人間とAIのちがいは「血」なんだと思う。という話。

こんばんは。竹内順平です。

はじめてのnoteです。こうやって自らテーマをフリーで考えて文章での発信をするのもはじめてなので、なにやら変にそわそわしています。

いつも梅干しの話しかしていないので、noteではなんとなく思っていること、考えていることを梅干しだけに絞らずに書けたらと思っています。が、どうせ梅干しの話になってしまうとは思います。

ぼくは普段「梅干し」に着目し、梅干しでいろいろなイベントや商品を企画することを生業としています。活動は2014年の4月からはじめ、2016年10月に法人化。今年の3月にいよいよ「立ち喰い梅干し屋」というお店を東京ソラマチにオープンしました。

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しかしながら、コロナの影響で休業。予定されていたイベントはもちろん中止。なにやら雲行きがあやしい展開のなか、ここ1ヶ月はひたすら書類を書いているような毎日です。区のあっせんを申請して銀行への融資のお願い、持続化給付金、休業協力金、雇用助成金(こいつが1番やっかい・・・)。これらはどうして同じ書類でできないのか!?こんなにデジタルが発達しているのになぜだ?なぜなんだ?と毎度イライラしながら何枚も同じような内容を記載しては、押印職人として情熱大陸に出演できるんじゃないかと思うほど何度も書類に押印し続けています。それに加えて利益をなんとか出せるようにECサイトの強化を並行して進めないといけない、さらに先のことも考えなきゃいけない、もう頭の中は自分でも何を考えているのかわからなくなってます。

そんな毎日をつづけていると、「自分が本当にやりたいことってなんなのか?」ということをあらためて自問自答しはじめます。もちろん今を乗り切らなくてはいけないので、そんなことを考えている場合ではないのかもしれません。でも、なぜか考えてしまう。

そもそもぼくはwebといいますか、デジタルにうんと疎い人間です。仮にコロナが収まらずにこのままの状況が続くなら、いまの稼ぎ方はECサイトを中心にしていかなくてはいけないでしょう。そうなったときに、本当にこれで人生が終わっていいのか?webで梅干しを買ってもらう方法だけを考え、webで梅干しを売って生きていく。まったく悪い生き方ではないんですけど、「本当にやりたかったことなのか?」ということを考えてしまいます。

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話は変わりますが、ここ数年、AIについてのニュースがたくさん耳に入ってきます。主に「人間の職を奪う」というような内容ですけど、AIロボットってどこまで成長するんですかね。計算や記憶は絶対に人間より優れているし、動きだって今はヨボヨボ歩きのロボットの動画とかを見ますが、いつか人間を超える日なんて当たり前のようにくることでしょう。7年前ぐらいのNHKの番組で、すでにAIが斬新な料理のレシピを作っている映像も見たことがあります。7年前ですからね、今は確実にもっとすごいことができているんだと思います。ぼくにはまだ情報が入ってきていないだけで確実にAIの世界は進化していることでしょう。

ぼくは予言者でも占い師でもないのでどこまでAIが進化するかはわかりませんが、想像のなかで1つだけ自分なりの仮説を持っています。人間とAIの行き着く先の違い。それは「血が流れているかいないか」です。極論ここの差でしかなくなる。そんな未来も十分にあり得ると思っています。今のところロボットに血液を通わせる必要は確実にありませんから、そんなロボットが生まれることはないでしょう。ロボットのための献血なんてまったく想像できませんしね。

そう仮説してみたときに、昔の人がつくった「血が騒ぐ」という言葉はとても不思議な言葉だと思ったのです。この言葉を使うような場面で本当に血が体内で暴れまくったのかといわれれば、そういうことではないと思います。でも、「血が騒ぐ」という感覚ってなぜかわかります。

お祭りに参加したとき。おもしろい芝居を見たとき。頑張っている人を見たとき。おいしいものを食べたとき。まだまだあげればキリがないですが、とにかく「騒ぐ」でなくても、「通う」とか「巡る」とか、見えないけれど体で感じる「何か」というのはあると思います。

血筋とかもそうですけど、「血」に関して、人は昔から大切に考えてきたはずです。いまでも「血と汗」なんて言葉をつかったりします。「熱血」なんて言葉もおもしろいなと思います。人間にとって大切な「血」。それは赤い液体としての具体的な「血」もしかり、もっとひろい感覚的な「血」。

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極論、この「血」というものの大切さと意味はAIにはわからないと思います。そう思ったときに、ぼくはやっぱり「血が騒ぐこと」をやりたいんだと強く思いました。血が通っているものをつくりたい。じぶんが作ったもので他の人の血を騒がせたい。

きっとぼくが梅干しに着目できたのは、梅干しに血を騒がせる何かがあると信じられたからです。必ずある。それを具体的に言葉にするのは7年たった今でもできずにいます。ただ、必ず遺伝子レベルでロボットにはわからない魅力が梅干しにはあると思っています。そう勝手に信じています。

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今、コロナのせいでいろいろなことを人間全員が我慢している状態です。このままでは世界が変わってしまうとさえ思い始めますが、やっぱり「血が騒ぐ」ことを人間は食欲や性欲などと同じように求めるのではないかと思っています。

そして、これからのために、未来のために、自分自身に問い続けます。

「お前がつくっているものには、ちゃんと血が通っているのか?」と。

これからの日々とともに考えが右往左往するのかもしれません。でも、これを基準に、軸にして、ものづくりができるように精進したいと思います。

あ、ちなみに、もし未来のAIが「血」に関しての感覚をわかるようになったら、それはもう、人間とAIに「友達」という関係性が成立する、もしくは成立している未来なのかも!?

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