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意識と自我


 中学の頃、たびたび部屋の天井を見つめながら、死を迎えたらこうして今考えている自分の意識はどうなるのだろうかと考えていた。月星座により善悪や悲しみ、怒りの感情や葛藤が生まれている自分とそれを俯瞰しているもうひとりの自分。自我は善悪や他者との比較に振り回され、意識はそんな自身を俯瞰してみている存在。                

愛先生のこの動画を見るまではこの違いを理解できていなかった。この違いを理解できたことは、長年、何故、悩むのか、苦しませるものは何なのか探求してきた私にとって大きな福音となった。この動画は、ちょうど私の誕生日に放映され、私へのギフトとなった。

 自我と意識。月星座の働きにより葛藤や自己否定の感情が生まれた場合、それをもうひとりの自分がただ観ることにより月星座の働きは消滅する。ただ観るという状態こそ喜びの源泉でありエネルギーが生まれる瞬間と愛先生は語られている。このことは、月星座の働きをもうひとりの自分が意識することで、太陽や他の惑星が輝き出していくことを意味している。                              

 動画で語られる意識は永遠性のもので、集合意識とつながる。永遠性、集合意識という言葉は、よくスピリチュアルな本などでは語られているが、実感が伴うものしか信じてこなかったので、長年、ぴんときていなかったが、惑星のエネルギーがサイン(星座)というフィルターを通して現実世界のひとりひとりの感情や行動に反映されているという事実を知ることを通して腑に落ちるものがあった。

 昨年末頃から、時計を見ると22:22、前の走る車のナンバーが2222というような場面が、不思議なくらいに繰り返された。最初は単なる気のせいと受けとめていたが、さすがに何度も遭遇するので自分自身への1つのサインであると受け取めた。ちなみに2222又は22はエンジェルナンバーでは「自分を信頼する」というメッセージ。自分を傷つけやすく、自分をなかなか愛せない私への貴重なメッセージであると受け止めた。

 ちょうど天体(トランジット)の月星座が獅子座新月となった。新月は月のエネルギーが弱くなるので獅子座太陽のエネルギーが発揮されやすい。 

 先週からnoteを初めて、まだ試行錯誤の連続であるが、息を吐けば自ずと息が入ってくるように投稿すると次に表現したいことが浮かんでくる。それを言葉にしていくことをただ楽しんでいくことに尽きるのだろう。          note内での句会の開催の案内を目にしたので、さっそく参加した。そこでは俳句を楽しみ、俳句を通して人と繋がることを楽しんでいる雰囲気が溢れていた。


つゆ草や偽りのなきことを言ふ


https://youtu.be/g2lE8vAfQmE



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