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デジタル化によって何が失われていくのか?

今回のテーマ

幸福の国デンマークでのインターン中に幸福とは何かをブログを通して考える。今回のテーマは社会がデジタル化した時に失われるものは何か?という疑問
デンマークは世界で最も電子化の進んだ国で、さまざまな行政サービスがデジタル化されていることでも有名である。

題材のニュース

そんなデンマークのコロナに関するニュースでこんなニュースを見つけた。(閲覧注意)

変異ウイルスの検出によって国内のミンクが全て殺処分された。
ミンクを初めて写真で見た私は、こんなにも可愛い無垢な動物たちが殺処分された現実をしばらく受け入れることができない。
きっとコロナウイルスに便乗したフェイクニュースだと思い、他の記事も探し回ったがデンマークの首相が殺処分された農場を訪れ涙を流す記事に辿り着いたときに本当なんだと受け入れた。

政府の行動にも正義があると理解していたが、ミンクを人間に置き換えたとき大量虐殺は絶対に起こることはないだろうと想像し、人類の独善的行動、人類至上主義的な政府の決定に腹が立った。
事実この報道は世界中で議論が巻き起こり、批判された。

なぜ腹が立ったのだろうか?

しかし、しばらくしてこんなことにも気がついた。
もしミンクではなく蚊のような虫が殺処分の対象だったらこんなにも物議を醸しただろうか?

この疑問が浮かんだ時、自分の怒りの原因が “ミンクが可愛くて、赤い目がどこか愛おしく、フワフワな毛並みが気持ち良さそうで愛らしいからだ。” ということに気がつく。

このことは他にも当てはり、例えば南極のシロクマが絶滅しないように地球温暖化を食い止めようとする考えに至るのは、シロクマが無垢で、可愛くて、フワフワで気持ち良さそうだからではないだろうか?
これが例えば、南極圏の微生物が絶滅してしまうから温暖化を食い止めようというキャッチコピーが発表されたならば、今のように温暖化を食い止める世界的センセーションは起こったのだろうか?

このニュースで感じた危機感

私はここで、「ミンクに共感した人は、結局はミンクが可愛いからで、これも政府と同じ人間の独善的な感情に起因することであった」と批判したいわけではない。
そうではなく、そのような可愛いから守りたいという感情を無視することさえも正当化されていくことへの危機感を覚えたのだ。

変異ウイルスが検出された時に、人間を守るためミンクのデータが集まる。
しかしそこには、可愛さや優しい毛並みの感触、命の感覚などは計上できない。
そこに見えるのは人間の命を守るための論理(ロジック)と論理を成立させるための数値である。
微生物も虫もミンクもシロクマもデータ上では同じように扱われる。

人間を守るならば動物を守るべき。動物を守るならば虫も守るべきだという議論ではない。
データによって可愛い動物すらも守ることができなくなることが問題なのだ。
私たちが直感的に守りたい、大切だと思うことがデータによって捨てても良いことが証明される。
さらにデータによって導かれた結果の間違いを証明できない場合、ミンクを殺すような論理自体も次第に人々に内在化し当たり前になっていくかもしれない。

デジタル化で失われるもの

将来、完全にデジタル化した世界に今感じるような慈悲や共感、喜び、怒りは存在できるのだろうか??
大切で守りたいという気持ちを持てるのだろうか?

幸福のテーマに遠からず関わってくるテーマであると思った。

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