冬がくると思い出す -そうだ、銭湯へ行こう
∫1 冬が好きな理由
荒木とよひさの「四季」では、
「冬を愛する人は 心広き人」と歌う。
僕は冬が好きだ。
しかし、残念なことに、心は広くない。
歌詞は実態と異なるらしい。
「冬好きの人の性向について、調査研究をしたのかね。
科学者たるもの、エビデンスを軽視してはいけないよ」
ほら、こんなにも心が狭い。
僕は冬が好きだ。
中でも最も気温が低い、厳寒期が好きだ。
僕が冬を好む理由は、その季節が「底打ち」だからだ。
それ以上、寒くなる心配はしなくてよい。
心配要らずの状況なんて、そうそうあるものではない。
∫2 冬好きの理由が変わった
今も冬は好きだ。
しかし、あるとき、冬好きの理由が変わった。
底打ちなどという消極的なものじゃない。
冬がむしろ楽しみになってしまったのだ。
当時、激務の中にあった。
終電になる日が週に何日もある。土日も仕事だ。
給与は十分もらっているが、これでは身体がもたない。
回復のためにできることはないか。
検索すると、職場から歩いていけるところに銭湯があった。
折しも「テルマエ・ロマエ」が流行っていたころだ。
古代ローマの人々も楽しんだという風呂。
早く帰れる日に、銭湯に寄ってみよう。
そして、僕は50歳にして「ととのう」を初体験した。
熱いのと冷たいのを繰り返す。
全身に血流が循環し、体の芯まで温まる。
こまめに皮膚表面を冷やすので、低血圧の症状はでない。
温度の高い血が脳を巡る。
ぼーっとする。良くも悪くも思考がない。
鬱病を患っている身には、苦痛が途切れたひとときが、
救済のように感じられた。
これが噂の「ととのう」かー。
露天風呂がこれまたよい。
体は温かく、頭は冷たい。
この形だと、長時間浸かっていても、湯あたりしない。
手足の抹消血管が拡張し、放熱したがっている。
寝湯に横たわり、手足を冷気にさらすと気持ちが良い。
うーむ、極楽、極楽。
∫3 なんでそんなに温浴好きなの?
僕は幼い頃、風呂好きではなかった。
身体を洗う目的のためだけに、風呂に入った。
洗うだけでいいのに、湯船に浸かるのが時間の無駄に思えた。
今、老人が風呂を好む理由がわかる。
年齢が進むと、手足が冷たく、動かそうとすると重く感じられる。
入浴すると、その後、しばらく手足が温かく、軽い。
温泉事業を行う自治体は多いらしい。
温泉は、高齢の有権者にウケがいいのだそうだ。
我は如何にして温浴教徒となりしか。
たまたま行った銭湯をきっかけに、
僕はすっかり温浴愛好者になってしまった。
∫4 冬がくると思い出す
11月11日。
一部の地域では、木枯らし1号が吹いたそうだ。
熱湯(あつゆ)と外気浴の反復を使って作り出す「ととのう」。
屋外に浴槽を設置することで作り出す「頭寒体熱」。
これらは外気の冷たさが必要なので、夏場は楽しめない。
期間限定の極楽だ。
冬がくると思い出す。
そうだ、銭湯へ行こう。
p.s.
冒頭の猿の写真が素晴らしい。
構図がよい。柔らかく温かみのある色調もよい。
湯や毛の質感もよく表現されている。
そして、猿たちのしぐさや表情がとても愛らしい。
僕は先月、noteに来たばかりで、投稿写真の閲覧方法がわからない。
写真を閲覧する唯一の方法が、投稿時の添付写真の選択という。
note広しといえども、写真目当てで投稿しているのは僕だけだろう。
撮影者のemik_sgrさんにいいねを10個ということで(^^)/
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?