2024年アニメの年です!

先日お取り寄せしたマリアージュフレールのチョコレートとミルクティーを準備。

そんな優雅な空間で、わたしはスマホを横持ちしイヤホンを耳に差し込む。

火曜日。マッシュルの更新日である。
先日コミックスを全巻大人買いしたほどハマっている。大人買いをして分かったことは、大人買いは思ったよりも大人でもなかったことだ。
大好きな作品を自分の空間に置いておくということが、1万円もせずに叶ってしまう。幸福度バグすぎる。



3ヶ月くらい前から、生活にアニメを染み込ませることを心がけている。娯楽に対し「心がける」とは一体。と思うかもしれないが、如何にもわたしはそれを積極的に心がけているのである。


というのも、2023年は実写の広告やMVでの仕事を広げていたが、2024年はアニメやカルチャーな界隈でのお仕事をがんばりたいという強い意気込みを持っているのである。(なにか楽しいお仕事があればぜひ誘っていただきたい!!!)

そんな中ご縁に恵まれ、ある時業界の人に会う機会があった。いつものわたしのスタイルであれば王手をかけるように自分を売り込みに行くだろう。でも、その時のわたしにはなにも語り合えるコンテンツがなかった。

いつからかアニメの話題を振られた時に、「最近は全然追えてなくて。」と言うようになっていた。
「最近は全然追えてなくて。」と言う度 (最近とは...?)と思っていたし、「それまだみれてないんですよね。」と言う度 (じゃあなにをみている...?)と思った。


演技力じゃがりこ面接を目覚ましにし、朝ごはんを食べながらツイキャスを聞き、移動時間には歌ってみたを聞き、朝の読書時間にはラノベを読み、帰宅したらアニメを見てゲームをして、配信を聞きながら寝落ちしていたあの頃。(ちゃんと学問にも励んでいました。)
コンテンツの移り変わりやバズりを直に受け取っている感覚がしっかりとあったあの頃から、一体何年が経っているのだろう。

観ていたアニメや当時のボカロ、ゲームの大会などを調べると、7年程すっぽりと抜け落ちていたことがわかった。
『ようこそ実力至上主義の教室へ』は3期がスタートしていたし、『政宗くんのリベンジ』は2期がスタートしていた。『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』は劇場版でどんどん話が進んでいる。

わたしのアニメ年表を作ったら、確実に「失われた7年」と名前がつき蛍光ペンで線を引かれるだろう。


なぜそれでもネットカルチャーはわたしの中で強いアイデンティティとして確立され、仕事として関わりたいという熱量までもを生み出していたのだろうか。

それは「アニメを見ることが好き」なのではなく「アニメという映像コンテンツに魅せられた」からであると思う。

アニメは何年も追えていなかったが、確かにアニメという映像コンテンツの、映像やデザインの再現性が高いところ、テンポを自在に操れるところ、複雑なカット割りが叶えられるところ、テイストを変えて簡単に表現を大きく変えられるところ、コミックスの醍醐味であるツッコミなどの表現をそのまま映像として落とし込めるところ、などといった要素に対してはずっと同じ熱量で好きでいた。
好きを経験したのではなく、好きがずっと続いているのである。(英文法問題でありそう。)


ボカロも配信もゲームも同じである。
ボカロのコンテンツ概念、配信のコンテンツ概念、ゲームのコンテンツ概念。そういった、コンテンツから要素として抽出されたものをわたしはずっと好きでいる。

なんとも理屈っぽくてわたしらしい。


「失われた7年」に対して最もらしい結論が出た。



なにかを愛することが難しいこの世の中で、わたしが愛せるものがここにはたくさんあると、この7年の間にも心のどこかで気づいていた。
わたしが愛せるであろうものを見て見ぬふりして、愛することから逃げていることに心のどこかで寂しさを感じていた。


自分がいつの間にか外野の人間になっていることにも気づいていた。それでも、わたしはそれがとても怖くてしらんふりしていた。
特にこの業界はコンテンツに溢れていて、熱量も高く代謝がいいとわたしは思っている。外野から界隈を覗いているようじゃ見えている世界は全くの別物である。
身をもって時代を感じているあの感覚を、バズりが生み出されるのをリアルタイムで感じているあの感覚を、わたしは取り戻せる自信がなくて、取り戻せないことを突きつけられるのが怖かったのである。

仕事としてがんばりたいと言うならば外野から覗いているようじゃいけないとは思ったが、どうしたらいいのか分からなかった。
これをしてあれをすれば内側の人間になる。あの感覚を取り戻せる。そんな決められたものではないから。

それでも、とりあえずひたすらアニメを見ようと思った。
その夜わたしはチェンソーマンを一気見した。EDが毎話違うということで話題性が高く、外野のわたしでもずっと気になっていた。(広告効果を実感。)
見終わるや否やジャンプラをインストールした。
チェンソーマンの続きを読みながら並行して呪術廻戦をはじめから履修すると、それはもう世界線がごちゃごちゃである。
脅威の早さで最新話まで追いついた。


【実績解除】テレビの前で待ち構えリアタイし、エゴサしてぶつぶつコメントする。

その時にはもう、あの頃の感覚を取り戻せるかなんて不安はもうなくて、もっとたくさんの作品を愛したいという気持ちで溢れていた。
注げる愛があるということ、愛を注ぐ先があるということは幸せなことであると思う。


作品を愛する日々。
作品が自分に深く馴染んでいくのを感じる日々。



先輩や上司に怯えて堂々と話せない自分の様子を「対宿儺のコミュニケーション」と形容したら友人にウケてうれしかった。


While Writing
『Creepy Nuts/Bling-Bang-Bang-Born』


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