機織りと詐欺師とボストンテリア #12
最近ストレスが増えた。平日はイライラと落ち着かずに仕事をし、休日は昼過ぎまで眠って過ごす。あまり良くない兆候だ。
こんな時はゆっくり休んで心を落ち着けたい。その一方で、何か新しい遊びもしたい。
その両方を同時に満たせる遊びを見つけた。機織りだ。
機織り教室は根津の住宅街にあった。
出迎えてくれたのは織物作家の先生と、店長犬の「キュウ太」。
先生はおだやかな顔つきの女性で、ゆっくりと喋る人だった。
キュウ太店長は大きめのボストンテリア。12歳のおじいさん犬で、しっぽを振って歓迎してくれた。
店の奥に案内されると、テーブルの上に小さな織り機が置いてあった。
「今日はこれを使ってコースターを2枚編みます」
先生は織り機の使い方を教えてくれた。
機織りのやり方は実にシンプルだ。まず、まっすぐ走る縦糸に横糸を通す。通した横糸は「綜絖(そうこう)」というクシでカタンと固定する。これで一編みが終了。あとはそれを交互に繰り返すだけで、コースターが自然と編みあがっていく。
実際にやってみた。最初はぎこちない手つきだったが、すぐに慣れた。糸を織る時のカタカタ、パタンという音が心地よい。
店内は静寂そのもので、ラジオの音声以外は何も聞こえない。心地よい静けさが集中力を高めてくれた。
コースターを編んでいくうちに、だんだん動作が自動化していくのを感じた。
すると不思議なことが起こった。手は動くのに意識は空っぽになっていき、雑念やストレスがどんどん洗い流されていくのだ。まるで座禅でも組んでいるような気分だった。
ときおりお客さんが店を訪れる。教室は雑貨店を兼ねており、衣類やアクセサリー、食器などが販売されているのだ。
先生はお客さんと楽しそうに会話をした。日常の話、織物の話、キュウ太店長の話……
何か商品が売れると、先生は商品を包みながら
「今、ひそかにキュウ太キャンペーンというイベントを開催しておりまして。千円以上お買い上げのお客様には、こちらのキュウ太カードをお渡しします。このキュウ太カードを10枚集めるとですね……」
というセリフを口にした。それが来客のたびに繰り返されるので、面白くて自分も覚えてしまった。
お客さんが店を出ると店内に静寂が戻ってくる。
ああ、なんて平和なんだろう。糸を織りながら過ごす昼下がり。すべてが調和に満ちていて、心を乱すものは何もない。
平穏が破られたのは2枚目のコースターを編んでいた時のこと。
先生の電話に着信があり、彼女は席を外した。しばらくして戻ってきた先生は明らかに動揺していた。
「今、警察から連絡があって。お店に来た詐欺師が逮捕されました」
突然の発言に思わず耳を疑う。
先生は事の経緯を説明してくれた。
ある日の夕方、お店に50代ぐらいの男性がやってきた。
感じの良い紳士だった。彼は道玄坂に北米レストランをオープンする予定で、店の雰囲気に合ったお皿やカトラリーを探しているという。
「プーティンっていう料理を知ってる? カナダやアラスカの料理で、ポテトにチェダーチーズを乗せて焼いて、ケチャップで食べるんだよ」
男は楽しそうに語った。そしていくつかのお皿の取り置きを頼むと、
「今日の夜、神戸でお店を開いている友人に会いに行くんだ」と言って去っていった。
30分後、男は慌てた様子でお店に戻ってきた。そして
「今日は車で来たのだが、車内に財布を忘れてしまった。このままでは約束の時間に間に合わない。どうか神戸までの交通費を貸してほしい」
と言い出すではないか。
当然先生は拒否するが、彼は持っていた保険証のコピーを渡したり、携帯の番号を教えたり、借用書を書いたりと、あらゆる手で粘ってくる。
しぶしぶながらお金を渡すと、男は感謝の言葉を述べ、あわてて出ていった。
その後、男はお金を返しに戻ってきたか? 来なかった。
男から教わった番号に電話をかけるも不通。こうして悪質な寸借詐欺が判明したのだった。
先生は警察に相談に行った。そして今日、男が逮捕されたという。
「もう本当にひどいやつなんですよ。詐欺師のクセに良い人ぶって……」
先生の話があまりに奇想天外なので、まるでフィクションの世界に迷い込んだ気分だった。
ちなみにその男は筋金入りの詐欺師のようで、ネットにはいくつもの被害者の声が上がっていた。
ある時はドッグカフェのオーナーになりきり、先生の時と同じ手口で寸借詐欺を行った。
またある時はミュージックカフェのオーナーのふりをし、楽器屋から借りたギターを質屋に売ってしまうという。何度捕まっても詐欺行為を繰り返す、生まれつきの詐欺師なのだ。
機織り作業を再開したわたしは、ついに2枚目のコースターが完成させた。機織りを始めてから4時間が経過していた。
コースターはそれぞれ赤と白、青と白のチェック模様になっている。よく見ると編み目が雑になっている部分もあるが、そこがかえって手織りの温かみを感じさせる。
コースターは会社に持っていき、ムーミンのマグカップを敷くのに使った。ムーミンの牧歌的な雰囲気と、手織りのコースターの相性はばっちりだった。
体験のあとは雑貨スペースを物色。ヒノキのフレグランスオイルを購入した。
先生はオイル瓶と一緒にキュウ太店長のカードを包むと、
「今、ひそかにキュウ太キャンペーンというイベントを開催しておりまして……」
と、お決まりのセリフを口にした。わたしが残りの部分を暗唱してみせると、先生は笑った。
お店を出るとまぶしいほどの夕陽が目に入ってくる。
わたしは大きく伸びをすると深呼吸した。ただ機織りしていただけなのに、身も心も生まれ変わったような気持ちだ。
「今日あった出来事を誰かに話して、本当だと信じてもらえるかな」
小さな織物教室を舞台に、ボストンテリアや詐欺師が登場するドタバタ喜劇。まるで作り話みたいな一日だった。
その後、織物教室は根津に移転した。そしてキュウ太店長は天国でお休みを取っている。
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