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意見を持つ重要性

皆さんは物事に対して意見を述べているだろうか。無論、各々が意見を持つことを良しとされない社会では意見を積極的にもつ人々は少数派であろう。

ただし国際的には意見を持たないと理解されないことが多いことを念頭に置いておく必要がある。

意見の良し悪しはともかく、全体の傾向に依存せず自らの意見をもつことは、自らを守ることにも繋がる。我慢しているだけでは許容していると見なされるのだ。

近年の日本社会では若者は外見的には個性的になったといえる。しかしながら、心の奥底にある考え方や主軸となるものに対してまでは個性的であるだろうか。とはいえ、若者に原因は追及することは早計である。物事には必ずしもバックグラウンドが存在する。

最も分かりやすい背景としては、社会構造そのものが未だ封建的であり、年齢によって隔てられた身分制の社会であることが関係しているといえる。

これは個人的な意見にはなるが、さまざまな年代の人々が非公式の年齢制限によって左右されることなく、要職に就くようになると社会は良くも悪くも変わっていくように思う。

もちろん、問題やトラブルも発生するだろう。しかしその先にある希望に光を見出せないようであれば、現状に変革をもたらすことも難しいのではないだろうか。

日本の歴史で分かりやすい例は明治維新などであろうが、当時は必ずしも良いことばかりではなかったはずだ。それでも変革を成し遂げたということで、結果的に「良かった」とされているのである。

逆に失敗していれば、悪きただの一揆として歴史に記録されただけであろう。

もちろん、若者だけを優遇するだけではなく、それぞれの年配層に見合ったポジションを用意することもまた重要である。

たとえば、年配層は要職だけでなく、アドバイザーやコンサルタントなどの第三者的な意見を述べ、影響を与えるようになるとする。

そのようにすれば、若年層と年配層と意見の違いなどが上手くミックスされ、お互いの立場・意見の安定に役立つのではないだろうか。

そのようにすれば、お互いに意見を述べやすい環境づくりができるはずである。

と思った今日この頃である。