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とりあえず生きて行こう。元気出してこう。〜中学生編〜

中学生編を書いていこうと思います。

小学生編を読んでいない方はよければ小学生編から読んでみてください。

さて、中学生編ですが!!

少し自慢っぽくなってしまうかもしれません。笑

ただ、ちゃんと高校生編でダメージくらうので、調子乗ってんなー程度に読んでください。

中学1年生

僕が通っていた中学校は、その当時荒れていました。3年生と先生の喧嘩は日常茶飯事、ダボダボのボンタン、パンツ見せてるんですか?並のスカートの短さなどなどそこそこ荒れてた中学校でした。

僕らの代はそんなことなかったですけどね、

まぁ、そんな中学校に上がるということで、生意気だった僕も少なからず覚悟して入学しました。しかし、その3年生に姉の友達の妹がいたり、その3年生が1年生の時にかなりやんちゃだった3年生の兄がいたこともあり、ヤンキーに絡まれることもなく、日々過ごしてました。

そんな僕は悪さを思いついては、悪さをする学生でした。可愛い悪さです。笑

1つ例を挙げるなら、先生から

『夏休みに入る前に上履きを持って帰らないと夏休みの間に取りに来させるか、着払いで家に届けるぞ!』

と言われたので、自分の上履きに、自分の名前を消して、友達の名前をデカデカと書いて、放置してやろうくらいのレベルです笑

そのあと実際その友達が取りに行かされたかは分かりません。

まぁ、大丈夫でしょう。

小学生編でも書きましたが、くもんに通っていたおかげで、中学校の勉強なんて楽勝でした。(まじで嫌なやつですね。)

友達にたまーに紹介してる2つの武勇伝があるのですが、そのうちの1つが、読者が好きすぎて、学校の授業も聞かずに昼休みもサッカーもせずに、ハリーポッターを読み続け、一日で読み切ったことです。笑

たぶん炎のゴブレットだったと思います。笑

もう1つは、中学校の3年間で、ノートを一冊丸々使い切ったことがないことです。

新学期が始まる前によし今度こそはちゃんと授業聞くぞ!と思ってノートを新調するのですが、書いても2ページくらいでした。なので、2ページだけ書かれたノートがたくさん家にありました。笑

ノート代が浮いて良かったです。(こんなこと言ってますが、ただ、ダサいだけですね。)

こんな感じで全く授業は聞いていませんでした。途中で授業を抜け出すこともあるし、友達とサッカーをして、20分遅れて授業に行くとか、後ろの席で足元サッカーをするとか、漫画を読むとかそんなことをしてました。

めちゃくちゃ態度が悪かったですね。数学のテストで100点取ったのに評定が4だったこともあります。(5が最高)

ふざけながらもテストでは点数を取りたかったので、テスト前だけは、勉強してました。学校ではしないですけどね。

親と、

9教科合計で810点以上取ったら、何でも好きなものを買ってあげる!

という条件を提示されたので、

こりゃやってやると思い、

主要5教科以外の音楽、美術、体育、あとなんだっけ??忘れました。

まぁ。主要5教科以外も頑張りました。もちろん家で。音楽の授業なんて、ほとんどプロレスしかしてなかったので、テスト勉強なんてどこしたら良いか分からず、教科書丸暗記してました。笑

コソ勉の甲斐あって、823点取ることができました。それなりには頑張ったかな。

平均すると1教科92点くらいですかね?

とことんふざけながらも、テストの点数だけは取ってました。

中学2年生

中学2年生になると、野球を本気でやってました。やっと自分たちの代が始まって最高でしたね。

小学生編でも出てきたスーパーマンもいて、他の小学校からの上手い選手も入ってきて、正直僕らめっちゃ強かったです。笑

顧問の先生がめちゃくちゃ素晴らしい人で、自分たちの代になってから卒部するまでに100試合以上を組んでくれました。

土日は2試合ずつで、計4試合。

僕たちの学校はとても試合ができるようなグラウンドではなかったので、毎週遠征でした。

大会もたくさんの大会に出て、優勝4回、準優勝3回、3位2回、県大会出場とかそんな感じでしたかね??

100試合以上して勝率は.780くらいだったと思います。土日の4試合で3勝1敗、もしくは全勝って感じですね。

そんなチームの1番として、僕はチームに欠かせない存在になってました。

そんな感じで野球では、大成功。

勉強はというと、前半はずっと学年で10番以内。

後半はあまりにも勉強してなさすぎて、さすがに30番くらいになってたと思います。

それでも、相変わらず、全く授業を聞かず適当に友達と話したり、寝たりして過ごしてました。

2年生の頃の悪さを1つあげるとすれば、雨の日の廊下で固形石鹸を転がしブラシで擦る、なんちゃってカーリングを、して遊んでたことです。笑

くだらない悪さですね。

ちなみにあの時にはそだね〜とは言ってませんでした。

他にもありますが書けないことも多いので割愛。

野球も、勉強もできる!しかも全く授業聞いてないのに結果出してる。

俺かっこいい。と本気で思ってました。笑

高校で痛い目に遭うのに。。。。

それはさておき、

クラス一丸となって行われる駅伝大会もありました。野球部では、とことん走らされたので、野球部全体、長距離、短距離問わずそこそこ速かったです。

そんな僕も例外ではなく速かったです。

僕らのクラスは、学年で1位、2位、そして僕が3位で学年で速い人3人が同じクラスでした。

駅伝は、各クラス、男女4名ずつで走りました。

結果は、圧倒的な勝利でした。

かなりぶっちぎりでした。

こんな感じで大成功を収めた2年生でした。

この頃くらいから特に僕のことをあまり良く思わない人がいたのも事実です。

突っかかれても、相手にもならない。眼中にもないという態度だったので、さらに気に障ったと思います。

ほんとに良くないことです。今となっては、人を見下してた自分が恥ずかしいです。

中学3年生

3年生では、クラスに恵まれました。楽しかったです。

野球も相変わらず勝ちまくりました。しかし、中体連で県大会確実と言われていた僕らがあっさり3回戦で負けました。

スーパーマンは、その頃135キロを投げるようになっており、超注目選手でしたので、みんなが彼に頼りすぎました。

めちゃくちゃ悔しかったですね。大会が始まる前から彼の調子が良くないことは感じていましたが、彼の調子が上がるまでは、絶対打ち勝ってやる!俺が打ちまくってやると思ってたので尚更悔しかったです。

体育祭ではブロック長を務めました。

例年の体育祭は今までふざけてたはずの新3年生が後輩たちに文句を言ったり厳しくしながら進めていくような物でした。

自ら志願して入部する部活ならそれでもいいと思いますが、

学校行事などの強制参加において、厳しくされるとますます、やる気が落ちると思っていました。

怒られてやる。仕方ないからやる。must。ではそこそこ纏まっても限界がある。

そうじゃなくて、

仕方ない。本気でやってやるか。あいつのためなら。勝ちたい。want。

この状態になれば、もっと凄い力が生み出せると思ってました。

そこで、どんだけ失敗しても人を責めることはしませんでした。

おっけー!どんまいどんまい!
良くやった!
仕方ない!次頑張ろ!
などの声かけをして、雰囲気を良くすることだけを考えていました。

体育祭本番の3日前に、ほぼ全部の競技を通すリハーサルがありました。
実際に得点も付けて、順位も発表します。

結果から言うと、僕のブロックは圧倒的に最下位でした。

どの競技でも最下位。全然上手くいかない。
それでも、みんなを褒めて励まし続けました。

母親は、そのリハーサルを観に来ていたのですが、そんな僕の姿を見て

あ。もう勝ちは諦めたんだな。と思ったそうです。
僕は諦めてはいませんでした。
みんながやる気になってくれるまで、とことん盛り上げていこうと決めていました。

でも、ほんとに間に合うのかな。本気で1つになれるかな。という不安も少なからずありながら、

本番を迎えました。

しかし、いざ始まってみると、不安なんて吹っ飛びました。
みんながいつも以上に声を出して応援しているし、それに乗せられて、どの競技もどんどん上手くいったのです。

あらよあらよ。と勝ち進め。

なんと圧倒的に優勝出来たのです。

あの時のあのブロック全体。学年も男女もなくみんなが1つになったあの雰囲気が今でも忘れられないです。

それを創り上げた元は、僕の褒め続ける姿だったと思います。
ただ、それに乗って、一生懸命やってくれたブロックのみんなは💮です!

こんな感じで、人としても大きく成長しました。

勉強はというと。

高校は、県内でも有数の進学校に行くことに決めていたし、そこに行く自分しか想像出来ていませんでした。

でも。相変わらず勉強は全くせず、昼休みみんなが勉強するなか、試験の前日までサッカーをし続けました。

周りからあんな奴が受かるわかないと言われていました。

その頃の僕は、昼休みちょこっと勉強しただけで受かるわけないやん、

どうせ集中できんし、ならとことん遊んで後でしっかり勉強した方がいいやろ。と突っぱねてました。

そんなまま、受験をし、みんなが絶対落ちたとか、微妙な顔をするなか、

絶対受かった!

と思いました。

ただ、それを口にすると良くないことが起きそうだと感じたので、

うーん。やれることはやった。

と言うようにしていました。

結局その高校に合格することが出来ました。

僕が小学生の時に僕なんかよりよっぽど頭の良い姉がその高校に落ちていて、

その時に、僕が代わりにそこに行くと言って、ほんとに行くことができて嬉しかったです。

このように、とことんふざけて、遊ぶことも知りながら、勉強も出来て、
スポーツもできて、人を惹きつけて。

と全てを手にした中学生でした。

まとめ

この中学生時代で伝えたかったことは

努力は必ず報われる報われない努力は努力じゃない(王貞治さんの言葉です)

ということです。
この言葉の通りだと思います。
厳しい言い方だと思いますが、正しい方法で正しく努力すれば、必ず結果は出ます。

ただ、これには続きがあります。高校生編で続きを話したいと思います。
高校生編は挫折の連続です。

こいつ生意気やなー。ばりうざいと思っていたあなた。

やっとこいつが挫折します。楽しみにしててください。

次回、高校生編でお会いしましょう。








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