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フランダースの犬

50年ぶりに「フランダースの犬」を読んだ。
柳田邦男氏が大人たちにこそ物語や絵本に触れて欲しいと本で述べられていたことがきっかけとなった。
ヤングアダルト向けの書架で見つけた本は文字も大きくとても読みやすく一気に読んだ。

主人公である少年ネロとフランダース生まれの大きな犬パトラッシュの強い信頼関係に今回も心が揺さぶられた。当時は小学生であったと思うが、届いた本を晩御飯を食べずに一気に読んでいた記憶がある。

私は海王星要素が強いので物語の世界に一気に入りこみ、まるで自分も物語の中の登場人物のような感覚になって読み進んでいく。読み終わった後はしばらく茫然として余韻に浸り現実世界になかなか戻れないことが多い。

今回、改めて読んで気がつかされたことは、村の権力者に嫌われたくないという理由で村人がミロとパトラッシュを無視していく構図は、現代社会でのいじめの構図と同じであることである。

 絵の好きなミロは教会のキリストの絵を見たくても見れるだけのお金がない中、最期に教会の開いていた扉からは入れて長年の願いであったキリストの姿を拝むことができた。

主人公のミロは実親からは離されて貧しい祖父に育ててもらったのだが、貧しい暮らしの中、社会や村人のせいにするのでもなく、限られたお金で画材を求めて絵を楽しみ、教会のキリストの絵を一目見たいと願いつつ、暮らしてきた。

その水瓶座的な純粋な精神性と海王星的な深い信仰心に満ちた暮らしを通してミロの意識が変わっていく過程が描かれている。
パトラッシュは子犬のときにミロに看病してもらって命を助けてもらったという原点があり、ミロを探しに吹雪の中を進んでいった。
物語を通して伝わってくる普遍的な純粋性、信仰心は言葉での説明や理屈を越えて読後の余韻として読み手の胸に沁み込んでくる。
柳田邦男氏が星野道夫のエッセイや物語や絵本を通して大人にこそ読んで欲しいと語っておられるのは、まさにこの部分ではないだろうか。

柳田邦男氏自らが訳された「ヤクーバとライオン 勇気・信頼」の2冊を紹介したい。
この本もヤクーバという少年とライオンのリーダーとの信頼関係が底辺に流れている。
ヤクーバの民族として一人立ちしていくためのライオンとの闘いと村の牛を襲うライオンと闘わなければならないという責任。
そして人として背負わざるおえないものの存在とそれを越えた意識のレベルでの誇り、美学のようなものとの葛藤。


言葉でそれをさらに説明したり解説すればするほど野暮になってしまうが、
人としての誇り、美学ともいえるものは人それぞれの人生観や価値観により濃淡はあるだろうが、忘れてはならないものが流れていると思う。

ヤクーバとライオン(勇気)

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000208529

ヤクーバとライオン(信頼)

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000208533


最後に柳田邦男の「自分を見つめるもうひとりの自分」という33話からなるエッセイ集を紹介したい。
大切な人を失い絶望感に打たれているとき、物事が思うように進まず八方塞りになった場合でも生きていることの素晴らしさを寄り添うような形で語りかけてくる。柳田氏ご自身が息子さんを亡くされたというご経験があるからこそ深い悲しみに対して寄り添うことができるのではと感じた。
柳田氏のご趣味は雲の写真を撮影することで、本書においてもその雲の美しい流れと広がりがこわばった感情をゆるやかにしてくれる。


https://books.kosei-shuppan.co.jp/book/b274445.html



私も最近、ふと雲のかたちや模様、色合いを眺めることが増えてきた。
雲が龍や動物に見えたり、天使の梯子や夕日によるグラデーションで言葉にならない美しさに息をのむことがある。
日の強さや時間、風の向き等で雲は瞬時に変化していく。
まさに一期一会での出会いではないかと思う。

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初蝶や八番書架に春と修羅

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