【SS】ゆで卵とコーヒー


ガンガンガンガンガンガン、ザリザリザリザリという音がキッチンから響いた。
同居人がゆで卵をキッチンの作業スペースの天板にすごい速さで打ち付けていた。何回も、何回も。
「一ヶ所じゃないんだね」
キッチンのカウンター越しにダイニングテーブルから声を掛けると同居人は卵から目を上げ、こちらを見て、にこりともせず口を開けた。
「こうして方がきれいに、どこからでも剥ける」
もう目線は手元に戻り、粉々になってもくっつく欠片をやや雑にも見える勢いの良さで剥いていく。
「へえ、そうなんだ」
僕の相槌に殻を剥く音が応える。
「私にこの剥き方を教えてくれたのは姉だった」
手を止めるどころか加速していくような速さで音が聞こえる。
「この間、母と姉と一緒におでんを作ることになって久しぶりに姉がゆで卵を剥くところを見た」
手元に吸い込まれていくベクトルの声が、静かな狭い部屋の空気の寒さを際立たせるように響く。
「私にゆで卵の剥き方を教えてくれたのは姉なのに、姉はゆで卵を剥くのが下手なの。本人も少しイライラしながら苦手と言いながら家族の分のゆで卵を剥いていた」
僕は読んでいた本に意識を戻さず、同居人の手元のどんどん殻がなくなっていく卵を見ていた。赤褐色の殻はもう半分になっている。卵の下半球がやけにつるりと白い。
「もう姉より私の方が卵の殻を剥くのが上手い。今まで私はずっとそんな風に生きてきた」
卵の殻を剥く音を文字にするとペリペリ、ザリザリだろうか。書くよりも読むよりも速く小刻みに聞こえていた音が止まった。
卵は僅かなへこみが少しあるだけでとてもきれいに剥き上がっていた。
水道の水で細かい殻を落としたつるりとした白が濃い紫の小さなココットに収まる。すると同居人は容赦ないスプーンをその白に突き立てた。スプーンで乱雑に切り分けるように卵は細かくなり、中から黄色がこぼれる。すっかり粉々になった白と黄色に同居人は冷蔵庫から取り出したマヨネーズをかけ、さらには塩胡椒を浴びせた。それを適当に速く混ぜ合わせると、同居人は凶器であるスプーンを咥えた。
「まあ卵なんてきれいに剥けようが剥けなかろうが口に入れれば美味しいタンパク質」
ココットとスプーンを持った同居人が向かいに座る。カウンターに置いてあった二つコーヒーを僕は取った。
「人間も所詮タンパク質だもんね」
まったく気の利かない返事をしながら向かいの相手にコーヒーを手渡すと、やはりにこりともしないままのありがとうが聞こえた。
お行儀は悪いかもしれないけれど、なんだか少しマグカップ入りのコーヒーで乾杯がしたくなるような朝だった。

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