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国民的大作家の秘密とは…!? ジャンプ小説新人賞テーマ部門<お仕事>銅賞受賞作品「アネモネの花」全文公開

ジャンプ小説新人賞2019テーマ部門<お仕事>の銅賞受賞作品『アネモネの花』を特別に公開いたします!
ぜひご一読ください!

あらすじ

死後もなお国民的に愛される大作家・西野隆(にしのたかし)。大の西野ファンである「僕」は彼の出身地にある博物館で働いている。あるとき、西野隆の娘が博物館を訪れ、父の私物を博物館に寄贈したいと申し出る。喜んで引き受けた「僕」は寄贈品の中に隠された一通の手紙を見つけるが、そこには西野隆の知られざる一面が記されていた……


岩沢泉『アネモネの花』

 ——偉大な作家である、西野隆に哀悼の意を捧ぐ。
 新聞の切り抜きは、そんな言葉から始まっていた。西野隆の代表作は、日本に住んでいるなら一度は聞いたことがあるんじゃないかってくらいに有名なものである。記事にはそんな有名な作品の話から、処女作や赤裸々な青年時代を描いたマイナーなエッセイのことまで、事細かに書かれていた。さらに作品から飛び出て、彼の人生の軌跡から人柄、家族構成なども記されていた。そんなことまで取り上げられるほどに、彼は有名人だった。
 この新聞が発行されたのは、実に三十年以上も前のこと。まだ、僕が卵子にも精子にもなれていない時のことだ。そんな時代の、――西野隆についての記事をこうして堂々と仕事中に拝見できることは、誇らしい気持ちになる。まるで、西野隆と僕との距離が近くなったかのような感覚。こそばゆくも、ついつい顔がにやけてしまうのは仕方がないことだろう……と言うのも、僕が大の西野隆のファンだからである。
 幼いころに出会ってから、ずっと西野隆の作品を読み続けているが、彼の作品は数十年前のものとは思えないぐらいに多彩で、飽きることがない。浮気性の女に振り回される男の話や、幼い少女を好きになってしまい苦しむ男の話などなど、バリエーションに事欠かない。
 僕が一番好きな話は『アネモネの花』という話だ。幼いころに、将来を誓い合った主人公とヒロインだが、運命の巡り合わせが悪く、想い合うのに結ばれることのなかった二人の心情をとても鮮やかに描いている。あの話を読んだ当初、大人の恋はこんなにも苦しいものなのか、と胸を締め付けられたものだ。
 また、西野隆を有名にしたのは作品だけではなく、彼の人柄も一因だ。様々な形の恋愛を描写するのが上手いくせに、本人はストイックで冷静沈着、浮ついた噂は一切ない。趣味はキセル集めなのに煙草は吸わない。苦手なものは犬で、数メートル先にいるだけで震え上がってしまう。それでも猫は大好きで、無表情ながらも、愛おしそうに猫を撫でる写真は有名だ。そんな彼を、当時のマスコミは気に入って取り上げていた。
 西野隆の、家庭を大切にする姿勢も、当時の人々にはとても好印象であったようだ。戦後の混乱期。まだ女性の地位が家庭内でも低かった時期だったが、西野隆は実に奥さんに優しかった。西野隆の奥さんの――久子(ひさこ)は、少し気の強い新聞記者だった。戦前は紡績会社に勤めていたが、戦後に転職して記者となったそうだ。女性の権利を訴える記事を書き、物議を醸していた。
 元々、久子の父は西野隆の恩師らしく、恩師の強い勧めで結婚をした。だが、夫婦仲はすこぶる良く、おしどり夫婦、だなんて言って取り上げられた。
そんな二人の間には一人、子どもがいた。晩年にできた一人娘ということで、西野隆は大変可愛がっていたそうだ。若いころは女優になるのではないか、と言われるくらいに美人で、これまたマスコミの良い的になっていた。子どもも、妻も、西野隆本人も、マスコミにとっては取り上げやすい良い題材であったのには間違いない。
 新聞の記事は、当時六十五歳だった彼の早い死を、惜しむ言葉で締めくくられていた。
 一通り読み終わってから、視線を移す。目の前には、大きな段ボールが五つ置かれている。この一つ一つに、西野隆に関係する何かが収められているのだと思うと、興奮する心を抑えきれそうになかった。とんだ運命の巡り合わせに、この職場に感謝した。
 ――ここは、小さな博物館。この土地は、西野隆の故郷なのだ。

 *

 県の中心部から、私営の電車で揺られること数十分。降りてさらに徒歩で数十分。合計すれば中心部から一時間くらいかかってしまうような、そんな場所にひっそりと建つ鉄筋コンクリートの建物。大きさで言ったら、二階建ての学校の体育館くらいだろうか? とにかく、そこまで大きくない。そんな小さな箱が、僕の職場だ。
 市立博物館。地域密着型のこの場所は、子どもの遊び場にもなるし、ご老人の集いの場にもなる。が、その仕事はなかなかに大変だ。近場に他の博物館がないために、この付近で見つかった郷土資料や考古資料などは、全てうちの博物館へと運ばれてくる。土器や石器はもちろんある。浮世絵や古文書も置いてあるわ、昔使っていた釣り具とかも寄贈されるわ。括りがなく、古そうなものは全てここに集められて、収蔵しているようなそんな博物館だ。
 たくさんの資料を、正社員三人、嘱託職員三人、そしてアルバイト二人の計八人で回して管理している。小さい博物館とはいえ収蔵物の多さからすれば、少し人手が足りないなあ、ってくらいの人数だ。
 僕はその八人の内の嘱託職員で、御年二十六歳。正社員になったことがないという不安と戦いながら、今日もせっせと資料の管理をしたり、近所のおじいちゃんや観光にやって来た来館者の方々の対応をしたりしている。
 ――さて、博物館で働く人間の仕事はどんなものかご存知だろうか? 母にも「学芸員ってあんた、どんな仕事しているの?」なんて聞かれてしまうような、業務内容が把握されていない悲しきお仕事だ。まあ、資格が必要な専門職の一つでもあるため、知られていないのは仕方がないことだろう。でも、どんな仕事をしているの? と聞かれて、一番わかりやすいものは企画展の準備とか展示の作業なのだが、そういったものは正社員の人が主だって担当している。自分たちのような嘱託職員は補助にあたることが多いため、主体となって企画展の準備をすることはあまりない。
 じゃあ、あなたは何をしているの? と、再度思うだろう。これに答えていこう。
 まず、朝九時に出勤をして博物館の開館作業をする。展示ガラスを拭いたりだとか、昨日施錠した諸々の部屋の鍵を開けたりだとか、そういった準備を最初にする。また、答えられる範囲内の来館者からの質問対応とかもする。または、事務職らしくお客さんのお茶出しもやるなあ。それからなんだろう? ああ、資料の貸し出しなどもする。まず、うちの収蔵物を展示したい、といった他館の要望を受ける。それを聞いてから僕のような下っ端が資料の貸し出し準備をして、正社員と先方の職員と共にどこかに傷や汚れが付いていないかを確認。調書を取ってから梱包をして、大切な資料が他の企画展へと出張する姿を見送る。……あれは少しだけ寂しい気持ちになる。いってらっしゃい。いっぱい見てもらって来るんだぞって気持ち。後は、資料を閲覧しに来た人の対応とかだなあ。そういった仕事や対応に追われて、一日の業務が終わる。
 ああ、あとは、イレギュラーな業務だと資格課程の実習生が来たり、職場体験の中学生が来たりするので、そういった学生の対応をしたりもする。たまに常設展の解説を嘱託職員の僕らもするし、小学生を対象にした『展示物を触ってみよう!』みたいなコーナーもやるからいろいろと仕事がある。別に、こういう仕事は嫌いではないが、学生や多くの人を前にして話すのは得意ではないから、僕に振らないでくれって思いながら過ごす。まあ、年に数回しかないから、いいけれど。

 いつの間にか見慣れた白い建物。博物館の入り口は数段階段を上がったところに設置されていて、それだけは立派にそびえ立っている。朝一番は、入り口の自動ドアのスイッチが押されていないために、自動ドアの左側の隅っこにある職員用の小さな非常ドアから中に入るのだ。
 ドアとドアの間に身体を滑り込ませ、中に入ると、目の前にはロビーが広がる。入り口から見て右手の奥には常設展示室へと続く通路があり、【右を真っ直ぐ、常設展示室】と、書かれた看板が備えられている。また入り口から見て斜め左にもう一枚立ちはだかる自動ドアの先には、企画展示室へと繋がっている。今の企画展は浮世絵の展示だ。僕と歴史学系の上司――木原さんが行った企画展である。反響はそこそこだ。企画展示室の自動ドアの前を通り過ぎてもう少し左側。突き当たりの壁にあるドアノブ付きのクリーム色をした扉が、博物館事務室の扉である。
 なんの変哲もない、少しだけ冷たい鉄を捻る。そうして勢いをつけて引き、挨拶するために口を開いた。
「おはようございます」
「……おはようございまーす」
 少しだけ早い時間のため、職員はまだ一人しか出勤していないようだった。挨拶を返してくれたのは、僕の一年後に入ってきた後輩で、民俗学と図書を担当している中田(なかた)さんである。挨拶を返してくれたのはいいが、こちらには視線を寄越さず、ずっとパソコンの画面を見つめている。きっと、パソコンのブラウザからツイッターでも見ているのだろう。
 そういうところだぞ、中田さん。
 そう思いつつ自分のデスクへと向かう。二列向かい合わせで配置されているデスクは、空きの机を含めて全部で十個ある。その中の出口側から数えて二番目が僕のデスクだ。ちなみに中田さんも出口から二番目で、僕の向かいに座っている。一番端っこはアルバイトさん用の席なので、シフトが入っている日以外、右隣はいつも空席だ。左側は正社員の人が座る席だが、たいてい作業室や収蔵室にいるため、ほとんどデスクにはいない。両隣に人がいないことを、いまだに少しだけ寂しく感じる。なんとなしに向かいの中田さんを見ながらデスクに座ったが、その際も目線は合う事がなかった。
 朝はまずメールの確認をする。パソコンの電源を入れて、真っ黒の画面が明るくなるのを待った。画面に映されて、寝ぼけた顔の、寝ぐせが付いた男が見える。そんな間抜け面を見ると、今日も一日が始まってしまったのだなあ、と感じた。
 メールの確認をすれば、つい最近連絡を取っているグッズ制作会社から、データの納品を確認しましたとの連絡が入っていて、ほっと息をつく。久しぶりに、新しいミュージアムグッズを作ろう、という話が二カ月前に持ち上がり、担当することになったのが僕だった。コスト削減のために、職員がミュージアムグッズのデザインも担当するのだが、センスの欠片もない僕には難しい話だった。アイディアを捻りだして、せっせと作り上げたクリアファイルのデータを無事に受け取ってもらえて一安心だ。
 新着メールを一通り確認した後、立ち上がって部屋の奥に進む。一番奥が事務長の席だ。二列で配置されているデスクを見渡せるように、一つだけぽつんと置かれている。事務長の席の右側にはロッカーが置かれていて、そのロッカーの中には各部屋の鍵などがある。
 本来なら、早くに出勤して、手の空いているものが開館準備を行う。ちらり、と中田さんを見れば彼女は相変わらずパソコンの画面を見つめ、作業をしているアピールなのか、カタカタと、キーボードを打っていた。
 そういうところだぞ、中田さん。
 もう一度、そう心の中で呟いてから「開館準備してきます」と言って、事務室を出ていくのだった。
 ――学芸員ってどんな人を思い浮かべるだろうか? 知的で素敵な人間を思い浮かべるかもしれないが、それはちょっとだけ認識を変えてほしいと思う。彼らは少し癖のある人間が多い。少なくとも、当館の人間は癖がある。
 一般の職とはどうしても毛色が違うので、それだけ不思議な人が集まるのも仕方がないこと。でも、なかなかに個性的なメンバーがそろっているなあ、と思ってしまう。基本的にマイワールドを持っていて、それを展開している人が多い。自分のペースで生きて、崩すことがない。
「学芸員も研究者みたいなもんだし、研究者は変人の集まりだし、仕方ないよ」
 一度、大学の時の恩師に相談したことがあるのだが、にこにこ、と笑いながらそう返されてしまった。確かに先生も個性的な方なので、そう言われてしまえば口を閉ざすしかない。
 研究を愛す人が多いのだ。かつての生きていた人や出来事――歴史を愛して、ひたむきに見つめ合うからこそ、現実の人との接し方が少し不器用だったりする。論文にするのはとてもうまいのに、会話になるとてんで苦手な人間が多い。
 だから、僕たち職員の間での会話は、とても少ない。事務室は少しでもお腹が鳴ると、全体に響き渡ってしまうくらいに静かだ。カタカタ、とキーボードを鳴らす音が響く、そんな部屋である。
 別に悪い人たちではない。とってもいい人たちだと思う。ただ、人間と付き合うのが苦手なだけ。だからこそ、こちらもどうしていいのかわからなくなってしまう時がある。当館に入ってからもう四年目となるのだが、いまだにどう接したらいいのか慣れなくて、胃がキュウ、としてしまうのだった。

 ガチャリ、と一つずつ鍵を開けていく。バックヤードにある工作室や、作業室、展示室に繋がる扉などは、閉館時に一緒に鍵をかけてしまうために、朝に毎回開けなおしていく。そんなに広くない建物だからまだいいが、大きな博物館に行くと、開館作業だけでも大変そうだ。
 一通り使う部屋の開錠を済ませてから、展示室の扉を開きガラスケースを拭く。どんなにガラスケースに触れないでください、という注意書きをしてもガラスケースには指紋がべったりと付いていて、マイクロファイバーのタオルで拭かないとなかなか取れない。放置しておけば脂は乾いてさらに取れなくなるし、ガラスケースは白んだものになってしまう。そのために、毎朝こうして拭かねばならなかった。
 毎日の作業だけれど、こうした単調な仕事を繰り返していると、どうも不安になってくる。もう二十六歳だ。大学の友人は、責任のある仕事を任せられるようになっている。後輩もできて残業がどうのと文句を言いながらも、僕よりも多い金額の給料をもらって生きている。そのことが、堪らなく怖くなるのだ。
 こんな風に、知らない来館者がつけた脂まみれの指紋を拭き取る仕事がしたかったんだろうか? 自分で動こうとしない後輩を持ちたかったのだろうか……?
 ――憧れていた職ではあった。幼いころに見た展覧会で、しゃんと立ち、鎧や難しい古文書の解説をする学芸員さんはとてもかっこよく見えたし、こんな職に就いてみたい、だなんて思った。また、歴史オタクであった僕からすれば、身近で現物の資料をいつでも眺めることが出来る仕事なんて、なんて羨ましいものだろう。そう思った。歴史を研究しながら立派に働いている人たち、そんな理想の姿が学芸員にはあったのだ。
 しかし、実際になってみれば、今まで僕が見ていたものは、氷山の一角にすぎないものだったのだと知った。確かに、解説した際に面白いねとか言われると嬉しいし、いつだって古文書だの鎧だの錦絵だのを眺めることはできる。歴史の研究は存分にできる。――でも、それ以外の多くの仕事は、地味で泥臭いものが多かった。しかも、給料は少ない。時給制なのだ。
 この仕事を素直に楽しい仕事だ、これから先もやっていきたい。と言えないのは、そんな不安要素が多いからだろう。
 朝からそんなことを考えていると、僕はすっかりマイナスな思考になってしまう。ガラス越しに見える古文書の文字がミミズみたいな形をしていることさえも、なんだか煩わしく思えてしまった。こんな文字が読めたって、今後、僕の人生をどう潤してくれるのかなんてわからない。恩師には何かしら特技はあるに越したことはないよ、だなんて言われたけれど、一般企業に行ったら古文書が読めるなんて、飲み会の席でも笑い話にしかならないらしい。大学の時の友人が言っていた。
 専門職だからこそ、外に出たら通用しないところがあるのだ。どんなに歴史を勉強したとて、博物館から一歩外に出てしまえば、僕は数多くいる成人男性の一人に組み込まれる。それなのに、社会人としてやってきた仕事が古文書を読むだとか、展示の仕方だとか。それが、社会人としての僕の価値を見るうえで、プラスになるとは到底思えなかった。ましてや、こんな風に展示ケースを拭くことが早くなっただとか、なんの利点にも繋がらないだろう。
 不安が心に散らばって、鬱々とした気持ちが帳(とばり)のように覆いかぶさる。どうしてこんなに嫌な気持ちになるのか? 簡単だ。父親からの「いつまでもふらふらと碌な仕事にも就かないで、いい加減にしろ」との言葉。彼女からの「そろそろ結婚したいんだけど、いつになったら正社員になるの?」という言葉たちが胸に突き刺さって抜けていないからだ。魚の骨のように、チクチクと身体に痛みを与えて、それでもってなかなか抜けない。
 そもそも、僕は上手く理想と現実の兼ね合いがとれなくて、一般的な人の流れから外れてしまった。
 就職活動というものが大学四年生の春から始まるのだが、僕は思いっきりつまずいてしまった。咄嗟に嘘をつくことができないという性格が災いし、全くもって面接時に“会社が求める人材”になりきれなかったのだ。
「馬鹿正直に答えて、受かる企業なんてないよ。そういうところ、本当に下手くそだよね」
 そう、学生時代から付き合っている彼女に言われてしまった。普通に考えれば彼女の言う通りかもしれない。だけど、甘っちょろい考えの僕は、そんな嘘ばかりで選ばれた会社で長く働ける気がしなかったのだ。
 卒業論文に追われていたこともあって、僕の就職活動はてんで上手くいかなかった。そりゃあもう、驚くほどに。僕が就活にヒンヒン泣きを見ている間に、友達たちはみんな内定をたくさんぶら下げて遊び惚けていたので、僕は随分と不貞腐れてしまった。あいつの方が頭悪いのに、とか、思ってしまったらキリがなくて、それでも選ばれないことに悲しんで、拗ねて、散々な一年となってしまった。
 ゼミの先輩が元々務めていたこの職に就いたのは、卒業後の六月だ。変な時期の募集であったことと、元々務めていたゼミの先輩の勧めや恩師の熱のこもった推薦状のおかげで、僕はなんとか嘱託職員という契約社員に似た形態ではあるが、職に就くことが叶ったのだ。
 しかし、その業務は未知の領域過ぎて戸惑いばかりであった。学生の時に学芸員資格の課程を取ってはいたが、実務となれば勝手があまりにも違った。学校で学んだ資料保存の仕方だとか、展示物の扱い方、教育普及活動の仕方だとかは結構役に立っていないことが多い。配属された館のやり方というものがあるから、学んだやり方が正しいことは少なかったのだ。
 ……こうして、ガラスを拭くことも、学校では学ばなかったことだ。
 理想と現実の間で、こうも板挟みになることがあるのだなあ、とひしひしと思うことが多い。大学の友人には、博物館に携われる仕事に就けるなんて羨ましい。自分も本当は学芸員になりたかったのだ。などといった羨望の言葉を吐かれるのだが、本当に言っているの? と言いたくなってしまう。
 確かに、学芸員は求人の少ない仕事である。知識がある人間が重宝される職なので、新人よりも経験者が好まれ、大学院を出ていることが望まれる。学部卒業の僕が入れたのも御縁があったからこそなのだが、たいていは何か特化したものが無ければ就職ができない職業だ。
 でもさあ、本当にこの職になってごらんよ? 嘱託職員の給金は低い。旅行とか飲み会とか行きたくってもお金がないからそんなに行けない。学生のころはお酒が大好きだったのに、今では週に一回、一人ビールを飲みながら本を読むことを小さな楽しみに生きているようなもんだ。毎週のように同僚と飲み会をしている、なんて友人の言葉を聞くと嫉妬でどうにかなってしまいそうだ。おまけに職員の人たちとはコミュニケーションを取りづらいわ、後輩はあんなだわで、友人の羨望を素直に頷けない自分がいる。
 小さいころにはキラキラと輝いて見えていた大人の世界。実物は薄っすらと灰色を帯びて、フィルターがかかってしまったようにぼやけていた。
 もう二十六歳だ。もう、子どもじゃないのだ。しっかりしなさい。そんな言葉を何度も何度も聞いて、耳にタコができそうだ。
 毎朝、起きて職場に来るのが憂鬱になる。明るい未来の見通しが何も立っていないのだから、将来の不安に押しつぶされそうになる。このまま、学芸員の道を突き進むのか、それともさっさと諦めて正社員に転職するのかを選ばなきゃいけないことが、今の僕にはとても苦痛だったのだ。

 *

 そんな暗い僕の心に一筋の光が差したのは、ある日の昼下がりであった。
 冬が近づいてきて、少し冷たい空気が頬を撫でるようになった時期。そんな中、この博物館に珍しいタイプのお客様がやって来た。
 こつんこつん、と床を蹴る高い音が聞こえて、何かがやって来たと思った。中田さんは来館者の対応が嫌いなので、音が聞こえた瞬間にスッと、立ち上がってバックヤードへと行ってしまった。気持ちは分からなくもないが、あからさまな回避に少しだけ眉をひそめてしまう。
 事務室を出て行った中田さんと入れ替わるように受付へとやって来たのは、濃いめの化粧をした……この地味な博物館には、合わないような女性であった。
「すみません」
 女性の声が事務室に響く。芯がしっかりと通っていて、少しだけキツい印象を与える声だ。
 また、その身なりも少し関わりたくないようなもので、小さな田舎の博物館には不自然に感じてしまった。
 彼女は、すごく上質なものと一目で見て分かるコートを羽織っていた。何かの動物の毛を色染めしたものだろう。母親が奮発して買ったウサギの毛皮のコートと似ているから、きっとその類だと思う。また、ブランドに疎い僕でもわかるような、有名なブランドのロゴが描かれた動物の革の鞄を、見せびらかすように手からぶら下げていた。
 受付のカウンターに乗せられた指には、何個か指輪が通されている。そのどれもキラキラと光る宝石が付いていて、装飾品に相当お金をかけているのだろうとわかる。指輪は高いってことを、最近しみじみと知る機会があるから、その指にはめられたものたちの値段を想像して、少し竦んでしまった。
「……こんにちは、いかがしましたか?」
 中田さんがいなくなった今、この女性の対応をしなくてはいけないのは僕だ。中田さんの次に僕が一番受付に近いのだから、仕方がない。諦めに似た感情で、静かに受付に立った。
 声をかけると、女性は少しだけ眉をひそめた。そうして、カウンターから見える範囲で、僕のことをゆっくりと品定めした。頭のてっぺんから、胸のあたりまでをじろりと見つめる。そうして、首からぶら下がっている社員証を確認してから、コホン、と一つ咳払いした。
「資料の寄贈についてのお話をしたいので、担当の方をお呼びして頂けます?」
「寄贈ですね。一つご確認ですが、それはどういったものでしょうか?」
「古い本とかそういった書籍類のものよ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 ――本来ならば、寄贈においても一度電話で連絡を取ってから来館するものであるのだが、知らない人は何のアポイントもなくやって来てしまう。
 寄贈を受ける時には、その部門の正社員が一旦カウンセリングを行う。どういった資料なのか、入手の経緯はどうなっているのか、などなどを確かめて、館全体の会議にて話し合いをし、寄贈を受けるか受けないかを決める。しかし、訪れた時に丁度タイミング良く正社員の手が空いているとは限らない。出張に行っていたり、他のことの対応をしていたりするかもしれない。だけれど、来館者にそういったこちら側の都合は配慮されないことがたまにある。
 今回は運が良かった。古い本、ということは古文書だろう。歴史担当の木原(きはら)さんはちょうど出勤しているし、この時間は特に用事もなかったはずだ。
 木原さんは、作業室にいることが多い。内線を掛ければ、「すぐに行くから館長室に通してお茶を用意しておいて」とのことだった。
 ホッと一息つく。こういった気の強そうな人は、担当者が現れないと、自身をないがしろにされたと思って不機嫌になるような人が経験上多い。しかも僕は女性のあしらい方がすこぶる下手くそだ。クレーマーにもなりかねないので、その手の対応に長けている木原さんがいてくれて、よかったと胸を撫でおろす。
 にしても、だ。どこかで見たことがあるような顔立ちの女性だ。化粧が濃いせいで、元の顔立ちが少しわかりづらくなってしまっているが、なんとなく知った顔のような気がする。持ち物から考えればお金持ちそうなので、テレビで特集を組まれたどこかの社長の妻とか、そういったものかもしれない。
 女性に声をかけて、事務室の奥にある館長室へと通す。
 少し埃の臭いがする館長室に、また女性は眉をひそめたが、何も言わずに奥のソファーへと腰を下ろした。どうぞ、とも言っていないのに、堂々と奥の席に座りに行く度胸に少し感心しつつ、こんな風にはなりたくないなあ、と反面教師にした。
「しばらくおまちください」
 そう言って部屋を出る時には、鞄からスマートフォンを取り出して、スイスイといじっていたのであった。

 ――さて、お茶汲みをするのは女性、と誰が言い出したのだろうか?
 もうその常識は古いもので、こうして男である僕だって、手が空いていればお茶を用意しなくてはならない。これからの時代は、“お茶汲みは女性がするもの”から、“お茶汲みは下っ端がするもの”と、言い換えた方がいいと思う。
 コポコポと、急須から零れ落ちるお茶を見ながらぼんやりと考えた。
 やっぱり、あの女性、なんか見たことがあるんだよなあ。どこでだっけなあ。でも、知り合いとかじゃなくて、なんかテレビとか雑誌とか、そういうところで見たことがあるような、そういった類の感じなんだよなあ。
 ううん、と頭を捻るが思い出せない。こういった物忘れが激しいところも、僕の良くないところというか、社会にウケない要因の一つとなっている。大事なところで、出すべき情報が出てこないのだ。本当に、困った作りをしている脳みそだと思う。
 湯気が立つ湯呑を二つ、コースターと共にお盆に載せる。
 事務室内にある給湯室は少し狭いので、壁にぶつからないように気をつけて運ばなければならない。いつも肩が壁にぶつかってしまい、お茶を零して汲み直さなくてはいけなくなるから、慎重に動かなくてはならない。どうしてこんな造りにしたんだろう、と通る度に思ってしまう。
 そうして、給湯室を出てすぐ左手にある館長室のドアの前に立った。あの女性にお茶を出すのが何となくいやだな、と思ってしまった。また値踏みをするように、淹れたばかりのお茶を見られるのは何となく気分が悪い。しかし、お茶を出すのが遅くなっても、女性はいい顔をしないだろうから、ええい、しょうがない! 入ってしまえ! と、ドアを数回ノックした。
「失礼します」
 ノックしてから、声をかけて中に入ると、扉側の手前に木原さんが座り、奥の館長席に近いところに女性が座っていた。二人はにこやかに会談……というよりは、女性が少し押し気味で話し、木原さんは引いた顔つきでそれを聞いているようだった。
 女性は僕を気にすることなく、木原さんに語り続ける。
「だからですね。父の数少ない資料を当館に寄贈したく思うんですよ」
「うちに、ですか?」
「ええ。父はこの土地を気に入っておりました。そうしてあまり自身のものを外に持ち出すのが好きじゃなかったようなので、生家から一番近いここに」
「……記念館、とか、お造りにならないんですか? もしくは母校の大学に寄贈される方もおりますが……」
「記念館は費用が掛かります。まあ、確かに他の作家の方だと、生家を使った記念館もあるそうですが、うちでやるとなると……現在暮らしている私たちに出ていけというのですか? また、母校はいささか遠いので私も主人もあそこに寄贈することを望んでいません。それに、父はあの大学を中退した身なので、それほど関わりはありません」
「そうですか……。ううーん、西野先生ほどの大作家の資料、欲しがる館は多いと思いますけどねえ……」
「……なんですか? こちらではいらないとでも言いたげではないですか。いらないのならいらないと言ってください」
「いえいえ、うちも有り難いですよ! それはもちろん!」
 女性はやけに強気な言葉を使う。それに、こちらを少し見下した口調であるので、お茶を置きつつもすごいなあと思った。だがそれも、木原さんの目の前に置かれた名刺が目に入って、大きく目を開くと同時に、納得してしまった。
 西野美子(よしこ)。――西野隆の娘だ。
 西野隆はもう三十年以上も前に亡くなった大作家である。その作品は現在でもリメイクされて映画になったり、はたまたアニメになったりしている。世代を超えて愛されている作家の一人である。
 確かに、この土地は西野隆の故郷である。
 この博物館から数キロ離れた場所に、大きな日本家屋がある。瓦屋根が目立つその家は、西野隆が生後から上京するまでと、晩年から亡くなるまで住んでいた。まさに最初と最後の地である。そのことから、たまに熱狂的な西野隆ファンがこの地を訪れることはある。だが、生家には現在も西野隆の子どもが住んでいることから、中を見ることは出来ないようになっている。
 どこかで見たことがある、とは思ったのだが、まさか西野隆の娘だったなんて!
 強度の西野隆ファンである僕は、雑誌に載る西野隆とその家族の写真や、没後三十周年記念特集に取り上げられていた西野美子の写真を見たことがあったのに、咄嗟に思い出せなかったことにショックを受けた。これほどまでに僕の物覚えは悪かったのだ、と思うと少し立ち直れそうにない。
 そんな衝撃に茫然としていれば、西野美子が怪訝そうな顔でこちらを見てきた。茶を置いたのになかなか出て行かない職員を、怪しく思ったのだろう。
 僕は慌ててその場を去ることしかできなかった。

 西野隆は僕の家族にとって、とても重要な人物である。
 僕の父親は、西野隆に憧れて、作家になろうと考えたほどに彼の作品を愛していた。彼のような小説を書きたいと思いつつも才能がないと悟り、銀行員となってしまった父。西野隆の全集や西野隆を取り上げた雑誌、またはそのメディアミックス作品には惜しみなくお金を使っていた。そんな父の血を引き、父からの西野隆英才教育を生まれてからずっと受けていた僕も、それは熱狂的な西野隆ファンとなっていた。
 最初から大好きだったわけではない。最初は西野隆の書く大人の恋愛がわからなかった。だけれど、ぼんやりと綺麗な文章を書く人だなあ、と思ってはいた。それから恋愛がなんとなくわかり始めた中学生あたりで、どっぷりとハマってしまったのだ。
 周りの友達がライトノベルや漫画を好んで読んでいる中で、僕はひたすらに彼の作品を読んで、彼について書かれた書籍を読み漁っていた。確かにライトノベルは取っつき易く面白いものだとは思う。けれど、西野隆の文章の構成力や、表現の豊かさ、感情の移り変わりの美しさを知ってしまえば他は陳腐に感じてしまう。
 父と共に、ずいぶんと西野隆を読んで語った。西野隆がいなかったら、僕と父は何も話すことなんてなかったかもしれない。
 僕の赴任したこの博物館が、西野隆の生家に近いことを何よりも父は喜んでいた。西野隆の生家を毎日見ることが出来るんだぞ。よくやったなあ。だなんて、最初の内は褒めてくれたものだ。
 最初の内は、だが。
 昨日の電話越しでの父の言葉が思い出される。
「いい加減、現実を見たらどうなんだ?」
 あの言葉を、父も、若い日の自分に投げかけたのだろうか? 作家という理想の仕事ではなくて、現実的な銀行員になることを決めた父から言われた言葉だからこそ、何よりも重くて、何よりも痛かった。

 一時間もしないうちに、西野美子は帰っていった。
 その時には中田さんも席に戻っていて、何食わぬ顔をしてパソコンを眺めていた。
「では、またご連絡します」
 西野美子は、高いコートをひるがえして去っていく。僕の知っている可愛らしい顔立ちで西野隆に抱きしめられているものでも、カメラを前ににこやかに話している彼女ではなかった。たまに博物館にくる、ちょっと関わりたくない来館者そのもので、少しだけ悲しかった。

 *

「嘱託の方で、今手が空いている人っていませんか?」
 そう、木原さんが少し困り顔で言ってきたのは、西野美子が来館した五カ月ほど後だった。
 年も変わっており、すっかりと西野美子が来館したことも忘れてしまっていた。
 嘱託は三人いるが、一人が僕で歴史学系の補助員として正社員の人の手伝いをしている。もう一人が度々出てくる中田さん。民俗学と図書を担当としている人だ。そうしてもう一人が、僕の左斜め前に座っている海藤(かいどう)さん。嘱託職員は五年間まで任期を更新できるのだが、彼は担当や雇用形態を変えて、何十年もこの博物館にいるベテランさんだ。現在の担当は考古学で、発掘調査も出来る人である。
 この三人が嘱託職員なのだが、明らかに大変な海藤さんは嫌そうな顔をした。それもこれも、次にある企画展が考古学系の展示なので、その準備に追われているためだ。パネルやキャプションの準備が終わっていなくて、とても忙しいのだ。また、中田さんはいつものように自分は関係がない、といった顔をしている。中田さんは担当が二つあることから、少し融通されることが多い。だから今回も、自分はやりません、できません、という空気を出していた。
 こうなればいつものパターンだ。
「僕、今業務的に余裕があります」
 ちょっと手を挙げつつ言えば、「ありがとう! じゃあ、ちょっとこっちに来てください」と、木原さんが手招きをする。
 少し面倒な仕事はいつも僕に回ってくる……。つい心の中で文句を言ってしまった。海藤さんは先輩だし、実際問題忙しいからしょうがないにして、中田さんは何をしているんだろう? 確かに図書は大変だと思うけれど、民俗学の方も業務は落ち着いているし、そんなにすることなんてないはずだ。
 なんだかなあ、って思ってしまう。僕から見たら業務をサボっているように見えても、正社員の人や来館者の方からは高評価なのだから、またやるせない気持ちになってしまう。世渡りがうまい人って中田さんのことをいうのかもしれない。
 少し悲しい気持ちになったが、木原さんの後をついて会議室に入れば、――その悲しみは一瞬で吹き飛んだ。
 段ボール五箱は、会議に使われる机を隅の方に追いやって、ど真ん中で存在を主張していた。段ボールに貼られている伝票には、きちんと書いてある。“西野美子“と。
 木原さんはボリボリと、頭の後ろを掻きながら言った。
「これ、新しい寄贈物なんだけれど、それにしても量が多いんですねえ。あと、一応全部確認したけれど、本ばっかりだし……。それで、この本の中身を確認して、仮目録を二週間くらいで作ってほしいんですけど、大丈夫そう?」
 なんだって! 何ということだろうか! そう、叫ばなかったことを褒めてほしい。まさか、本当に西野美子の寄贈を受けることになったうえに、僕がその寄贈品に触れて仮目録を取ることになるだなんて! 顔に出さないように気を付けていたのだが、逆に強張った変な顔になってしまっていたのだろう。木原さんが「いや、厳しいなら一カ月くらいでも大丈夫だけど……」と、少し的の外れたことを言ってきた。
「いや、二週間で大丈夫です」
「ああ、大丈夫? まあ、無理だったら言ってくれればいいから」
「わかりました」
「あと、作業は講堂使ってください。荷物動かすの大変だけれど、会議室もこのままじゃ明日の会議に使えないから」
 じゃあ、よろしくおねがいします。
 木原さんがそう言って去った瞬間に、僕は思い切り顔を歪めてしまった。生まれて初めてこの博物館に配属されて本当に良かった、と心から感謝した。恩師もありがとう。ゼミの先輩もありがとう。木原さんありがとう。みんなありがとう、と心の中で人々に感謝をした。
 一般的に引っ越しなどで使われるサイズの段ボールが五箱。この中に入っているのが全て本だとしたら、相当な量だろう。試しに一つ抱えてみれば、ずっしりと重くて、またニヤニヤとしてしまいそうな顔を抑えるのが大変だった。
 ――この一つ一つに、西野隆に関する何かが眠っている。
 そう考えるとドキドキと高鳴る胸を抑えられない。自分の知らない本がまだこの箱の中に隠されていて、自分はそれに出会えるのかもしれないと思うと、心臓がどうにかなってしまいそうだった。
 それほどまでに、僕は西野隆が好きなのだ。西野隆の作品はいつだって僕に寄り添ってくれたし、励ましてくれた。悲しいことがあっても、彼の紡いだ美しい文字を眺めていると、心を慰められた。――父と、喧嘩した時も、気が付いたら西野隆の本が机の上に置いてあり、一日二日経ってから、父がぼそりと「あの本は、どうだった?」と聞いてきて、それが仲直りの合図だった。
 西野隆は、僕の人生の一部であったのだ。
 まさか、うちの博物館で西野隆に出会えるなんて思っていなかった。うちの博物館は、そこまで大きな博物館ではないし、生家の近くにあるだけで接点はないに等しい。だから、寄贈があるなんて、考えもしなかったのだ。近くに存在するだけでよかったものが、今目の前にある。それがどれだけ嬉しいことか!
 本の重さにフラフラしてしまう台車を何とか動かして、講堂へと資料を運ぶ。講堂は、広い教室のような部屋だ。何か講演会などを開く際に使う部屋で、それこそ教室のような備え付けの机と椅子があり、普段は使用されていない。だから資料を広げて作業するのには、うってつけの場所というわけだ。
 机と椅子の間を抜けて、台車を講堂のど真ん中へと運ぶ。載っかった段ボールをよっこいせ、と下ろせば、やはりニヤニヤと口元が緩んでしまう。こればかりは仕方がない。だれも見ていないのを良いことに、緩んだ口元を隠すことを諦めた。
 ちなみに、仮目録を取ることは、結構重要な仕事だったりする。
 このような寄贈品の資料においては、これが一度目の目録を取る作業で、寄贈者からいただいたそのままの状態の寄贈物を見て取る目録だ。寄贈者にも確認のために送ることがあるので、きちんと取らなくてはならない。
 寄贈物が古文書などだと、読めなくてどういった意味の資料かわからなくて、目録取りで何時間もかけてしまったりするのだが、今回は近代文学だ。たった数十年前のものなので、タイトルと発行年、作者や特記すべき備考を控えておけば大丈夫だ。今週は特に優先するべき仕事はなかったし、十分仮目録作成に時間を費やせる。このぐらいなら、二週間もかからずに終わってしまうかもしれない。
 高揚してしまう気持ちをなんとかやり過ごして、事務室へとノートパソコンを取りに戻る。パタパタと足音を立てて、早足になってしまったのは、この際しょうがないことだと思う。

 講堂の机の上に並べられた本は、圧巻、という言葉がよく合っていた。
 段ボールから取り出した順番通りに、仮の目録番号を書いた薄葉紙を挟んでいく。この薄葉紙は中性紙なので、資料を劣化させたりしない。
 そうして、取り出していったものは、やはり西野隆の書いた本が中心だった。たまに新聞の切り抜きをまとめたクリアファイルだとか、写真のネガをまとめたものなど、おそらく作品の資料として集めたであろう本も出てきて、それはもう、僕は興奮した。この海の写真は、この記事の切り抜きは、もしかしたらあの作品に使ったのではないのか? とか、そういったことを想像しながら作業するのはとても楽しかった。
 些末な新聞の切り抜き。
 子どもの写真。
 端の切り取られた美術館の入場券。
 掲載コラムの抜き刷り。
 どれもが西野隆を感じることのできる代物で、几帳面な彼の性格に合って、綺麗に整えられて収納されていた。
 その一つ一つを手に取って、蛍光灯の光に透かしてじっくりと見つめる。この紙切れを、西野隆も触っていたのだろうか、と考えるとドキドキした。
 薄葉紙に書かれた番号順に資料をリストに記していく。量があると思っていたのだが、大型本などもあったことから数にすればそれほど多くなかった。目録の番号にすれば、二百も行かずにまとめられるだろう。
 二百、と言われて、一瞬多いと思ったかもしれない。だが、目録にすれば少ない方だ。なぜなら使い終わった美術館の入場券も一点と数えられるので、どんどんと目録番号は増えて行ってしまうのだ。ファイルに挟まったネガフィルムなどは一括してカウントするが、基本的には一枚は一点になるから、数は膨らんでいく。そうした細かな点数を記録していく。
 静かな講堂には、僕がカタカタとパソコンを動かす音や、本をめくる音が響いた。
 その空間を、とても尊いものだとしんみりと感じた。
 講堂の大きな窓ガラスからは、暖かさを携えた日差しが差し込んでいる。その光を反射して、小さなほこりがキラキラと輝いている。
 まるで、西野隆の作品の世界だ。彼は、光彩を描写することにも長けていた。運命のヒロインと出会った時、彼の書く小説では必ず光と色の描写があるのだ。それは瞳の色であったり、洋服の色彩であったり。光の場合は木漏れ日であったりとか、ジリジリと痛みを感じるほどの夏の日差しだったりとかする。そういった、視覚的にとらえるものを丁寧に表現していくものだから、西野隆の頭の中で描かれた空想の世界をよりリアルに感じる。そして、僕の見える世界も、そんな風に綺麗なんじゃないかって錯覚してしまうのだ。
 とても、穏やかな時間を過ごした。たくさんの西野隆にまつわる資料に包まれて、視線を上げれば温かな日差しに目を細める。この時がずっと続けばいいのに、とまで思ってしまった。

 作業が始まって六日目。四箱目の段ボールの中身を確認し、薄葉紙を挟んでいた時のことだった。ある書籍を手にした時に、おや? と思った。
 この本だけ、明らかに表紙の厚さがおかしいのだ。ハードカバーの厚い本。少しだけ凝った造りのそれは、タイトルを確認すると僕の好きな『アネモネの花』だった。花が描かれた背景に、大きくタイトルが書かれたカバーがかかっていて、花よりも字のインパクトが目につくようなデザインだった。もちろん、初版。
 再販のリメイク版しか知らない僕は、最初は触ることさえもドキドキとした。何度か表紙を撫でまわす、が、やはり何か不自然だ。重さ的にも厚さ的にも、なんだかおかしいなあ、と思ってしまう。なぜだろうかと思ってカバーを剥がせば、この本の表表紙だけがやけに厚いことに気が付いた。表紙は厚紙に布が貼られているような少し高級感のあるもので、そんな表紙が間違えてしまったように表だけ厚いのは、いかにもおかしかった。
 表面や端、綴じ目などを細かく見ていくと、少しだけ外側の布のつなぎ目がめくれており、そこだけ後で貼り付けたようだ。
 後から思うと、この時の僕の好奇心は本当にどうかしていた。寄贈された資料の、いくらめくれそうだからって、表紙の布を剥がすなど、許される行為ではない。現状維持を大切にしているはずの資料を、そんなふうに乱暴に扱ってしまったことを、後悔している。
 ――めくれた布の裏には、表紙と同じくらいの大きさの封筒が隠されていた。
 ハードカバーの表紙に合うように作られたのだろう封筒は、年月が経って少し劣化した糊まみれになりながらも、きちんと存在していた。
 とんでもないものを見つけてしまった! 得体の知れない封筒は、まるで宝の地図かのように感じた。
 この時の僕は、学芸員ではなくて、ただのファンの一人と成り下がっていた。学術的に確認するとかそういった考えは一切なくなっていて、僕自身の欲望を叶えるためにその封筒を表紙から引き剥がしていたのだ。そうして手に入れた封筒をひっくり返せば、胴の貼り目が見えていた。そうして、運よく糊付けされていなかったために、封は簡単に開けることができて、中に入る紙を取り出すことができた。
 ――入っていたのは、原稿用紙であった。
 綺麗に端と端を合わせて四つ折りにされていたそれは、なかなかの厚さだった。違和感があるわけだ、と納得した。
 もしかしたら、これは西野隆の未発表の新作かもしれない。もしかしたら、もしかしたら、と脳裏に浮かんだ言葉が現実味を帯びて、それが僕の手の中にある。こんな現実に、飛び出してしまいそうなくらい心臓が高鳴る。どうしよう? 見ても、いいのだろうか? 木原さんを呼んだ方がいいのではないか? 一人でこの原稿用紙を見て……大丈夫なのだろうか?
 思考と裏腹に、僕の手は、その紙をおもむろに開いた。

『朝、焼けるような日差しに刺されました。痛くて、どうしようもなく泣きたくなりました。今日も今日とて、鉄の仮面を貼り付けて、つまらない外に出るのです。そちらはどうでしょうか? そちらにも美しい白菊が咲いているでしょうか? 綺麗な花を見て、貴女の心が少しでも慰められるのなら、それはとても幸いと感じます。
 こちらは、まだ、夏の面影が消えません。何処に行っても痛い日差しは、陰りません。そんな時、貴女との約束を思い出すのです。そうして、痛いけれどしょうがないから、外に出よう、という気持ちになるのです。貴女との約束は、呪いの様に私の身体を巣食っています。これはもう、死ぬまで消えないのだろう、と諦めました。私はこの呪いと共に、死ぬのでしょう。その日が待ち遠しくもあり、まだ体内に留めて置きたいような、そんなむず痒い気持ちでいっぱいです。貴女はどうでしょうか? 呪いを覚えているでしょうか? いえ、きっと覚えてなどいないのでしょう。』
 ――それは、誰か特定の人物に宛てた手紙であった。几帳面にトメハネがしっかりしていて、文字の大きさが常に統一されている。整った綺麗な字。先程目録に取った、彼の手帳の字も、このような文で書かれていた。確かに西野隆の、直筆の手紙である。そう確信した瞬間に、僕の手は喜びでブルブルと震えてしまった。息を整えるためにゴクリ、と生唾を飲む。
 しかも、“貴女”と書いてあることから、相手は女性だとわかる。もしかして、妻である久子への手紙だろうか? もしそうなら、未発表のものを見つけてしまったに違いない! ……だが、久子に宛てた手紙なら、なぜこんなところに挟まっているのだろうか?
 そんな違和感を覚えつつも、原稿用紙をめくる手は、止められなかった。
『貴女の髪の色を、以前ふと思い出しました。あの時代には珍しい少し淡い色の髪は、太陽の光を浴びてとても美しく輝いていました。それさえも、すっかりと忘れてしまっていたことに気が付き、そうして絶望しました。貴女しかいないと思っていた幼い頃、貴女の髪の色も、少し薄い瞳の色も、細い腕も、滑らかな肌も全て記憶していたように感じます。しかし、今では色褪せてしまい、貴女の顔が、ぼやけて霞んでいるのです。そのことが、私にはどうしようもなく苦痛でした。人を忘れる時に、最初に忘れてしまうのは、声だと聞きました。そうして、貴女の声を、思い出そうとしたのですが、やはりノイズがかった歪な音しか思い出すことが出来ませんでした。歳を取っていくごとに消えていく貴女に、涙ばかりが溢れて来ました。どうして、どうして、と嘆くことしか出来ません。あの時、ほんの少しの力があったのなら、今でも貴女が傍におり、笑顔を向けていてくれたのかもしれない、と考えると、自分を呪い、世界を恨みました。だけれど、貴女の呪いのせいで死ぬことも叶いません。貴女も酷い人です。そうして――ついに先日、自分にこどもが出来ました。私の遺伝子が残ってしまうことに、また一つ絶望しました。貴女との子ではないのに、その温もりに涙を流してしまいました。命を、感じました。そうして、薄暗い裏切りさえも感じて、また自分を一つ呪いました。
 結婚しよう、という幼い日の約束を、何時までも心に留めるのは、愚かなのでしょうか? あの時は無垢に、貴女との間に広がる壮大な未来を信じており、生きることが嬉しくて堪らなかったように思います。未来は、貴女と家庭を持ち、そうしてこどもが出来て、しわくちゃの爺さん婆さんになるまで、二人で生きていくのだろうと、疑うことなく思っておりました。しかし、現実は自分の夢よりも厳しくて過酷なものでした。貴女と一緒になりたいと切望しても、時代の流れは小さな願いさえも受け入れずに、非情な選択を私に迫りました。ただ、貴女と生きたかっただけだったのに、世界はそれを許しませんでした。』
 ここで、一度原稿用紙を膝の上に置いた。
 ――これは、久子への手紙ではない。
 僕もだいぶ察しの悪い男だ。分かる人が読めば、書き出しの部分で分かっただろう。だけれど鈍感な僕は、ここまで読み進めなければ気が付けなかった。
 これは、彼の愛する人への手紙である。妻へでもない、子どもである美子に宛てたものでもない。愛していた女性への手紙なのだ……。
 気が付いた瞬間に、僕はこの手紙を引き裂いてしまいたかった。誰にも見られないように、粉々にして捨ててしまいたい衝動に駆られた。誰かに見せていいものではない。――もちろん、僕にも。
 見つけてしまった恐怖で、ブルブル、と震えてしまう。
 西野隆は、隠していた感情を一ミリたりとも外部に漏らさなかった。冷静沈着な彼のイメージとはかけ離れた熱情が、彼にはあったのだ。そうして、熱情は一心に一人の女性に注がれており、その女性は妻ではない……。
 今まで描いていた西野隆の像がぶち壊された。壊されて、粉々にされて、踏みにじられたような気持ちになった。僕の知っている西野隆は、所詮外の面だけで、内側に抱えたものは何も知らなかったのだ。こんな西野隆は知らない。僕の知っている西野隆ではない。
 失望とも絶望とも言い難い虚無が僕を襲った。裏切られた、とでもいうのだろうか? 僕の信じていた西野隆は、所詮はマスコミ用の外面であって、内側に秘めた轟々と燃えるような感情をこちらには欠片も見せてはくれていなかったのだ。そのことに気が付いて、勝手に悲しくなった。
 原稿用紙を握る手は、次へ次へとめくろうとする。しかし手は震えていて、何枚か原稿用紙を床へ落としてしまう。それでも、懸命に文字を視界に入れようと、原稿用紙に目を落とすのであった。
『理想と現実を考えるようになりました。理想は貴女と生きることでした。これを手に入れることが出来たのなら、小説家になんて、ならなくてもいいと思えるほどでした。そんな理想は、現実に飲み込まれてしまって、貴女との未来は望めませんでした。どれだけ、絶望したことでしょうか。あの時も、自身の身の上をまた一つ、呪いました。代わりに、私はたった一つだけを熱望するようになりました。――それは貴女の幸せです。たとえ、貴女の隣に知らない男の人が居ようと、貴女が笑ってくれさえすれば、それだけを頼りに、この悲しい現実の中で生きていこう、と思っていたのでした。
 そんな心持ちであったというのに、今では貴女は何処にも居ないのです。何処にも、居ないのです。それを理解する度に、色彩が失われてしまったかのように、目の前は味気ないものに変わってしまいました。どんなに大切にしていたって、永遠に残るものなど、ないのです。だというのに、どうしてか、自分の周りのものは大丈夫だという不思議な慢心がありました。人の持つものなど、所詮は一時の借り物。不条理に奪われたとて、人には何も出来ないのです。それを、すっかりと忘れてしまっていました。貴女の身体が弱いことを誰よりも知っていた筈なのに、大丈夫だ。奪われはしない。そう思っていました。そんな甘い考えは、貴女の訃報が届いた時に、全てが粉々になりました。世界は簡単に砕けてしまいました。もう何処にも幸せなどないように感じます。この世は地獄です。貴女を奪ったのに、私の手には新しいこどもの命に触れさせるのです。……。』
『最後に、貴女を想いながら、一つ小説を書きました。今までのものとは違う、悲しくて、優しい話だと編集者には言われました。しかし、妻は何となく察していたのでしょう。この本を読んで、あからさまに嫌な顔をされてしまいました。しかし、書かずにはいられなかったのです。貴女を、形にしたかった。貴女との、想い出を。アネモネは、儚い恋、恋の苦しみ、薄れゆく希望、という花言葉があるそうです。僕は、その花を僕たちの想い出として、贈りたいと思います。いい歳をした爺が花言葉なぞ、と笑わないでくださいね。無事に天寿を全うした際に、この手紙と共に本をお渡ししますので、恥ずかしがらずに読んで欲しいと思います。
 ――それでは、さようなら。』
 二、三枚を落としつつも、その手紙を読んでしまった僕の頭に、最初に思い浮かんだ言葉は、“これを隠さなくては“だった。
 ぶち壊された西野隆像の中で、僕はただ一人佇んで、涙を流しているような気持ちになった。
 裏切られた。
 でも、ただただ一人の人間を想う神聖さに、心が痛くなった。
 これは浮気の手紙、なんて俗なものではない。熱情も切望も、全てが込められた『アネモネの花』に付随する、彼の渾身の作品のようなものだ。
 きっとこの手紙を公開したら、ファンは皆喜ぶだろう。クールで真面目な小説家の意外な一面がこの度発覚! だなんて新聞の見出しにもされること間違いないと思う。そうして、おしどり夫婦の印象があった西野夫妻は、政略結婚から出来上がったもので、裏には悲しい女性の存在があった……だとか、そう言われるのだろうな、と容易に想像が出来た。
 そんなんじゃない。
 これは、そういうものじゃないのだ。
 結婚を受け入れた西野隆のことも、結婚した久子も、その女性も、誰も可哀想だなんて他人が言ってはいけない。彼らの苦しみは、彼らにしか分からないのだ。周りが面白がって冷やかすもんじゃない。この手紙も、悲しい恋文だなんて、取り上げてほしくない。陳腐な言葉で、彼らを汚して欲しくなかった。
 ――だが、しかし、これはこの博物館の“収蔵物”だ。
 博物館の機能の一つとして、公開というものがある。収蔵した資料を展覧会や閲覧等の形で公開して、来館者の知識となるように提供する。博物館に収蔵されたものは一様にその義務があるのだ。他者の目に晒されねばならない、義務。
 手紙はその一部として組み込まれてしまっている。つまりは、どんなに僕が見せたくない、と足掻いたとしても、ここにある以上、手紙は公開されなくてはならないのだ。
 ――いっそのこと、この手紙を寄贈者の西野美子に返せばいいのではないか? 寄贈者にはその資料を持つ権利がある。彼女が資料の公開を拒む、または寄贈自体を拒めば、この手紙は誰の目にも晒されずに済むだろう。今の段階なら、まだ間に合う。
 だが、この手紙を見た時の西野美子の気持ちを考えたら、それはどうも最善ではない気がした。
 自身が、実の父親に望まれて生まれたのではない、と知ったら、あのプライドの高そうな女性はどう思うのだろう? きっと、態度や持ち物から察するに、彼女は“西野隆の娘”をとても鼻にかけているのだろうし、それを誇りにして生きていたのだろう。本当は望まれた子ではなかった、だなんて、父が死んでから知るのは、怒りのやり場もないし、ただ彼女に苦痛を与えるだけではないのかと思った。
 八方が塞がれてしまっている。
 もう一つ、僕がこの博物館から持ち出して破棄してしまう、という案も考えた。西野美子が寄贈したと思っているのは本だけだ。隠されていた手紙だけこっそり持ち出しても気が付かないだろう。だが、僕はそこまで度胸のある人間でもなければ、常識のはずれた人間でもなかった。さすがに、やって良いことと悪いことの判別は付く。いくらこの手紙が見られてはならないものであろうと、盗むなんてことは僕の中の良心が許さなかった。
 なら、手紙を、どうすればよいのだろうか?
 僕は頭を抱えた。どうしようもなかった。時間だけが――ただ過ぎて行ったのだった。

「作業はどうですか?」
 あれから四日後のことだった。
 木原さんがひょっこりと講堂へ顔を出したのだ。彼の優しい声が聞こえる。優しい声、のはずなのに、僕は閻魔大王に話しかけられたぐらいに驚いて、飛び跳ねてしまった。
「あ、ああ、は、はい。順調に、進んでます、よ」
「もう五箱目も終わりそう……だね。あの量をこんなに早く終わらせるのはすごいですね」
 言葉と共ににこにこ、と、木原さんは机に並べられた本たちを眺めていく。
 たまに手に取ってペラペラと捲りながら。
 あれから、僕はずっと悩んでいた。あの手紙をどうするべきなのか、一人で悶々と考えて、木原さんに相談しようかと思った時もあった。だが、やはり誰にも見せるべきものではない、という考えが勝ってしまい、誰にも相談できずにいた。
 また、手紙はずっと、どこにもやれずに困っていた。持ち出すことも、表紙に戻すこともできずに、ずっと机の内側にある棚にこっそりと隠していた。
 僕の心境なんてお構いなしに、木原さんは本を一つ一つ眺めている。僕は、木原さんが『アネモネの花』を手に取り表紙の細工に気づいてしまうのではないか、と気が気ではなかった。表紙の細工に気が付いて、布をめくってしまったら、もう隠すことは出来なくなってしまう。
 お願いです、木原さん。早くこの部屋を出て行ってください……!
 僕の願いも虚しく、彼は本に近づいた。やめてくれ! と心の中で叫んでも、木原さんには伝わらない。そうして、彼は苦笑いをしながら、口を開いた。
「実は僕、この作家あんまり好きじゃないんですよねえ。上っ面だけの恋愛しか書けない感じがして、どうも苦手で。昔のマスコミはこの人の話が大好きでね。やれ新作が発表されただの、やれ子どもが出来ただの大騒ぎで……。ああ、でも、人気のある人だから、企画展とか盛り上がりそう」
 『アネモネの花』をパラパラ、とめくりながら、木原さんはそう言った。
 ああ、ああ。
 僕は咄嗟に、机の中に隠してあった手紙に触れる。この手紙を、誰にも見せたくはない。こんな風に彼のことを思っている人には、なおさら見せたくはない、と心の底から思った。
 木原さんは、表紙の細工に気が付かずにそのまま机の上に置いて、「それじゃあ、ラストスパート頑張ってね」と言って、去っていった。
 残された僕は、ただただ悲しさとも怒りとも言い難い感情を、グツグツと煮えたぎらせていた。
 あんな風に考える人もいたなんて! 上っ面だけの恋愛? そんなことはない! こんなにも色彩豊かで、世界を愛している、人を愛していると歌うような文章が、上っ面だけな筈がない! 実際に、この手紙を見れば、彼がどれだけ人を愛し、そうして現実と理想に挟まれて苦しんだのかが分かるだろうに!
 木原さんのように、西野隆にマイナスなイメージを持っている人は、きっとたくさんいるのだろう。
 そんな人たちに、西野隆の全てであるような手紙を見て欲しくなかった。この手紙を見て、考え直してくれるのならいいけれど、これを材料としてさらにマイナスなイメージを膨らませてしまいそうだと思うからだ。
 ――西野隆は、僕の人生の一部であった。
 西野隆が、一人の女性を愛した手紙。それが公開されることで、貶される要因が増えるだなんてことになるのは、僕は、とても耐えられそうになかった。
 頭がズキズキと痛む。何が正しくって、どうすることが正解なのか。判断が出来なくなって、ぐるぐると目の前が歪んで見えた。机も何もかもがグワングワンと波打って、端には重たい闇が現れて、視界の全てを覆いつくそうとする。
 もう、僕は、どうすることが正しいのか、わからない。
 僕は隠していた手紙を手にし、そうして、そうして――。

 *

 黒いリクルートスーツは、久しぶりに着たために生地が肌になじまない。
 今から面接に行く企業は、ベンチャー企業ではあるが、福利厚生がしっかりしており、正社員で雇ってくれることと、給料が程々にもらえることもあり、本命に近い企業だ。
 あれから、春になって、博物館の業務をしつつも、僕は転職活動をしていた。
 嘱託職員である僕は、最長五年までしか契約の更新ができない。そのために、五年目である今年度で当館を辞めなければならなかった。残りたければ、海藤さんのように再度入社をし直せばいいのだが、もう、そこまでして残りたいとは思えなかったのだ。
 ――あれを公開することが学芸員としての仕事ならば、僕は学芸員ではいられない。
 こっそりと、元あったように表紙の裏に隠した手紙は、誰にも気づかれることなく保管室へと運ばれていった。今年の夏には燻蒸されて、収蔵室に収められてしまうことだろう。
 あれからずっと、西野隆のことを考えているのだが、現実は、僕が想像する以上に生きにくいものなのだなあ、と思った。生きにくかったから、西野隆は最愛の女性と共に生きることができなかったのだ。
 小説家よりも熱望していたというのに、結局は叶わなかった。彼女との未来は、現実という壁にぶち当たって、あっけなく砕け散ってしまったのだろう。そう言えば、二十代のころの西野隆は、なかなか本が売れなくて借金を抱えていた。それを肩代わりしてくれたのが、彼の恩師こと、妻の久子の父だった。そのことが何かしら関係したのだろうか?
 それはもう、知る由もないことだ。
 僕はあの手紙を読んで、さらに現実と理想の兼ね合いの難しさを知った。理想を追いかけることは、現実が許してくれない。そうして、父の言葉が思い出されるのだ。「いい加減にしろ」と。西野隆も、父も、理想と現実の境目に苦しんで、そうして、現実と共に歩むことを選んだ人たちなのだ。傍から見たら大成しているように見えるのだが、彼ら自身は大きな虚無を抱えて生きることとなった。
 僕も、その境目にいた。そうして、現実に飲み込まれて、向き合おうとしている。
 このまま理想に沿った仕事を探すのも一興ではあるが、僕も若くない歳に近づいている。この歳で、正社員になったことがない、というのはそろそろ厳しい歳になってきているのだ。諦め時だろう。
 脳裏に、学生のころから僕に付き合ってくれている彼女を思い浮かべる。こんな僕を、彼女は支えてくれていた。結婚したいと、告げてくれたことに、僕は感謝しなくてはならない。そうして、それに報いたいと思うくらいには、彼女を大切に思っているのだ。
 西野隆と違って、僕はその手を取ることが出来るのだから、それを躊躇ってはいけないと思った。

 ――あの手紙は、いつか公開されるのだろうか?
 収蔵された書籍たちは、新収蔵資料として、来年にでもお披露目されることだろう。その時に『アネモネの花』も展示され、僕と同じように表紙がおかしいと誰かが気が付き、手紙は見付けられてしまうかもしれない。
 それか、西野隆のファンが資料閲覧をする際に見つけるかもしれないし、また別の展示で見つかるかもしれない。もしかしたら、他の博物館に貸し出しする時におかしいと気付くかもしれない。
 ……あの博物館が続く限りは、いつ見つかってもおかしくはないのだ。博物館は、資料を保管する場所。あの手紙も、保管される対象となってしまったのだから、仕方ないことではある。
 慣れない革靴を鳴らして、面接に向かうためにその場を後にする。早くあの博物館から、離れることが出来るようにと願いながら、ギュウ、とネクタイを締めなおす。もう理想を追い求めるには若くないし、現実を受け入れて、僕は向き合うことを決めた。でも、できることなら……。

 ――あのアネモネの手紙が見つからないことを、今日も僕は祈っている。