かわいいから旅に出ます。

―人生時間は誰が補填してくれる?―


「旅だから出逢えた言葉Ⅱ」/伊集院静

上記著書のⅠの三(p27)冒頭は「若い時に旅に出なさい、と先輩たちがすすめるのは、人が人に何かを教えたり、伝えたりすることには限界があり、夜のつかの間、後輩たちに語って聞かせる人生訓がいかに周到に準備されたものであれ、そこにはおのずと言葉によって伝達する壁がある。」という一文から始まる。
“百聞は一見に如かず”を文章で言うとこういう風になるんだろうな。
そして最後の解説、「三十五歳までに旅をしなさい」につながる。

ところで私は、体験はある程度お金で買えると思っている。
空中ブランコみたいな曲芸も、トランポリンも、ボーリングも、ゲームも、ライブも、音楽も、本も、旅も。お金さえあればなんだってできるのが現代の特徴だと思う。
働かなくても生活できる余裕があれば、仕事なんてせずに世界旅行にだって行けるし、毎日ゲームだってできる。一部の時間はお金で解決できる。

ただ唯一お金で買えないものがあるとしたら、人生に対する時間じゃないだろうか。
政府は、コロナ禍なので感染者数を減らすために自粛してくださいという。
それは一定の効果はあるだろうし、間違っているとは思わない。
でも、自粛をしていたって私の人生は日々刻刻と進んでいく。
「ちょっとハンカチ忘れたから昨日に取りに行ってくるわ」ってガス栓閉めたっけ?ちょっと家戻ってみてくるわ感覚で昨日に戻ることなんてできない。
記憶の中なら、時間を遡ることができるだろう。いわゆる“思い出”といわれているものだ。でも、現実じゃない。
すごく楽しかったライブだってDVDになれば何度でも見返すことができる。
手越さんが肩震わせて泣いてしまった感動のシーンとか、まっすーが何万人のお客さん相手に滑り散らかして換気扇の音がきこえた恥ずかしいシーンとか、メンバー全員がトイレに行ってしまったMCとか。でも、それは過去の録画映像以外の何物でもなくて、イマじゃない。

行動自粛している現在、誰が時間を補ってくれるのだろうか。
時間があっても、そもそも体験の機会が消えてしまっている。だからといってお金は余ってる・・・・ことはない。デリバリーが増えて地味に出費がかさんだり、雑誌買いまくったり、びっくりするくらい歩き回った本を帯のために何冊も買ったり、ハーゲンダッツやピノの期間限定を余分に買ったりしているうちに、体験に使うはずのお金は消えてなくなってる。
おかしい。こういう使い方をするはずじゃなかったのに。推しに貢ぐのは必要経費だからまだいいとしよう。毎週末デリバリー?2週間に1回ご褒美~??同じ2週間前に買った野菜はカビの温床で無駄にするし。なんなんだこの日常は。

自粛してくださいという。だから貴重な毎日を削って、貴重な人生の一部を削って自粛しました。それでも今日は過ぎていく。年齢は絶対に下がらない。私の25歳と26歳で自粛していた期間に行けたであろう場所、ライブ、飲み会は誰が補填してくれるのだろうか。
ここで冒頭に戻る。若い時のほうが絶対に物事の吸収はいい。それは子供を見れば一目瞭然なくらい、わかりきったことだと思う。いろんな体験をするにも若いにこしたことはない。
家でおとなしく2年、3年と時間を潰している間にも、私の若い感覚は消えているのだ。それが、悔しくて悔しくて仕方がない。誰が私の人生時間を補填してくれるのだろうか?・・・これだけは唯一お金で解決できないこと。
若さのボーダーラインが35歳ならば、残り約9年だろう。くしくも加藤さんが伊集院氏と出会った年齢と近い年齢で、同じことを人生の先輩2人から言われている気がする。

だから、自己責任でできる限り旅に出ようと思う。県内をゆっくりまわることは、自分とゆっくり向き合うこととなんとなく似ている気がする。
内を巡りながら、それぞれの良いところを見ようじゃないか。
きっと面白い発見があるに違いない。

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