見出し画像

(前編)帰国子女が英語ができるようになるまでの話

記事の長さ:5分。

かつてないほどに国際社会になり、英語を教えたい・海外で子供を育ててみたいと思う親御さんは多いのではないでしょうか?でも実際に帰国子女や海外で育つ子供ってどのように感じ、考え、育つのだろうかということを考える方が少ないように感じます。おこがましいですが、1帰国子女として、考え・感じたことを共有させて頂きたいと思います。

私は15年程度米国で育ちました。子供のころから社会人までがっつりアメリカンな生活を送ったものの、故郷へのあこがれを抑えきれず日本に帰国しました。

日本で帰国子女として生きていると、「英語が喋れて羨ましい」、「かっこいいなー」、「帰国子女は優秀な人が多い」などの嬉しい褒め言葉と、妬みも含む「そりゃ海外で育ったら有利だよね」、「環境に恵まれただけじゃん」、「帰国子女ってなんか偉そうで苦手」という心のない言葉の両方に囲まれることも多々あります。

中には帰国子女のアメリカナイズされた性格を敬遠する方もいらっしゃいます。芸能人でいえば河北麻友子さんが典型的な例でしょうか。でもあの方は多分半分以上キャラ作r・・・おっと。

私も日本で数々の帰国子女とお会いする機会がありましたが、確かに共通してる要素があります。ちょっとパリピな雰囲気がでること、臨機応変であること、自分自身についての考えがあること、習得能力が高いこと、などです。どうしてそうなるのでしょうか?私は単純な話ではないと考えています。

自分の話をベースに書いてしまい恐縮で、必ずしも全員がそうとは限りませんが、帰国子女の方々は共感していただける部分があると思っています。

言語の壁は皆最初は一緒

皆さんは授業中トイレに行きたくなった時、手を挙げれば行けた方は多かったのではないしょうか?厳しいところはそれすらも許されないかもしれませんし、恥ずかしくて手を挙げられない子もいるでしょう。

でも手を挙げたくても、挙げることすらできない子供がいました。

そう、「トイレに行っていいですか?」、「トイレの場所はどこですか?」が英語で言えないのです。

突如として米国に行くという父の言葉にいざなわれ、当時は英語学習なんて主流でもなく、異国の地で何を言っているのかも分からず、トイレに行きたいなんてフレーズ覚えられるわけもなく・・・授業中は途方に暮れ、ひたすら我慢をする日々が続きました。

まあ、トイレを我慢するだけなら百歩譲っていいでしょう。休み時間にダッシュすればいいだけですからね。でも授業も地獄でした。先生が何を言っているのか、何ページをめくればいいのか、黒板に何が書いてあるのかもわからず、とりあえず黒板にある暗号のようなミミズ文字をひたすら写し、家に持ち帰り親に解読してもらっていました。今思うとよく親はそれを解読できていたなと思います。

子供なのでお友達を作りたくても、周りからしてみたら言語の通じない宇宙人だし、自分だって周りが何を言ってるのかわからない、孤立した存在となりました。日本ではお友達いっぱいいたのに・・・。球技も日本と違いてざーボールという遊びが主流で、ルールもわからないし、説明されても理解できないので、混ざることもできず・・・。なすすべがないので、休み時間は親が解読できるようノートの清書をしていました。

ひたすらずっと我慢の日々でした。そんな一朝一夕で言語が習得できるわけでもなく、一日の一部はESL(English as a second language)という海外から米国に来た子専用の英語授業を受けに行く日々が続きました。ESLでは米国の幼稚園生が受けるような教育を受け、地道に英語力をつけていく、というものでした(リンゴの絵を見てAppleとか、そんな感じです)。

でもここは米国、英語しか通じない。英語で生きていくしかない。逃げたくても逃げることはできないことが苦痛で、私は学校まで徒歩で送り迎えをしてくれた母に一度だけ弱音を吐いたことがあると聞きました。

「(学校までの道を)遠回りしたい、この道は早く着いちゃうから嫌だ」

いじめは万国共通

学校に行きたくないと言わなかったことは子供ながらの強がりでしょうね。

でも本当は行きたくなかったです。

日本でも度々ニュースにもなり、問題になっていますが、世界中のどこへ行っても弱者はいじめられます。ましてや言語のしゃべれない、文句も言えない、仲間を作ることも、先生にちくることもできない奴は格好の標的です。だって悪いことをしても全部そいつに擦り付ければいい。真実を話すこともできない。殴ったって誰にもばれない、誰も助けない。先生が問いただしてもうつむいて何も言わない(言えない)。

いじめをする側からすれば最高の餌ですね。いやーほんと人間ってなんなんでしょう。

先生に助けを呼ぶこともできない、親だって大変でそんな時に余計な心配をかけまいと真実を話すこともできない(まあ感づいてはいたようですが)、自分でなんとかするしかない。子供にはかなり酷な話ですが、これが次週に書く「自分を持つ」ことに繋がったのだと思います。

心の支えだった日本人学校

毎日痛い思いをして、我慢をして、それでも毎日を生きていました。でも逃げずに生きていけたのは、土曜日にだけある日本人学校が死ぬほど楽しみだったからでしょう。

普通の学校の宿題に追加して日本の授業の宿題もダブルで掛け持ちしないといけないという鬼畜ゲーでしたが、私はそれが楽しみでした。日本との繋がりを糧に耐えれていたのと、日本人の友達が米国でできたからです。

今思えば、おそらく全員同じような感じだったんでしょうね。日本人学校の友達とは死ぬほど一緒の時を過ごしました。もはや戦友。笑

でも日本へのあこがれ、帰りたいという気持ちはずっと、本当にずっと残り続けました。実際に本帰国するまで、この気持ちは消えなかったですね。ある種、故郷との繋がり、日本との繋がりで生きていたからなんでしょうね。

そういう意味でも日本人学校や日本との繋がりはライフラインでした。でも、これのせいでまた悩むことになります。そちらは次週に書く、「アイデンティティ1.5問題」になります。

打開できた日

そこから何年も経ち、少しづつ授業にもついていけるようになり、進学をすることにもなり、新たな日々が始まりました。そこで新たに出会った人たちと素敵な日々を過ごす・・・はずでした。

まあ、そんなにすべて急に上手くいくわけもなく、相変わらず英語力はよくバカにされましたし、FOB(Fresh off the boat、船から降り立て)とよく呼ばれました。単純に差別用語ですね。
※余談ですが、米国はちなみにいまだに差別がえげつないです。だからこそのBLM(Black lives matter)などの運動が多いのです。

でもそこで一人の友人と出会い、すべてを打開できるようになります。

彼は単純に面白がってただけだと思いますが、クラスで一緒になった彼が、体育の時の私の身体能力を見て、パルクールみたいなことを休み時間、みんなの前でやってみろと突然言うのです。その時は身長以上あるゴミ箱(米国のは死ぬほど大きい)を飛び越えてみろと。

今考えればゴミ箱にあたってゴミまみれになって爆笑、という流れを想定していたのだろうけど、することもなかった私は身体能力だけはあの当時高くなっていたんですね(一人で木登りとかしてたので)。軽々と飛び越え、周りからは拍手喝采。ここは米国の好きなところなのですが、そういう時一気に手のひらを返し、ヒーローになりました。もっとやれ、もっとすごいことをやれ、と。

そこからはクレイジーなジャパニーズとして学校中に知れ渡り、声をかけてくれ子が増えました。そこで気づけました。あぁ、全部自分の行動次第でなんとかなるものだな、と。卑屈になっていたままではありえなかったでしょう。あのゴミ箱を飛んでいなければずっと日陰にいたでしょう。でも、打開できました。

そこから徐々に現地の友人と知り合うことができ、そこからですね、英語が急激に伸びたのは。言語を学ぶには恋人を作るのが一番早いとよく言いますが、たぶん合ってると思います。だって話したいと強く思えば思うほど学ぶ速度は間違いなくあがりますもん。

最後に:英語を身につけるには

こうして授業で学び、亀のようなスピードで上達していた英語が、一気に兎の速度で伸びました。

単純に話したいという気持ちの問題ではなく(それだったらトイレ行きたいだってできたはず)、実際にもっと注意深く英語を聞き、話す機会が増えたからだろうと私は思っています。

それまでは授業で機械的に聞いて、書いて、というだけでしたが、それが進学後は変わって友人と好きな話題について聞いて、話して、になりました。そうなんです、英語力が身についたのって、好きなことと好きな人と話をしたからだと思っています。好きこそものの上手なれ。まさしくです。

だから日本でよく英語学習の広告を見ますが、あんな授業形式では多分つらくなるだけのような気がしています。そうではなく、好きなものに関連したことから英語を学習することが何よりも早いのではないかな、と思っています。

そして、断っておきますが、しんどかったですが、私は帰国子女として育ってよかったと思っています。しんどい思いもしましたが、あの経験すべてが今の自分を形成し、何よりも武器をくれていると感じています。この経験があったからこそ、今はGAFAMの一角でお仕事できていると思いますし、辛いことを乗り越えることの尊さを肌で感じています。

でも、みんながみんな、それを経験する必要はないと思います。単純に日本では英語に触れ合う機会が少なすぎる。もっと英語に触れて、自分みたいな思いをする人を減らしたい。その思いがあるからこそ、最近Youtubeでゲーム実況を見ながら日本語と英語の同時通訳を聞きながら英語のリスニングができる配信を始めました。

一握りの方でも観てくれればいいと思って始めましたが、やっぱり子供でも大人でも好きなものと一緒に英語に触れて欲しい。私が感じたような思いはしなくても、英語に親しんでほしい、その一心でやっています。よかったらチェックしてみてください。

よかったらスキ、フォロー、コメントをお願いします!
では、また来週。

- JumpE

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?