【試し読み】約束のネバーランド~戦友たちのレコード~
10月2日に『約束のネバーランド~戦友たちのレコード~』が発売となります。
こちらに先駆けて収録エピソードの中から「二つの道」の冒頭を無料公開いたします。
あらすじ
GFハウス脱獄後の、エマたちが鬼と世界の謎に迫る "GP編"。その中でキーパーソンとなった、ユウゴ&ルーカス、エマと死線をともにし鬼と戦ったナイジェル&ジリアン。そして鬼側の存在として重要な役割を担ったムジカ&ソンジュ。人気コンビたちの、それぞれの過去と絆の物語!!
それでは、物語をお楽しみください。
二つの道
いつの間にかフクロウの鳴き声は聞こえなくなっていた。
レイは疲れ切った体を木の幹にもたせかける。暗い森は気づけば、薄青い闇に包まれていた。木々の間から空の色が透けて見える。
もうすぐ夜が明けるのだ。
「油断するなよ」
そばからかけられた声に、レイは睨むように視線を持ち上げる。
視線の先には、コート姿で、武骨な狙撃銃を背負ったシルエットがあった。名前を明かさないままの同行者。
シェルターで出会ったこの謎の〝オジサン〟とともに、エマと自分はウィリアム・ミネルヴァが示す〝安住の先〟を目指していた。
『A08−63 ゴールディ・ポンド』
この場所に、人間の世界へ行く手がかりがあるのか。ミネルヴァはいるのか。
手紙に残されたこの座標にたどり着くのが、旅の目的だった。
荒野を抜け、森に入った。野良鬼に襲撃され、死にそうになりながらも倒し──そして、エマがさらわれた。
「くそ……」
レイは粗い木の幹を拳で打った。
何度目かの悪態をつく少年を、ユウゴは横目で確認する。会ってからずっと斜に構えていたその表情は、今は焦りを取り繕う余裕もない。
(…………)
かつて、自分も同じ顔をしていた。
いやきっと、もっとひどい顔をしていたはずだ。絶望の中、同じこの道を、敗走した。
────一人きりで。
ユウゴはコートの内側、サイズの合わないベストを握り締める。握る手にはめられたのは、片方だけの革手袋だ。
封じ込めておきたい悪夢の記憶が蘇る。ユウゴは吐き気を抑え、前を向いた。
「……行くぞ」
ユウゴは呻くように呟き、動き出した。震えを、奥歯を噛んで殺す。体がこの先に進むことを拒絶している。
A08−63へ。
それは〝密猟者〟や〝狩猟場〟に対する恐怖ではない。この先に進めば必ず、兄弟達を犠牲にした過去と向き合うことになる。ユウゴは何度も繰り返してきた言葉を、胸の内で呟く。
(俺のせいだ)
十三年前、ゴールディ・ポンドを目指そうと言い出したのは、自分だった。
ハウスを脱獄した自分達になら、叶えられないことはないと思っていた。ウィリアム・ミネルヴァの残した手がかりを頼りに、人間の世界にたどり着く。全員で協力すれば、誰も死なずに、勝利を手にできると思っていた。
ユウゴは、揺れる枝の葉音に、懐かしい声が重なるのを聞いた。
『みんな、準備できたか?』
『このシェルターとも、今日でお別れだね』
旅立ちの日のやりとりは、耳にこびりついて離れない。
万全の荷造りをして、シェルターを出立した。どの顔にも、ミネルヴァを見つけ出し、人間の世界へ行くのだという決意と希望が満ちていた。
(ああ……そうだ)
ユウゴはゴールディ・ポンドへ続く森の道を進む。
もし、あの日に戻れるなら、自分はこの道を選びはしなかった。
『みんな仲良く、楽しいお茶会を』
旅立ちの会話は、柔らかな少女の声で締めくくられる。クッキーに書き添えられた手紙は、十三年間、そのままだった。
新しい脱獄者が、やってくるその日まで。
(はは……最期の〝お茶会〟のつもりだったんだけどな)
まさか食っちまうとは。空になったクッキー缶を前にし、ユウゴは拳銃を握り一人思いつめていたのが馬鹿馬鹿しくなった。あの出会いから今日までずっと、新しい脱獄者達の、予想外の行動に振り回され続けてきた。大事なシェルターを〝人質〟に脅され、案内役(ガイド)を押しつけられ……。シェルターの中を賑やかに駆け回る足音と声が蘇る。ユウゴは胸中で呆れた後、表情を引き締めた。
(死ぬなよ)
さらわれていった少女へ、ユウゴは声には出さず呼びかける。
そして背後をついてくる、険しい眼光の少年を、肩越しに振り返る。
自分の家族はもう戻らない。だからこそ、もう誰にも、同じ道を歩ませたくなかった。
(は……今さら、都合が良すぎるな……)
自分はこの旅の途中で、この二人に、絶望を味わわせようとしていたのに。
ユウゴは視線を前へ戻すと、自嘲する。
新しい脱走者達の姿は、そのままあの頃の自分達に重なった。希望に満ちて、どんな困難が待ち受けているとしても、望む未来を手に入れてみせると瞳を輝かせていた。
かつて自分達GB(グローリー=ベル)のメンバーは、たどり着いたあのシェルターを拠点に、人間の世界を目指すための準備を始めた。
旅のための狩りを覚え、武器の扱い方を身に着けた。保存食を作り、新しい衣服も用意した。準備は協力し合って順調に進められていたが、シェルターを出る日が近づけば近づくほど、誰もが緊張感を抱いた。外へ出れば、再び農園の追手に追われるかもしれない。野良鬼だって油断はできない。人間の世界へ──その手がかりがある『A08−63』へ行くとみな決意していたが、不安も当然あった。
そんな、ある日だ。
『お茶会しましょう』
そう言って、保存食のクッキー缶を持ってきたのは、ダイナだった。クッキーやビスケットは、保存期間の長いものが多く、もしもの時のために取っておこうと決めていた。だからそれを食べようと提案したダイナに、自分も他の兄弟達も驚いた。
『えっ』
『だってそれ保存用でしょう?』
『いいの?』
口々に理由を問う兄弟に、ダイナは笑って言った。
『毎日穴蔵生活じゃ気が滅入るもの』
テーブルの上に置き、缶の蓋を開ける。ぱかん、と軽い音の後、食堂に甘い香りが漂った。
中にはぎっしり、愛らしい形のクッキーが詰められていた。
『一日の最後に、みんなでちょっぴり贅沢するの』
その提案で、その日から夕食の後には、紅茶とクッキーがテーブルに並ぶようになった。
不思議だった。
ユウゴは今思い出しても、あの時間が自分達に与えていたものの大きさに、驚く。
生きていくことや、人間の世界を目指すことに比べれば、そんなちょっとした息抜きみたいなことは、特別重要なことではないと思っていた。
けれど一枚のクッキーと一杯の紅茶だけ、それだけのことで、久しぶりに全員の顔が和やかになった。安全に、確実に、毎日を生きていくことが最優先の暮らしは、笑っていても、心のどこかには張りつめたものがあった。それは、真実を知ってハウスを出てから、思えばずっと、そうだった。
『ハウスのお茶会、思い出すよな』
クッキーをかじって、ぽつりと呟いたのはニコラスだった。
『……楽しかったよね』
年下のジョンが相槌を打つ。
あの時、ユウゴも同じことを思っていた。必死に逃げ出してきた場所だったけれど、思い出はどれも明るく、優しい。それを思い出せたのも、このクッキーと、紅茶で満たされたティーカップだった。
〝お茶会〟は、自分達にとって特別な行事だった。
そうなったのは、あの出来事からだった。封じてきた思い出が、香りを帯びた湯気のように漂い出す。
ユウゴは暗い森を歩きながら、まだハウスにいた頃の記憶をたどる。
始まりは、一冊の本だった。
読んでいただきありがとうございました。
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