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三兄弟と滝行 #14

わたしには兄と弟がいる。つまり3兄弟の真ん中だ。

一時期は三人とも同じ屋根の下で暮らしていた。休日は登山に出かけたり、ゲームをしたりして遊んだ。

「なぁ、滝行に行かないか?」

兄が変なことを言い出したのは、12月の初旬のことだった。

わたしと弟は「わざわざ冬に滝行? 絶対やりたくない」と反発した。

「俺、気合を入れたいんだよ。それにあえて冬に滝行をやるのって男らしいじゃん」

と兄はしれっと言う。

結局、滝行に行くことになった。男三人が集まって「怖いからパス」とは言い出せなかったし、そもそもわたしたちは変わったことが好きな一族だった。

からりと晴れた空の下、三兄弟は車で奥多摩へ向かった。滝行は御岳山にある宿坊が開催しているという。

「こんなに晴れているなら滝の水も温まってるだろ」と、兄が期待を込めるような口調で言った。

御岳山の登山口に着くと、車を停めてケーブルカーで山を登る。山肌はイチョウやもみじの葉で彩られていた。

昼過ぎに宿坊に到着。部屋の暖房はストーブ1つしかなくて寒かった。

午後3時。滝行の時間になった。

わたしたちが宿の玄関に集まると、神主を名乗る人物が現れた。スーツを着せたらサラリーマンに見えそうな、見た目はごく普通の男性だった。

彼は真冬を除いて滝行を毎日欠かさずに行っているという。そんな生活を送るには、いったいどれほどの鍛錬が必要だろう。

滝行にはもう一組の参加者がいた。若い男性グループで「友達の結婚式の余興ビデオを撮るために来た」という。なんてチャラチャラした動機なのだと三兄弟は呆れた。

一行は山道を歩いて滝を目指した。その間わたしたちはほとんど喋らなかった。

30分ほど歩くと滝に到着。

滝は高さ8mほどで、幅は2mほど。ちょうど人ひとりが滝行ができるほどの大きさだった。

滝の水は岩壁を伝いながらザァザァと流れ落ちていた。自分のイメージする滝というと、水が「ドドドド……」と垂直に落ちるタイプのものだったので、ちょっと期待はずれだ。

「なんだ、ドドドド系じゃないのか」

とわたしが言うと、兄も弟も同じことを考えていたようだった。

三兄弟は滝のそばにあるテントに入ると、用意されたふんどしと白装束に着替えた。兄が

「もし滝行で死んだら、死装束に着替える手間が省けるな」と縁起でもないことを言った。

準備が終わると滝の前に集まり、神主の指導で「禊」という儀式を行った。

まずは滝に祀られている神にお祈りする。続いて 「鳥船行事」と呼ばれる儀式を行う。「エイサ、エイサ」と声を出しながら、船の櫂を漕ぐような動作を繰り返した。

不思議なもので、禊を行っていると滝に打たれる決心がついてくる。そうだ、これは罰ゲームなんかじゃなくて、身を清めるための神聖な儀式なのだ。そう思えば怖くない。

禊を終えるといよいよ滝行本番だ。

まずは神主がお手本を見せてくれた。彼はふんどし一丁になると、ためらわずに滝に身を預けた。そしてしばらく滝に打たれると「えいっ」と印を切った。

続いて兄が滝に打たれ、自分の番がやってきた。

滝の水たまりに足を踏み入れると、あまりの冷たさに足首から先の感覚がなくなってしまった。

滝の隣に立つ。大きく深呼吸すると、えいやと滝に飛び込んだ。

水を浴びて感じたのは「冷たさ」ではなく「痛さ」だった。まるで全身を巨大な手に握りつぶされて、針で突き刺されたような気分だ。

わたしはガチガチと歯を鳴らしながら「祓殿大御神」(はらえどのおおみかみ)という言葉を唱え、身を清めた。

神主が「えいっ」と印を切る合図にあわせて滝から上がった。全身の震えが止まらず、両手でさすって体を温めた。

滝行は1度につき2セット行う。1回でも十分辛いが、2回目はもっと辛かった。

なんとか2セット目もやり遂げると、この日の滝行は終了。わたしたちは服を着替え、歩いて宿坊に戻った。

滝行は今日で終わりではなく、明日の早朝も行うことになっていた。もちろん2セットで。

今回は夕方だから水温も上がっていたが、早朝はもっと冷たいだろう。今度こそ本当にショック死してしまうかも。三兄弟は憂鬱な気持ちで夜を過ごした。

滞在2日目。早朝にわたしは目を覚ました。滝行の集合時間というのもあるが、部屋があまりにも寒かったというのもある。

三兄弟は神主とともに滝へ向かった。結婚式のビデオを撮りに来たグループは、体調不良を理由に来なかった。

わたしたちの足取りは重く、気分は処刑所へ向かう死刑囚のようだった。御岳山の朝は凍り付く寒さで震えが止まらない。

また、朝から何も食べていないため、いくら歩いても体温が上がらないのも辛かった。

やがて、遠くから「ザァザァ……」という水音が聞こえてくる。ああ、ついに到着してしまった。

三兄弟は昨日と同じように白装束に着替え、禊を行う。そして再び滝に打たれる時が来た。

わたしの番が来たので、水たまりに一歩足を踏み入れる。ドライアイスにふれた時のような、焼けるような痛みを感じる。

怖い、逃げたい。それでもやけくそで滝に身をゆだねた。

滝に打たれた瞬間、心臓がどくんと跳ね上がった。そのまま鼓動がどんどん早くなり、脳が危険信号を発しているのがわかる。

すると奇妙なことが起きた。目の前を流れ落ちる水滴の一粒一粒が、スローモーションで見えるのだ。時間が極限まで圧縮され、一秒が無限の長さに感じられた。

永遠にも思える時間が過ぎると、神主の「えいっ」という合図で滝を出る。体中が冷え切っており、皮膚の感覚がない。かろうじて骨が発する熱だけが感じられた。

2セット目が正真正銘最後の滝行だ。わたしは覚悟を決めて滝に打たれた。

こうして三兄弟は見事に冬の滝行を完遂した。

宿坊に戻ると女将さんがお風呂を沸かして待ってくれていた。湯船につかると、骨の髄まで凍えた体が一気にほぐれるのを感じる。

三兄弟は「冬の滝に打ち勝った」という達成感と共に御岳山を後にした。

滝行を行った翌年、兄は結婚して家を出た。後年、弟もそれに続いた。

もう三兄弟で遊ぶことはなくなってしまったが、たまに当時を思い出して懐かしくなる。

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