になり、最後はしらけてしまう自分に毒気づいてしまうそんな曲である

そのことを意識して死ぬ直前までひたむきさを失わないようにするにはどうしたらよいのだろうか

そこは一生をかけて見つける長い旅路になるのかもしれない

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