見出し画像

[偶感#1] 身体と精神の調和

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ということわざが最近非常に気に入ってきた。「あっ、いいじゃん」や「確かにそれは健康の意味だね」と思わずにはいられない。でも、なぜその事業に無意識に賛成するだろうか。

私の個人的な習慣を理由として、上に述べたことわざに合うわけだ。毎日、大学や図書館などで勉強するが、運動と健康的な食事を重視している。一日に45分以上は運動をしなければならない。その日常運動というのは、ウオーキング、ジョギング、ヨガ、ダンス、ハイキングなどである。例えば、学校がある日には、朝6時50分から7時10分は駅まで歩いて、駅から大学へ自転車で行くことだ。水曜日と土曜日はダンスの3時間のクラスがあるが、その先(そしてその後も)家から駅まで歩く。でも、よく頑張った日は、家に帰るのがきついだ。朝、駅に行くのは簡単だが、夜は山を登のが本当に疲れる。でも体・心臓に良い運動である。また、歩きながら日本語のポッドキャストを聴いたり、鳥の鳴き声も聴いたりすることができる。どのように疲れても、幸せな時だ。
授業や勉強の時はずっと椅子に座って、身体があまり動かない。当たり前だ。しかし、勉強は頭脳の運動とも言える。学習は頭脳あるいは精神を訓練させるはずだ。しかも自分は精神だけではないので、絶対最初的に身体である。大森荘蔵が書いたように「生きる、とは、知覚的に生きる、ことなのである。」(『ものと心』「ことだま論」9真理・実在・生き方)従って、知覚を得るために身体が必要である。なぜかというと、身体を通じて自分が世界と繋がると思われる。

以上です。ご意見やコメントをシェアしていただければ幸いです〜♪

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?