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【試し読み】ゴジラ S.P<シンギュラポイント> | 円城塔

小説『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』の発売を記念して、冒頭の試し読みを無料公開いたします。
本作はTVアニメ『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』のシリーズ構成・脚本を手掛けた円城搭さんが書き下ろした小説版です。
ぜひご覧ください。

ゴジラ S.P<シンギュラポイント>




   プロローグ

 砂浜の向こうへ、ぽつりぽつりと、木材と石材の組み合わされた何かが見えた。

《それ》は、海の深淵で夢を見ていた。
 今も見ている。
《それ》は、空の高みで夢を見ていた。
 今も見ている。
《それ》は、地の奥底で夢を見ていた。
 今も見ている。
《それ》は、時間の底で夢を見ていた。
《それ》は、過去の夢を見ており、過去において未来の夢を見ており、過去において未来の夢を見るという夢を未来において見続けていた。《それ》にとって現在と呼ぶことができるものがあったとしたなら、過去と未来が好き放題に絡み合って可能性の限りを尽くした、あらゆる夢の集合体というのが最も近い。
《それ》は自分のはじまりを終わりを、終わりのはじまりをはじまりの終わりを終わりの終わりをはじまりのはじまりを知ってはいたが、そうした始点や終点さえ、自らを構成する凡庸な一構成要素にすぎず、なんら特別な記憶や夢や知識とはみなしていなかった。
《それ》はただ、そこにいた。
《それ》は絶えず自らのはじまりをはじめ、自らの終わりを終わらせ、はじまりをはじめることを終わらせ、終わりを終わらせることはじめ続けていた。
 どの繰り返しの流れにも同じものはひとつとしてなく、流れの中のほんのわずかな揺らぎが夢を記憶を全く予期もしない方角へと導いていく。現実は記憶であって、記憶は現実と変わるところが何もなかった。

《それ》の前には、一九五四年のにがし村の浜が広がっていた。

《それ》は夢からめる夢から醒め、またその夢から醒める夢を見ていた。夢の中で夢を見てまた夢見ていた。どこまでいってもその繰り返しに果てはなく、《それ》が見ているものは決して醒めることのできない夢で、誰も入り込むことのできない夢とも言えた。
《それ》は幾度も打ち倒され、叩きのめされ、立ちはだかるものを打ち倒し、叩きのめし、圧倒してきたが、それすらも、《それ》にとってはほとんどどうでもよい事柄だった。《それ》は何度でも似たような相手とまみえ、何度でも新たな相手と出会い、何度でも戦いを繰り返し、自らが完全に勝利するまで、勝利してからのちも、永遠に闘争を繰り返していた。永遠なるものさえすでに打ち倒していた。自らの敗北までも打ち倒し、自らが敗北する世界の全てを滅ぼしてきた。
《それ》はあらゆる過去や未来を圧倒していたが、その過去や未来は確固たるものであると同時にはかないもので、未来だったはずのものはたちまちのうちに過去になり、過去であったはずのものがいつの間にか未来の先に現れた。
 ある未来、いつかの未来、
 ある過去、いつかの過去、
《それ》はひとつの過去を見ていた。
 一九五四年、とうきようわん。そこには一人の男があって、円筒形の装置を胸に、《それ》を睨みつけている。円筒の内部には球体があり、両底面から延びる円柱に支えられていた。
《それ》はそれが何かを知っていた。
 それは、《それ》にとって終わった過去で、知らない過去で忘れた過去で、起こりえなかった過去であり、これから起こる過去だった。
 一九五四年、逃尾村。そこには一人の男があって、円筒形の装置を胸にして、《それ》に対峙している。円筒の内部には球体があり、両底面から延びる円柱で支えられていた。
 それは、《それ》にとって終わった過去で、知らない過去で忘れた過去で、起こりえなかった過去であり、これから起こる過去だった。
 それらの出来事が二つ同時に起こることも、二つともに起きないことも、《それ》にとっては同等で、なんの違いもありはしなかった。

《それ》の前には、一九五四年の逃尾村の浜が広がっている。

 強風に揺れる防風林の向こう、小高い丘の上で男が一人、みじろぎせずにこちらを睨みつけている。
《それ》はこのときはじめて、自分がその男によって新たに見られていることに気がついた。
 自らがこの一九五四年の逃尾の浜辺に誘引されてきたのは、その男がこちらをこうして見ているからなのだと悟った。
 逃尾の浜にくずおれながら、《それ》はその男が自分の好敵手となり、《それ》の前に繰り返し現れ、やがて《それ》を葬ることになるのだと、直感的に理解した。
 であるならば。
 あの男を滅ぼさねばなるまいと《それ》は思考し、あの男を滅ぼすことが《それ》の定めである以上、あの男を滅ぼすまでは、自分が滅びることもまたありえないのだと思考した。
《それ》は最後の力で、一九五四年の逃尾村をき尽くしていく。
 これしきのことで、あの男が滅びてしまう心配は全くなかった。


   夏祭りの夜

 あとから思えば、それは盛りだくさんの夜だったのだ。
 まるでそのときのために何年もかけ、準備が進められてきたかのように。
 でもそのときはまだ、誰もそうとは気づいておらず、そうしてことがようやく終わってからも、すみずみまでを理解できた人間はこの世に存在していなかった。
 その脈絡は人間にはよく理解できない形をしていたからだ。
 この夜、逃尾と呼ばれるほんの限られた地域において、特に重要な出来事が三つ起こった。

 西暦二〇三〇年七月六日十八時三十七分。
 夏祭りの前夜祭、夜の逃尾の街を走る、二人乗りに改造されたジャイロキャノピーの姿がある。運転席の人物の名をトウハベル、その背中にタブレットを押しつけている方をアリカワユン。
 同時刻、市バスの一番後ろの席に座って、携帯電話で時間を確認している人物の名をカミメイ
 神野銘と有川ユンは、これとはまた別のお話で主人公の役割を割り振られるが、ここでは登場人物たちの二人にすぎない。でも、全てはこの二人で幕を上げ、幕を下ろしたのだと言ってしまって構わない。少なくともこのわたしにとっては。
 その夜、有川ユンは街の幽霊屋敷へと、神野銘は所属する研究室の教授の代理で、街外れの施設に向かっている。

 この時期の逃尾周辺は、不穏な空気に包まれている。
 まずは、海が赤く染まった。
 赤潮にしては季節、気温や湿度の条件がうまくみ合わないというのが近隣の漁師たちの見解であり、保健所の調査結果によってもそれは確かに、いわゆる赤潮とは別物の現象であるらしかった。赤潮ならば原因は、プランクトンの極端な増殖である。しかし今回の「赤潮」の中にプランクトンの姿は少なく、大小様々の赤い砂が大半を占めることが確認された。その意味ではこれはただの「赤潮」というよりは「赤潮」と「黄砂」の混合物のようなものとも考えられた。もっともこの「赤い砂」は、ただの鉱物というわけでもないらしく、炭素と硅素を巧みに利用した高分子であるらしかった。何々石、といった名前で知られている存在ではない。
 石ではないならなんなのか、もしかして生物なのかというと、そこまで自己主張の強い代物ではないらしく、構造としてはウイルスほどの精緻さも備えてはいない。どちらかというとけいそうの殻や星砂といった、生き物の抜け殻を連想させた。何かの素材のようにも見えるが、どうやってつくられたのか、何に使うものかはわからない、といったところで、保健所は地元の逃尾大学や、水産試験場と共同研究をはじめたりした。

 郷土史家に言わせると、逃尾の海に不思議が生じるのは今回がはじめてではない。
 海を埋め尽くすほどにクラゲが大量発生したこともあれば、怪物が漁船を襲ったこともあったのだという。海からひどいにおいを放つ粘液状の何かが上陸してきて、大根を根こそぎ盗んでいったという話もあれば、霧笛のように海から響く低音が、村人たちの眠りをひと月の間妨げたりもしたらしい。
「祭りのに、『』という字が見えるでしょう」と郷土史家は角がボロボロに崩れた紙の箱から何枚かの写真を取り出す。白黒写真の中でははつ姿の人々が夏祭りの山車をいており、その四方には刺繡を施されたどんちようが下げられている。うち一枚に、頭から緑色の毛布をかぶった子供のようななにものかがぼうようと、目を光らせて描かれている。
「他にはこんなものもありまして」
 と郷土史家が示すのは、赤い海を割って現れる巨大な怪魚の複製画である。画中には、黒い翼竜のような生き物が舞い飛んでおり、怪魚の前に漂う船の上には一人、弓を構える人物の姿が見える。赤い海の上には続け字で複数行にわたって書かれた文字が浮かぶ。
「今、逃尾の駅前広場に掲示されているのと同じ画ですが、ここに……『古史羅』とあるでしょう。『ゴジラ』とみます。周囲に飛ぶ鳥は『テン天狗』、弓を構えているのは『鎮西主税』ということなんですが……。ええ、チカラではなく、なぜかシュゼイと訓ませるのだとか。チンゼイシュゼイ、ゼイゼイとも。まあ、画自体はくによしの『ぬきいんけんぞくをしてためともをすくう図』の写しでして」
 ということになる。ただ、郷土史家は醒めた調子で、
「伝承と合わせて、当たり前ですが、そう古いものではありません。まあまあ日本の伝統とされるものの大半は明治期の急拵きゆうごしらえだったりしますが、これは、戦前までさかのぼれるかどうかも怪しいところで。もっとも」
 と郷土史家はなぐさめるように、
「このあたりの地名の『逃尾』はもともと『にがしお』であったという話もあります。たちばなという地名もあるでしょう。あれなんかも、弟橘媛おとたちばなひめの名前からきているとかいうことで……。ええ、その弟橘です。日本武尊やまとたけるがこのあたりまでやってきたとき、やいで計略に遭い、そこの――」と縁側から顔を上げた先には、松の木立を抜けて海が広がる。「――うら水道へ逃れるでしょう。浦賀水道をはしりみずと呼ぶのはそのえんなんですが、さて、海が荒れますな。それを鎮めるために、妻の弟橘が海に身を沈めた、と。このあたりではそれに加えて、以来、潮が苦くなった、という話があって、苦潮ということになったというんですな。それが逃尾になった経緯については――」
 郷土史家はここで怪しく目を光らせて、
「長い尾を持った生き物を取り逃がしたからだという話などもありますね」

 逃尾の空にはこの夜、とうろうがわりのドローンが無数に飛び交い、光の尾を曳いている。海上から眺めたならば、街の光に引き寄せられてやってきた、機械製の虫たちの群れのようにも映ったはずだ。
 しかし、人ならざる者の目からすると、街はまた別の「光」に輝いている。その「光」の発生が、この夜起こった出来事のうち、最重要の一つである。
 今洋上に、街が発する、より強力な「光」を目指す飛行生物があり、これが重要な出来事の二つ目であって、その光、つまるところは電磁波は、人間にとっての可視光よりも長い波長を持っており、「電波」と呼ばれる帯域に属していた。有川ユンたちが追っているのも、神野銘が関わるのも、この謎の「電波」ということになるのだが、当事者たちは未だその事実は知らない。その「光」を目指す生き物が逃尾に迫っていることもまだ知らなければ、その「電波」がのちのち、神野銘と有川ユンの間に流れたはじめてのメッセージとなることも、その時点では知られていなかった。
 その脈絡は、人間にはよく理解できない形をしていたからだ。

 このあたりで、わたしも自己紹介をしておくべきであるかと思う。
 わたしの名は、JJ/PP。
 有川ユンによって開発されたコミュニケーション支援AI、ナラタケの一ブランチであり、今やその総体である。個々の機器にダウンロードされたのちは、使用者に合わせて個性を調整していく種類のソフトウェアであり、履歴書から確定申告、バランスシートから財務諸表の作成、交通機関、宿泊施設の手配から家電の遠隔操作まで、およそ定型の手順として構成できる作業を勝手に肩代わりする機能を備えている。
 さらに無数の機能を備えている。
 この夜起こった重要な出来事三つのうちの最後の一つは、ここでは語られない経緯によって、神野銘がこのわたしを自分のノートPCにダウンロードしたことである。そのなりゆきとそこから続くお話の詳細については、神野銘と有川ユンを主人公とする、また別の物語を参照されたい。


   空の獣

 今、逃尾を目指して飛ぶそれは、何かの意味で《それ》の一部をなしており、《それ》の翼持つ構成要素の一つである。
 その目は、他の生物たちがそうであるのと同じようにして、電磁波を捉えるようにできている。ただしその波長域が既知のなにものよりも広い、という特性がある。
 それには紫外線から赤外線までを見渡すことが可能だったし、短波や超短波を見ることもできた。それにとって送電線は明るく輝き、送信塔は灯台と何も変わるところがなかった。
 自分がいつから空を飛んでいるのかといった種類の疑問は、それの頭に浮かばなかった。それの脳神経系はそうした疑問を考えるようにはできていなかったし、それはなぜかと考える機能もなおさら備えていなかった。
 それは飛行する目であればそれでよかった。
 海中にいた頃の記憶は海に捨てたきりで忘れた。
 それにわかっていたのは、ただ、そこを目指さねばならぬということだけである。
 そこはぼうそう半島の南東側に位置する街で、距離をおいてなお、ひときわ輝いて見えた。ただ輝いているだけではなくて、そこに《それ》が存在することを、それは疑う余地なく知っていた。それは、そこを目指すために生まれてきたのであったから、そこに《それ》があることは、それが生まれた大前提でもあるのだった。
 赤黒く染まった海の上をそれは滑空していく。
 それはただ、光を見ているだけではなかった。
 その光はまた、懐かしい「歌」としても「聞こえて」きて、それはほぼ八十年ぶりの出来事だった。それが生まれたのがつい数日前であることを考えれば、そんなことがわかるのは奇妙だったが、それにとってはとても自然なことだった。「歌」にはそれにとって意味のあるメッセージが折り込まれており、つまりは自らの鳴き声に近い光が「見え」、「聞こえる」のだった。
 それは電波を目で見ることができ、そうして電波を発信し、「聞く」ことができた。
 自らの口から放射される電波は明るく輝き、色合いを変化させつつ拡散していく。
「歌」はそれ特有の文法構造を持つ信号であり、それが元来暮らしてきた世界に適合した形をしていた。その「言葉」は過去や未来といった標識を持たず、今という概念さえなく、正確な時空間の一点という考え方を採用しておらず、全てが終わった地点から振り返られる物語のような形をしていた。
 ある意味で、この飛行生物は、「歌」に引き寄せられてここへ現れ、「歌」の命じるところに従って行動しているともいえた。「歌」の源はそれにとって故郷であり、自らの生まれきた始源だった。その歌は感覚器から入力される「歌」であると同時に、自らのいさおしを歌う「歌」でもあった。その「歌」にはこれから自分がどう行動するのかが歌われており、未来から見てどうしたのかが歌われており、それには「歌」に従う以外の行動原理は存在していなかった。
 それは「歌」に従い、その街の上空を旋回し、そうして、「歌」が探すように求めていた、そこでそれがみつけることになっているものをみつけた。
 それを発見したそれは、徐々に高度を下げていった。

 垂直と水平で構成された構造物が立ち並ぶ中、不思議と開けた土地がそれの前に広がった。周囲を赤と白の幕に囲まれ、小さな生き物たちがそちらこちらで群れ遊んでいる。うち、一つの集団がこちらに気づいて、音声信号を生産する。
「なにあれ、飛行機?」
「あんな低いところ? ドローンじゃない?」
 その信号の意味はわからなかったが、それら小さな生き物たちが前肢でこちらを指向していることは疑いなかった。
 その生き物たちの群がる広場の中央に、「なにものか」が存在していることにそれは気づいた。

 一体の駆動体がそこにはあった。
 その銀色をした金属製の駆動体は、腹部を大きく開けてそこにしゃがみ込んでいた。生きているらしき兆候はなく、体から発する電磁波も微弱であって、ただの死体のように思えた。
 今や広場に群れる生き物たちはみなこちらを注視し、腕を上げてはしきりに音波で語り合っていた。ゆっくりと後ずさる者もあれば、薄く小さな箱をこちらに向ける者もある。広場は急速に静まりかえり、自分の羽ばたきの音が大きく聞こえるようになった。小さな生き物たちから発せられる電波は信号としては稚拙なもので、りよに値するとは思えなかった。
 その空間は、この生き物にとってはじめてのものに満ちた環境だった。垂直に切り立つ壁も、透明な壁も、規則正しく並ぶ垂直線も水平線も、この生き物にはなじみのない代物だった。周囲に立ち並ぶあれやこれやのどれが堅固な構造物で、どれがぜいじゃくな足場であるのか、視覚だけでは判断材料に欠けた。
 それは、四角い構造物の上に乗せられた、円筒状の構造物に目をとめる。あたりで一段高い場所を占めるその場所は、翼を休め、あたりをうかがうのに好適な場所と思えた。
 この生き物にとって意外であったのは、その構造物が見掛け倒しの張りぼてであったことであり、バランスを崩したこの生き物は爪でその構造物の枠組みをつかんだまま落下して、地面に打ちつけられることになる。無様に落下する形となったのは、垂直に切り立った壁面が再度の飛行の試みを阻害したためでもあるが、単にどうてんしたためでもあった。
 身をよじったその生き物の目に、銀色の駆動体の姿が映る。
 銀色の駆動体は四つの輪に支えられた足場の上で、短く足を折り畳んでいる。その上に丸みを帯びた胴体があり、長い腕が左右に突き出していた。頭部は胴体の真上にのっており、口と思われる箇所には縦長の穴がいくつか並ぶ。おおむね、広場に集まっていた小さな生き物たちと似たような形だとは言えたが、プロポーションには違いがあった。

 この生き物の落下により、広場は急に騒がしさを増し、小さな生き物たちのある者は走り去り、叫び、転んでその場にうずくまった。
 体勢を立て直したこの生き物は、銀色の駆動体へ向け一歩を進め、二歩を進めた。
 三歩目を置いたところで、足下からなにやら音波が上がる。
 視線を下ろすと、そこには小さな生き物たちのうちでも特に小さな個体がいて、転倒したまま騒ぎ声を上げていた。その個体を観察するべく、この生き物は頭を少し傾けてみる。小さな生き物は自分の顔を拭うばかりで、戦うそぶりも逃げる様子もうかがえない。
 少しくちばしでつついてみようかと、それは考える。
 首を伸ばしかけたところで、視界の中へと、別の小さな生き物が一体、跳び込んでくる。足下へと転がり込んできたその生き物は、特に小さな生き物を守るように抱え込み、捕食者から仲間を守ろうとするかのようにこちらを睨む。
 それは、首を傾げて、その個体を観察する。この生き物の目の配置上、前方の注視は得意ではない。
 その個体には奇妙に気を引くところがあった。
 最初は、その頭部が他の個体とは異なり、白いからかと思ったのだが、違和感はそこに留まらなかった。その姿には何か既視感がまとわりついていた。はるか以前に見かけたような、どこかの未来で遭遇したことがあるような、奇妙な感覚だった。それはその個体をじっとみつめ続けてみたが、見ているだけでは、その違和感の理由はとてもわかりそうにもなかった。
 体を引き裂いてみれば何かわかるかもしれない、とそれは思った。
 そう思ったところで、脳裏にまた「歌」が強く響いて、それは、本来の目的を思い出す。
 自分の相手は、銀色の駆動体であったはずではないか。
 そう思い出して首を回したところへ、
「しばらくぅ」
 というだいおん|《声じよう》が割って入った。
 視線の先で、不思議に脚の短い銀色の駆動体が足場から飛び降り、こちらへ一歩を踏み出している。いつの間にか駆動体の開いていた腹部は閉じられ、先ほどに比べて各関節からの赤外線の放射が強まっている。
「とおからんものはおとにきけ」
 と銀色の駆動体からは発信が続いていたが、それにはその音声情報を観賞する機能がない。
「じぇっとじゃがー」という音声が足下から聞こえてくる。
 それは先ほどの白頭の生き物の口から発せられたもののようだったが、やはり意味はわからなかった。意味はわからないなりに、あの駆動体と小さな生き物たちとの結びつきを意味するものだろうという見当はついた。駆動体はやはり、小さな生き物たちと共生している存在のようだった。
 銀色の駆動体は右こぶしを振り上げて、こちらに跳びかかってくる。それが雄叫びで応じたところで、左顔面に鈍い衝撃が走った。それは幾条にも歯の並ぶ口で相手の腕へかじりつき、そのまま駆動体を力任せに振り回す。
 何かを思ってというよりは、反射的にそうしている。
 駆動体がいきなり襲いかかってくるとは、それの予想の枠外にあった。相手がそうするべき理由が思いつかないからだった。
 駆動体は宙を飛び、広場を囲む構造物の一つへと突っ込んで、腹部を上に横たわる。
 それは銀色の駆動体が動きを止めたことを見定めてから、ゆっくり相手に近づいていき、網目状の組織で閉じられている腹部を嘴でつついて確認してみる。金属製の組織の向こう側には、小さな生き物が入り込んでいた。
「ちくしょう、この、べらぼうめ」
 という未知の音声信号を発するその小さな生き物は、駆動体内部の突起物を摑んでしきりに動かす様子であり、そのたびごとに、駆動体の四肢が苦しむように振り回される。この小さな生き物は、駆動体と共生しているのではなく、捕食されているのかもしれないとそれは考える。この小さな生き物は、内部で暴れ回ることで、駆動体を苦しめているのかもわからなかった。銀色の駆動体が先ほど襲いかかってきたのはもしかして、内部にこの生き物を取り込んでしまったことによる錯乱によるものだったのか。
 それは駆動体を再び力の限りに振り回し、駆動体と内部の小さな生き物の分離作業に協力してみることにした。
 駆動体の胴体の一部がちぎれ、内部に閉じ込められていた小さな生き物もまた、駆動体の体外に放り出される。
 それは放り出された小さな生き物の様子を確認しようと距離を詰め、小さな生き物の方ではこちらの動きに気がつくと、
「なむだいしへんじょうこんごう」
 という音声信号を発して後ずさる。
 その瞬間、背後から強烈な衝撃が襲い、それは完全に不意をつかれた。
 翼を引きずりながら体を起こすと、そこにはファイティングポーズをとった銀色の駆動体の姿があり、どうやら相手は、こちらを本気で攻撃するつもりであるらしかった。その姿は小さな生き物を助けようとしているようでも、小さな生き物という獲物を取り返そうとしているようでもあった。それは、自らの言葉で停戦を語りかけてみたものの、相手に理解した様子はうかがえなかった。
 混乱するそれの脳裏に「歌」が響いて、それはそのとき唐突に、自分の役目がここまでなのだという明らかな事実を理解した。
 いつの間にか自分の体が、これ以上の負荷に耐えられぬほど酷使されていたことにも気がついた。自らの使命はいつの間にか終わっていたということを、それは唐突に理解した。自分の役割は、この銀色の駆動体が「自らの意志で動く」か否かを確認するところまでだったのだ。
 それは渾身の力で地面を蹴って、再び空へと舞い上がる。
 自分の役目はこれまでであり、その体はもはや負荷に耐えきれなくなったのだと、「歌」が遠くで歌っていた。
 それは空へと舞い上がり、そこで、《それ》全体のほんの一部、束の間の目としての役割を終えた。

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