コロナが不安な時は「ムーミン谷の冬」を読もう
多くは書きませんが、コロナウィルスのことを考えるといつも将来が不安になります。
この見通しの立たない状況で励ましになるような本はないだろうか?
ふと、トーヴェ・ヤンソン著「ムーミン谷の冬」が、このコロナ禍と同じような状況を描いていたことを思い出しました。
ぞっとする冬の世界
「ムーミン谷の冬」のおはなしは、冬眠中のムーミンがうっかり目覚めてしまうところから始まります。
初めて見る冬の世界は、ムーミンにとってぞっとするような景色でした。
(以下の文章の引用元:『ムーミン谷の冬』ヤンソン作、山室静訳、講談社、2011年)
「ところがいまは、すっかりようすがちがっていました。(川が)まるで黒くなって、よどんでいるのです」
お月さまがしずんでしまったので、何もかもまっ黒に見えました。
このように「黒」という言葉が多用されており、挿絵もほとんど真っ黒。
ムーミンの孤独感がひしひしと伝わってくる情景です。
ムーミンはそんな世界を前に、
「ママ、起きてよ」
(中略)
「世界じゅうが、どこかへいっちゃったよ」
これは死んでしまったんだ。ぼくがねむっているあいだに、なにもかも死んでしまったんだ。この世界は、きっと、ぼくの知らない、だれかほかのやつに、占領されちまったんだろう。きっと、モランのしわざだぞ。もう、この世界は、ムーミンのものじゃないんだ。
と悲嘆にくれます。何が起きたのかもわからず、この状況がいつ終わるのかもわからない状態。
子どものムーミンにとって、その心細さ、物悲しさはどれほど深かったでしょうか。
ちびのミイの適応力
ムーミンと同じく冬眠していたちびのミイですが、彼女もふとしたきっかけで目を覚ましてしまいます。
彼女も初めて冬を体験するわけですが、その反応ぶりはムーミンと対象的でした。
初めて雪に覆われた世界を見たミイは
「そうだ、いいことを思いついたわ」
と叫ぶと、ぴょんとはねて、すべすべした氷の坂を、ジグザグにすべりおりました。
ミイは冬をすぐに受け入れて、その場で楽しむ方法を会得するのです。
ムーミンと再会した時のやり取りがこちら。
「ちびのミイ・おまえにゃわからないだろうけれど……ぼくはとってもさびしい、へんな気持ちになっていたんだぜ……去年の夏、きみが……」
こういって、ムーミントロールがはなしだしたとき、
「だけど、いまは冬ですよ」
こういってミイは、雪の中から、銀のおぼんをひっぱりだしながら、いいました。
「どう、すばらしいジャンプだったでしょ?」
嬉しさのあまり話しかけるムーミンに向かって、
「だけど、いまは冬ですよ」と言い放つミイ。このセリフはこの本でも1,2を争う名言だと思います。
「どんなに辛くても、冬は冬なんだからしょうがないじゃない」という、ミイの楽観さと対応力がとても表れていると思うのです。
冬を生きるもの。「おしゃまさん」の存在
ムーミンは冬の間、自分と考え方や生き方の異なる生き物と出会います。
中でも重要なのが「おしゃまさん(トゥーティッキ)」の存在。
彼女は物事や価値観を定義しません。その白黒をつけない物言いは、ムーミンの考え方に大きく影響を与えます。
「(前略)わたし、北風の国のオーロラのことを考えてたのよ。あれがほんとうにあるのか、あるように見えるだけなのか、あんた知ってる?
ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなのよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね」
「雪のことを話してくれない? ぼくらは雪のことは、ちっとも知らないんだもの」
(中略)
「わたしだって、知らないわ」
と、おしゃまさんはいいました。
「雪って、つめたいと思うでしょう。だけど、雪小屋をこしらえて住むと、ずいぶんあったかいのよ。雪って、白いと思うでしょう。ところが、ときにはピンク色に見えるし、また青い色になるときもあるわ。どんなものよりやわらかいかと思うと、石よりもかたくなるしさ。なにもかも、たしかじゃないのね」
辛い時、困難な時、物事を
「あれが悪い」
「わたしが辛いのはあいつのせい」
という風に決めつけてしまいがちです。
でも、おしゃまさんの「物事を決めつけない」考え方は、辛いときに役に立つと思うのです。
実際、ムーミンは彼女の考え方にふれることで、徐々に冬を受け入れることができるようになります。
また、ムーミンと価値観の全く違う人達(すがたの見えないとんがりネズミ、ご先祖様、ヘムレンさんなど)とも仲良くなる方法を身につけるようになるのです。
春の到来
やがて、ムーミンの待ちかねていた春が訪れます。
その頃には、ムーミンの冬に対する心境も変わり始めているのでした。
たとえばムーミンが空から降る雪を初めて見た時のシーン。
いつのまにか、空気がやわらいできました。ふりしきる雪で、あたりはなにも見えません。ムーミントロールは、いつでも夏に海にきたときに感じるのとおなじ、あのうっとりした気持ちに、ひきこまれていきました。彼は雨がっぱをぬぎすてて、雪だまりにごろりんとねそべりながら、考えました。
(これが冬か。そんなら、冬だってすきになれるぞ)
と、冬を受け入れ始めています。
また、春の嵐に襲われて遭難しかけた時も
(こいつは、このまえの夏とおなじことだぞ。あのときも、はじめは波にさからっていたけれど、くるりとむきをかえて波にのったら、水しぶきの中にかわいいにじをいくつも見ながら、まるでコルクみたいに、かるがると流されていったっけ。そして、げらげらわらいながら、すこしはスリルもあじわって、砂浜へうちよせられたんだ)
(さあ、いくらでもおどかすがいいや。もう、おまえのやりかたはわかったぞ。わかってしまえば、おまえも、ほかのやつと似たものさ。これからは、もうだまされないよ)
と、自然の厳しさに耐え抜く意思を身につけているのでした。
そして物語の終盤。ムーミン屋敷を覆っていた雪が解けたため、彼は冬のあいだ閉ざされていたドアを開放します。
ムーミントロールは、入り口のドアのところへいって、おしてみました。すると、いくらかうごいたような気がしました。そこで、足をふんばって、ありったけの力でおしこくりました。
(中略)
「いまこそ、ぼくはのこらず知ったわけだ」
と、ムーミントロールは、ひとりでつぶやきました。
「ぼくは、一年じゅうを知ってるんだ。冬だって知ってるんだもの。一年じゅうを生き抜いた、さいしょのムーミントロールなんだぞ、ぼくは」
ムーミンがついに冬を征服したシーン。
最初は一人ぼっちでめそめそしていたムーミンが、冬の終わりを見届ける姿はとても印象的です。
このシーンの挿絵はぜひ実際に見てもらいたい一枚。真っ暗闇の中、ムーミンがドアを開け放つ姿はとても頼もしく見えるはずです。
そして春を迎えたムーミンは、こんなことを考えます。
もう春がきたのです。しかし、彼の考えていたのとは、まるっきりちがっていました。
彼は考えていたのですーー春というものは、よそよそしい、いじのわるい世界から自分をすくいだしてくれるものだと。ところが、いまそこにきているのは、彼が自分で手に入れて、自分のものにしたあたらしい経験の、ごく自然なつづきだったではありませんか。
ムーミンは「春というものは、辛い冬から自分を救い出してくれるもの」だと信じていました。でもそれは違いました。
春というものは、冬の延長線にあるごく自然な存在だったのです。
この先の見えないウィルスの蔓延も「急に何もかもすっぱり収まる」のではなく、
「自分たちが知っている世界の、ごく自然なつづき」として、徐々に日常が戻ってくるのではないか。そう信じさせてくれる文章です。
ちなみに物語の終盤の挿絵は、白い光にあふれた、美しい情景がたくさん描かれています。
見ていると希望に満ち溢れた、明るい気持ちになれること間違いなしです。
物語の最後は、次の文章で締めくくられます。
ムーミントロールは、じっと目をとじて、氷がむこうの暗い水平線のほうまでつづいていたころのことを、思い出そうとしました。
過ぎ去った冬のことを思い出すムーミン。ゆっくりと、でも確実に冬が終わったことを感じさせる素敵な文章です。
コロナと冬は同じじゃない
当たり前のことですが「コロナウィルスの蔓延」と「冬の到来」は次元の違う問題です。
冬は時間さえたてば終わるもの。でも、ウィルスの蔓延は先の見通しがつきません。
でも、いつ終わるかもわからない過酷な世界に、一人ぼっちで放り出されたムーミン。
様々な人達と助けながら冬を乗り越える姿には、見習うべきことがたくさんあります。
また、ちびのミィのようにすぐに現状を受け入れて、その状況を楽しんでしまう人もいるのです。
わたしはコロナのニュースで不安になるたび、まるでお守りのように「ムーミン谷の冬」を読んでいます。
あなたが今、どんなことで不安なのか、どんなことで困っているのかはわかりません。
でも、少しでも明るい気持ちになりたいのなら、ぜひ「ムーミン谷の冬」を一読してみてください。
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