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他言語での生活で感じた幸福に必要な能力

デンマークに来る前に、ある程度英語を勉強したので、外国人と話すこと自体そこまで困らないと思っていた。実際、思ったことが綺麗に言えなかったり、何回か聞き返すことはあっても、さっぱりわからないことや、全く伝わらないことは少しずつ減ってきた。

そんな生活を1ヶ月、また3週間のフォルケホイスコーレ(デンマークの学校)で続けて英会話について気がついたことがある。そして、それを幸福のために必要な能力と関連づけて考えてみた。

英会話で必要な能力は英語で自分の考えを表現する英語力だけではなかった。それを話そうとする社交性も必要であった。日本で良く言うコミュニケーション能力である。一見すると、大した気づきでないように感じるが、英語力を課題の全てだと考え、新しい表現を覚えたり、スマホでひたすらシャドーイングをしていた自分にとっては盲点であった。

自分の人生を振り返ると、友人と過ごす時間は多かったものの常に内向的で、新しい友人を作ったり、出会ってその日に仲良くなることはなかった。そんな自分なので、一通り全員とは話したが同時に入った生徒と比べると周りとの親密度は低いように思う。誰かに話しかけるか迷ったり、まだ仲良くない人と二人で話すことを避けたりする。

これは結果的に英語が話せないことと同値であり、会話における社交性の重要さに改めて気がついた。それはつまり、外国人と良い人間関係を作れないことを意味する。いつも話題が絶えない人やユーモアのある人、人当たりの良い人を羨んだ時期もあったが、それは一つの個性として認識し、そこまで重要視はしていなかった。しかし、今では一つの重要な能力として身につける価値があると感じる。

その理由は英会話という観点ともう一つ、良い人間関係が幸福に最も影響のある要素だと考えているからだ。これはいくつかの研究でも発表されているが、自分の経験としても良い人間関係の中で過ごす時間が長ければ長いほど、生活全体の幸福感が得られると感じている。

今まで、社会構造から全体の幸福度を上げる方法を考えていた自分にとって、幸福が社交性という個人の能力によって左右されるという観点に注目したのは初めてだった。個人の能力によって差ができることは不平等さや格差を連想するため、幸福の議論にはなんとなく持ち込みたくなかったからだ。加えて、個人差のあることを全体の幸福に関する議論に持ち込んでも拉致があかないと思っていた。しかし、今では個人の能力も一つの分析対象にすべきだと感じる。

では、デンマーク人は社交的な人が多いかと聞かれたらそうではない。もちろん社交的な人もいるが、シャイなデンマーク人もたくさん知っている。しかし、デンマークにはその社交性の能力の格差を埋める仕組みがある。簡単に集まってお酒を楽しめる広いスペースや広い公園、お酒のために考案された誰でも楽しめるゲーム、無料で楽しめるサッカー観戦のビックスクリーン、その後の市民の熱狂、パーティーの文化、綺麗なビーチ、カヌーなど、誰でもお金をほとんど使わずに楽しい時間を共有することができるきっかけが街のいたるところに散りばめられている。日本で生活している人にとっては想像を絶するほどいたるところにあるはずだ。

今回は社交性の向上方法の考察はしなかったが、個人の能力による幸福も、デンマークのように第三者がサポートすることができる、なんてことを最近考えました。

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