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不器用だからこそ


指先も身体の使い方も人間関係の間の取り方も不器用な私は、俳句、写真、ホロスコープ、タロットカード、夢分析等を継続してはいけるが、その積み重ねの中で深めていくことにはかなり時間がかかる。

言うまでもなく他人の学習速度と自分のそれとを比較すること自体がナンセンスである。
私の場合は、悉くそうであるので、自分自身でも学習パターンが解りやすく、自分なりの速度で深めていければよいと意識はしてきた。

俳句でも写真でも器用な方は本当に見事なくらいに残せるもの(あくまでも自選である)を生んでいく打率が高いのである。
自選なので残す基準も人により異なるであろうが
野球は3割を維持すれば見事であるが、私は1割に満たない。
俳句でも写真でも多作多捨により残せるものを生んでいくことがよく言われるが、私の場合もまさにこれからも多作多捨を繰り返すしかない。

俳句も写真も〇〇賞応募というのは苦手である。
特にホロスコープを学び、他者からの評価・承認を求めるというエネルギーは月星座が働く場合が多く、その承認が得られないことで自己嫌悪に落ちるという落とし穴を意識するようになってからは、より他者からの評価を求めていくことには距離を置くようになった。

アセンダント水瓶座の反骨精神、9室という精神性の学びの領域が蠍座で
そこに海王星がいることで、独りで深く学んでいく姿勢がホロスコープ的でも示されている。

今年、トランジット木星が牡牛座から双子座に移り、表現したものを他者に伝えていくというエネルギーが強まっていく中、私の内側においてもnoteで自分の中で生まれてくるものを表現し、発信していく衝動が高まってきたように思う。

そもそも私のネイタル太陽が3室牡牛座26度で、双子座に近い度数であるので、双子座要素をかなり強いものを含んでいる。
月星座ではなく太陽の衝動を正直に感じて表現していくことで、私の日常の精神的な安定性も高まっている。




悉く人影はなく秋日影

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