仮面ライダーゼロワンから感じた(深読み?)社会的テーマについて

ふと思ったのですが仮面ライダーゼロワンは(各話の脚本の甘さはひとまず置いといて)重大な社会的テーマを描いているのではないでしょうか。

作品終盤においてゼロワンの敵である“アーク”は人間の悪意によって構成され、それ故に人類の滅亡を企むストーリーが展開されています。
これって実は今の社会に対するアンチテーゼではないのかと感じます。

仮面ライダーゼロワンにおける人間の「悪意」とは何を指すのでしょうか?

実社会において街頭でのヘイトスピーチやネットにおける誹謗中傷の拡散。それを否定し、批判を続け、行動する人たちがいるというのに一向に無くならない。

そうした悪意を滅ぼすには、悪意には悪意を以て対抗すべきなのか?

8月23日放送回では“ヒューマギア”が人権を求めるデモと、デモを“暴徒”として弾圧する人間の対立、デモ隊の説得を試みる人間やヒューマギアが描かれていました。
それはまさに現代社会が抱える差別や民主化弾圧を想起させます。

主人公がアークによって悪意を持つ仮面ライダーに変わってしまったことは、善良な人間の内に潜む「別の悪意」を描いているのではないでしょうか。
そんな「別の悪意」はやはり否定されるべきで、悪意に対抗するのは別の悪意ではなく「善意」だと解釈しました。

そして「こじ開けられないものは何ひとつねえ!」という不破のセリフは、現実に差別や弾圧、誹謗中傷や嫌がらせを否定し抗う人々の感情を代弁する叫びではないでしょうか。

惰性で見てきた「令和最初」の仮面ライダーゼロワンに、そんな大きなテーマが隠されているとするのは考えすぎでしょうか。

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