【試し読み】斜線堂有紀の恋愛小説『大団円の前に死ぬ』
斜線堂有紀さんから新作の恋愛小説を頂きました。舞台は歌舞伎町、ホストクラブ。意地と人生を賭銭にした女たちの戦いがはじまる――トー横に地獄の釜が開く。今冬、斜線堂有紀の新作恋愛小説集『君の地球が平らになりますように』発売決定!! 詳細は編集部のnote、Twitterでお知らせします。
斜線堂有紀(しゃせんどうゆうき)
第23回電撃小説大賞《メディアワークス文庫賞》を『キネマ探偵カレイドミステリー』にて受賞、同作でデビュー。『コール・ミー・バイ・ノーネーム』『恋に至る病』『楽園とは探偵の不在なり』『廃遊園地の殺人』など、ミステリ作品を中心に著作多数。恋愛小説集『愛じゃないならこれは何』絶賛発売中。
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-790068-2
大団円の前に死ぬ
ホストと結婚出来る女は一〇〇人に一人しかいないと言われているけれど、歌舞伎の姫の殆どが自分のことをその一〇〇人に一人だと思っている。
というか、そうじゃなきゃ風俗で働いてまでシャンパンを入れたりしない。私達は結婚という大団円を迎える為に、先に自分達へのご祝儀を弾んでいる。これだけやったんだから、これだけ頑張ったんだから、ちゃんと報われていいはずだろと、自分の担当に唱えている。
大団円を迎えられなかった一〇〇人中の九十九人は、負け犬だ。本物の姫になれなかった紛い物だ。私はそうなりたくない。だから、絶対に負けない。絶対に。どんな相手が来ても、勝ち続ける。負けない。勝つ。絶対に。
たとえ、六年間音信不通だった姉が相手であっても。
「要するに、その場で一番金を使えば勝ちってこと?」
『初回』を終えたつぅたんが、歌舞伎の真理を端的に表したことを言う。真夜中過ぎでもパフェを出してくれる歌舞伎特有のカフェでの会話だ。
周りを見れば、どこか気怠げな──あるいは目をギラつかせて明らかにパキっているような女しかいないような場所である。彼女らは愛しい男の前でしこたま酒を飲んだ後、その残り香を消し飛ばそうとするかのようにミルクセーキやらクリームソーダを飲む。目元を赤く染める地雷感マックスのメイクが、縒れて痣のようになった子が何人もいる。この空気が、私は嫌いじゃない。
「そうだよ。初回はあんまりお金掛かんなかったけど、これからは龍弥と一緒にお酒を飲むには、それなりに高いお酒を入れる必要が出てくる。被り──同じように、龍弥を担当してる客が店に来てる時は、特に。そうじゃないと、ホストはより高い酒を入れた女の席にいなくちゃいけなくなるから」
「そのぉ、被りがいない時は?」
「いない時は入れなくても席に着いてくれることがあるけど、基本的にアベ五、六万は入れないと繊維客……金にならない客って思われて、どんどん扱い悪くなるから。あと、月末の締め日には絶対シャンパン入れて。ホストって一か月の売り上げで順位が変わるの。だから、月末は書き入れ時で、この日に貢献出来ない姫は要らないから。死ぬ気で金入れて」
「…………なんか、本当に出来るか不安になってきました」
「でも、龍弥のこと好きなんでしょ?」
「……はい。好きです。龍弥くんのこと支えたいと思ってます。龍弥くんが、頼ってくれたから」
つぅたんが大きな瞳を潤ませながら言った。その瞳の中にはホストに惚れた女が見せる、特有の輝きがある。これから、つぅたんは命を燃やして高級シャンパンを貢いでいくことだろう。どのくらいで燃え尽きるのか、はたまた大団円を迎えるのかは分からないが、こうして一歩を踏み出す覚悟を決めた女の目が好きだ。つぅたんがSNSで発信した『初めてのホストにアイバンしてくれる方。歌舞伎町のシンドロームで、龍弥指名です』という募集に乗ったのも、この初々しさを味わいたかったからだったりする。
つぅたんと龍弥の出会いはマッチングサイトだったそうだ。メッセージをやりとりして意気投合したところで、たまたま龍弥がホストであることが発覚したのだという。龍弥はつぅたんのことを愛しているが、ホストである自分はつぅたんに相応しくないと身を引こうとする。それでも龍弥のことが大好きなつぅたんは、なんやかんやで龍弥のことを客として支えることになった。
これは、結構よくある話だ。売れないホストがどこで営業を掛けるかといえば、SNSかマッチングサイトの二択である。後者は最近にわかに流行りだした方法で、あまり上品ではないけれど効果的だ。相手を惚れさせて金を搾り取る『色恋営業』を掛けるなら、最初から割り切った方がいい。
「龍弥くんが私のことを好きでいてくれるなら、どれだけ待つことになっても耐えられるかなって」
ありがちな手口に引っかかったつぅたんが、はにかみながら言う。色恋営業だろうな、と思っても言わないのは、それが自分にも刺さる言葉だからだ。
「わかるよ、その気持ち。色々辛いこともあるだろうけど、何かあったら病む前に相談して。病むのが一番ヤバいから」
「ありがとうございます。にーあさん、シイラの不動のエースですもんね。憧れます」
シイラというのは、私の担当ホストの名前だ。龍弥と同じ『シンドローム』というホストクラブに所属していて、ナンバースリーの地位に着いている上位ホストである。別につぅたんは被りというわけじゃないのに、他の女の口からシイラの名前が出ると、私はちょっと、ひりつく。
「私は出来ることをしてるだけ。被りにラスソン取られたら悔しさで寝れなくなるし」
「でも、並大抵のことじゃないです。その……こんなこと聞くのって失礼かなと思うんですけど、……月、どのくらい使ってるんですか?」
「アベ三〇〇かな」
「三〇〇って、当然三〇〇万円ですよね……うわあ、考えられない」
「月一〇〇使えなかったら、基本はアフターも店外も回ってこないから。……いや、最初の育ての段階なら、シャンパン一本で店外行けるかもだけど」
「それって、一〇〇万払わなきゃデートも出来ないってことなんですか?」
つぅたんがサッと顔色を変えた。その顔に『付き合ってるのに?』という文字が透けている。
「そうだよ。ホストと『付き合う』のはそういうこと。たとえ彼女でも、絶ッ対金使わないとだから」
「……そうですよね」
「ほら、担当と結婚した蜜柑ちゃんだって最後の最後までエースだったっていうし」
「うん……エースじゃない人間が、そもそも奥さんになろうなんていうのが厚かましいですよね。龍弥くんのこと支えたいから、頑張ります。被り……の人にも負けないように」
「その意気だよ、つぅたん」
「あの、にーあさんとシイラさんって付き合ってるんですか」
ホスト慣れしていない女特有の疑問だ。私は曖昧な笑みで誤魔化して、炭酸の抜けたコーラをぐいっと呷った。そして、一番大事なことを言う。
「あと、スカウト探すなら紹介するから」
*
「私達って付き合ってるの?」
翌日、私は卓に着いたシイラに尋ねる。シイラは唇をあざとく尖らせて、私の方に身を寄せてくる。
「どうしたん、にーあ。何かあった? にーあがそんな風に聞いてくるの珍しくない?」
「別に? なんか、流れで聞かれたから。ホストと姫が付き合ってるんだーって無邪気に思ってる新入りが歌舞伎に来る時代なわけですよ」
「もしかして龍弥指名の黒髪ロングの子? 昨日アイバンしてたもんね」
「龍弥と付き合ってるんですってよ」
「龍弥ってそこら辺上手くやれんのかなぁー」
他人事のようにシイラが言って、暇そうにしている龍弥にチラリと視線を向けた。龍弥はこういう時にボーッとしているからホストとしてダメなんだよな、と私はちょっと思ってしまう。
「それで? 付き合ってるんですか」
私は昨日のつぅたんの口調を真似して、シイラに尋ねる。シイラはとっておきの笑みを浮かべて、私の耳元で囁く。
「結婚したいのはにーあだけだし、にーあが一番大事だし、俺の未来に居て欲しいのはにーあだけだよ」
欲しいのは「付き合ってるよ」の一言なのに、シイラはそこを頑なにぼかして夢を見せる。私の大団円を焦らす。それでも、結婚したいの言葉だけで、私の胸はぎゅうと締め付けられて、まだ見ぬ未来にシイラを見る。私は、つぅたんのことが全然笑えない。
「ところでシイラ、今日家来る?」
今日、場内にシイラの被りがいないことは確定している。ということは、チャンスだ。大体のホストは、その日金を使った女と退勤後の時間を過ごす。ご飯を食べたりホテルに行ったり、あるいは女の家に行ったり。この美味しい釣り餌を、アフターと呼ぶ。
「全然行きたいんだけど、なんか入れてくれる?」
シイラが上目遣いで尋ねる。ややあって、私は言った。
「本でいい?」
「さーんきゅ」
私の頬にちゅっとキスを一つ落としてから、シイラは二〇万円もする、本の形をしたシャンパンをヘルプに頼む。初めて頼んだ時は震えるほどだったそれも、今となっては夜を一度共にする為の代物でしかない。
「カミュブック頂きました~!」
シイラが大声でそう言って、場内がシャンパンコールに沸き立つ。店中のホストが私とシイラの周りに集まって、拍手で盛り上げる。
「飲め飲めシャンパン! わっしょいわっしょい! 今宵は姫と! パーリナイ! ほらほらもっと! 我らももっと! 持ち上げすり抜けわっしょいわっしょい!」
冷静に聞けば何言ってるか分かんないシャンパンコールを、私は無表情で受ける。シイラが肩を抱き寄せて、私にマイクを渡してくれた。
「私は今日もシイラの絶対エースで居続けまーす。全ての被りを潰しきり、目指せ結婚大団円、よいちょー」
シイラにガチ恋してる女による、がっちがちの痛マイクだ。どうせ掲示板では『にーあがまた痛いこと言ってた』とか悪口を書かれるんだろうけど気にしない。だって私は金を使ってるから。どの客よりもシイラの役に立ってるから。シイラもそれが分かっているから、私に文句なんか殆ど言わない。
私がこの店に通い始めて、早いもので三年になる。ノリと好奇心、そしてかなりのヤケクソによって『シンドローム』の扉を叩き、そこでシイラに出会ってしまった。
「初めまして、シイラです。シンドローム初めて? 素直に送り指名してくれると助かるんだけど、俺のことどう思う?」
シイラは、私の想像出来るホストらしいホストだった。髪の色は金に赤メッシュという、明らかに堅気とは思えないようなもので、襟足が長く、仕立ての良いスーツからは非日常の象徴みたいな香水の匂いがした。
顔はそこまで好みじゃなかった。色は白すぎるし、線は細すぎる。垂れ目がちなところも、タイプじゃない。でも、シイラの声が好きだった。ちょっと掠れていて、こなれたホストの外見からは想像出来ないくらい少年染みている。
私は安いチューハイでシイラを卓に着かせ、シイラと他愛ない話をした。話が面白いわけでもなかった。熊本出身だというシイラが、地元の人しか面白くないようなことを話す。私はさして笑うでもなく、シイラの話に相槌を打つ。それから他のホストが入れ替わり立ち替わり名刺を渡してきたけれど、私の頭には何故かシイラのことしか残らなかった。
送り指名はシイラを選んだ。私はシイラと一緒に店を出て、通りで手を繋いだ。
「折角だから、駅まで送ってく」
「こういうのって普通なの?」
何も知らなかった頃の私は、騙されまいとするかのように目を細めて尋ねた。案の定、シイラが答える。
「普通じゃないよ。仁愛ちゃんが好みだったから、役得しとこうかなって。ついでに喫煙所寄っていい? 一服してから店戻りたい」
私の返答を待たずに、シイラは私のことを喫煙所に引っ張っていった。煙草なんか吸わない人間だったのに、シイラが押しつけてきたパーラメントを断れなかった。
シイラの煙草から直接火を貰った瞬間、私の中で何かが終わった。
それ以来、私は週二、三でシイラの店に通っている。
好きになったのはいつかといえば、多分あの喫煙所でだ。初回送り指名で好きになるなんてちょろい。私にも分かっている。でも、あの時にふんわりと好きになったシイラは、私の心に根付き、シャンパンを入れる度に大きな存在になっていった。
シイラとLINEを交換して、やり取りを重ねた。これが本当に良くなかった。
『仁愛ちゃん来てくれてありがと』
『こっちこそありがとう、楽しかった』
『仁愛ちゃんいると癒やされるわ』
『客に癒やされるホストなんてアリなの?』
『今度言ってた映画観に行こうよ。店休日』
最初はこれ。
『俺、本気でにーあのこと好きかも』
『誰にでもそういうこと言ってるんでしょ』
『そんなことない。にーあの中で俺の好きってそんな軽い? 軽くないよ、俺』
ここまでがお決まりの流れ。
『ホストなんかに嵌まらなきゃよかった』
『にーあの中で俺ってただのホストなん?』
『そうじゃん。私のこと嫌いでしょ』
『にーあが好きだよ』
これが暗黒期。
『なんで昨日被りとアフター行ったの』
『あっちがメンブレ起こしててケアしないとだったからだよ。にーあのことは信頼してるから』
『信頼されてるのになんでこっちが蔑ろにされなくちゃならないの。なんでなんでなんで』
被りとのアフターで発狂するのもいつも通りで。
『シャンパン卸さないと記念日ですら一緒にいられないっていうのが無理』
『俺はにーあに無理させたくないけど記念日だからこそ頑張って欲しい』
『なにそれほんと何』
『こんな男でごめん。でも好きだよ』
こんな言葉で繋ぎ留められて。
『にーあと結婚する夢見た』
『言われても困る』
『にーあと結婚したい』
『代わりにリシャですか笑笑笑』
『茶化さないでよ』
『私、あんま家族に夢見てない。お母さんともお父さんともお姉ちゃんとも誰とも仲良くないし』
『じゃ俺といい家庭作ろ』
このやり取りに文字通り夢を見た。
茶番! 回想してみても茶番だ!
誰にでもそういうことを言っているはずだ。わかっている。誰にでもそういうことを言っている、それがホストだ。私と一緒に過ごしていない時は、シイラは他の女と寝てる。他の女と買い物に行き、他の女と遊園地で遊んでいる。
でも、誰にでも言われている『そういうこと』を、信じたくなるのが歌舞伎の姫だ。大勢の中の一人から、特別になりたい。誰にでも言われている『好き』を本物にしたい。シャンパンを卸して初めて家にシイラを呼んだ時、私はそこに幸せを見た。
「にーあの家って落ち着くな。こんなに心安まることってないかも」
「じゃあ住んじゃえば、このまま」
「それいいな。大団円って感じ」
シイラが私の家のクッションを抱きながら、猫みたいに目を細めた。
「その為に、俺と頑張ってくれる?」
頑張るという言葉の意味をまるで知らないまま、私は頷いた。何にも分かっていなかったからだ。今のつぅたんみたいに。
大団円って言葉を最初に使ったのはシイラなのだけど、多分この男は覚えていないだろう。あれから三年、私も二十八歳になったけれど、未だに大団円は迎えられていない。
あの頃の私は昼職だけで通う繊維OLだった。今じゃバリバリに風呂で働いているから、最早懐かしい。ホストと一緒に頑張るというのは、月三〇〇万を貢ぎ、役職を与え、呼び出されたら掛けであろうと行き、絶対に飛ばないことなのだ。
注がれたシャンパンを一口飲むと、良い感じに頭がぼんやりしてきた。これだけホスクラに通っていても、私は酒に弱い。
シイラはダーツが趣味で、最終的にはダーツバーを開くのが夢らしい。その開店資金が貯まったら、ホストを上がって私と結婚してくれるのだそうだ。ちなみに、これもホストの常套句の一つで、みんな何かしらの目標までホストを続けることを宣言しがちだ。目標はダーツバーだったり奨学金の返済だったり、自分のホスクラを持つことだったり、企業資金だったりする。
けれど、これもまた方便なんじゃないかと最近は思っている。それは姫を自分に併走させる為のニンジンに過ぎなくて、彼らはただただホストとして稼げるだけ稼ぎたいだけなのかもしれない。そうなると、私達の目標である『結婚』は果てしなく遠くなる。
シャンパンをもう一口飲む。視界が回る。シイラがヘルプをイジって場を沸かせている。
担当に月三桁貢いでいる人間の八割が、ホストを上がった担当と結婚することを目標にしている。口に出していないだけで九割五分超えているかもしれない。被りは当然十人単位でいるから、九人は報われずに消えていく。
「にーあ、楽しんでる?」
ふと、思い出したようにシイラが尋ねてくる。二十万超えのシャンパン入れて楽しいわけねーだろ。今月既に二〇〇万行ってんだぞ、と思いながら「そこそこ」と私は答える。この地獄をそこそこ楽しんでやる。一番金使って、シイラの夜を買う。被りの憎しみの籠もった目に中指を立てて、他の女達に眠れない夜を過ごさせる。
いつかの奇跡、一〇〇人に一人の大団円。私は、それを手に入れる。
本当に? 信じていいの? シイラはいつか、本当に私を選んでくれる? ──そんな、クソつまらない正論と理性なんか握り潰して。
「あ、初回の子に顔見せなきゃ。ちょっと待ってて」
シイラがそう言って、私の卓を離れて初回の客に着いた、その二十分後くらいのことだった。
初回の客の卓周りが騒がしく、ヘルプがざわめいている。慣れていない客が卓で揉めるのはよくある話なので、最初はそういうパターンだと思った。大方、初回のくせにシイラを離したくなくなったとか、そういうパターンだろう。初回の数千円でシイラを繋ぎ留められない。シイラはそこまで安い男じゃないのだ。
ざわめきが大きくなり、ちらりとシイラの横顔が見えた。シイラは困ったような笑顔を浮かべていたが、そこには泡を吹きそうな興奮が見てとれた。興奮? 一体何に? 心臓の音が大きくなる。ややあって、ヘルプが叫んだ。
「シイラにリシャールいただきましたー!」
その声で、場内がどよめいた。顔を見合わせ、戸惑いの波が場内を包んでいく。私の背も凍り付いた。リシャール。それは、シンドロームでは二〇〇万に設定されている酒だ。
初回の女が初対面のホストに卸すような酒じゃない。貯めに貯めた姫が、ここぞという時にだけ卸す酒だ。さっきのどよめきの理由が分かった。初回でリシャールを卸したいと言い出す女が出てきたら、流石に止める。
「嘘だろ、初回でリシャなんてある?」
私の相手をしていたヘルプが独り言のように呟いて、ちらりと私を見た。その目は、まるで哀れんでいるかのようだった。自分の担当ホストに、あり得ないくらい高い酒を入れられた憐れな負け犬を見る目だ。
「にーあちん。ちょ、シャンコだから行くね」
ヘルプがそそくさと去って行き、初回女の卓へ行く。場内の他の姫も動揺しているようだった。ポンと二百万を出せる女が被りに現れたら、まともではいられない。シイラ担の私を、彼女達も哀れんでいる。
「飲め飲め!!! シャンパン!!! わっしょいわっしょい! 今宵は姫と! パーリナイ! ほらほらもっと! 我らももっと! 持ち上げすり抜けわっしょいわっしょい!」
シャンパンコールも私の時より数倍盛り上がっている。ホストクラブでは金を出した方が勝ちで、下の人間には何を言う権利も無い。私は拳を握りしめながら卓で震える。本物の金持ちが来た? 金を持て余してて気まぐれで入れた? それとも本当にシイラを担当する? 一日で二〇〇万を使える女に、私はこれからも勝てる?
吐き気がしてきた。これからが怖い。エースじゃなくなった私はシイラと結婚出来ない。エースでいられない女に価値はない。怖い。
思考の渦に引き込まれそうになった私を現実に戻したのは、初回リシャール女の声だった。
『えっと……これで喋ればいいんですか? 何を言えばいいかわからないんですけど……』
え?
『何でもいいんですよ姫様―! 我らホストに言いたいこと、見初めたシイラくんに言いたいこと、何でも言っちゃってくださーい!』
『あ……じゃあ……えっと、シイラ君? すごく……かっこいいですね。話してて楽しかったです。こんなに高いお酒飲むの緊張するけど、味は正直普通のブランデーと大して変わらなくて』
『姫、最後によいちょーって言って、よいちょー』
『あ、よいちょー』
よいちょー! と、周りのホスト達が唱和する。拍手が場内を満たし、小さな地震が起きたような錯覚を覚えた。普段なら絶対にそんなことしないのに、私は卓で立ち上がり、初回リシャールホスクラ初心者バカ女の姿を見た。彼女もこちらを見る。その口が『仁愛』と、私の名前を呼ぶ。声なんか聞こえないはずなのに、届く。
数年ぶりに会った姉は相応に老けて痩せていたけれど、薄暗いホスクラの中でも余裕で血を感じる程度には、私の血縁だった。吊り目がちな細い目が狐みたい。ホスクラには絶対に相応しくないスーツ姿と、やけに赤い口紅が完全に浮いている。
六歳上の私の姉。東谷紫乃。
紫乃姉が、二〇〇万のリシャールを初回で入れたクソバカ女だ。
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