帰国ちゃん、KALDIをOPEN。

20240313
昨日の夜、友人がフランスから帰国したので会いに行く。
1か月前、「出国する日、空港でバイバイしようかな?」と思ったけれど「重いか。」と思ってやめた。
そして1ヶ月程経って、「帰国する日、空港でおかえり〜!」しようかな?と思ったけれど「重いか。」と思ってやめた。

結論を知っているのに、どうしてもわたしはその思考ステップを踏んでしまう。


学生時代、わたしは定理を覚えてもその定理を使う時「なんでこの定理が使えるんだったっけ。」といちいち気になってしまい、度々定理を導くところから勉強をリスタートさせるという初心を忘れなさすぎる人間であった。
同じ結論に導かれるとしても、奥底で生まれた感情に対して1から考えてみることをこれからもわたしは絶対に忘れたくない!!!


友人はやはりジャパンなものが食べたいらしく、友人と、友人の彼と一緒にお寿司を食べることになった。とても楽しみな一面、わたしは他人と食事をするのがあまり得意ではないので、少し構えてしまう。

出来るだけ健康的なものを食べたいとか、今の気分にぴったり合うものを選びたいという理由でメニューを選ぶのにとても時間がかかってしまって焦るし、お寿司や焼き鳥なんかは食べる量をみんなと合わせるのに気を張ってしまって、味わう心の余裕なんて無い。

そわそわしてない感じを装いながらもそわそわとしていると、二人は季節のセットに興味を示していた。わたしも同じものを頼んだ。思考を放棄出来る、かつ量が均一であるそのメニューにとてもたすかった。


最近、思考するキャパが自分の中になくて、よく思考を放棄した選択をしてしまい、その度少し自分が嫌いになる。
先日はシュガーバタークレープを食べるかラムレーズンサンドを食べるかを決めるのも難しかったし、気になるカフェが3つある中でどこに行くかを1時間考えても決めきれず結局スタバに行った時なんかは特に自分が心配になった。

お寿司が運ばれてくると、お土産話の舞台が揃う。
わたしは、友人がフランスにいる間、街中で友人っぽい別人を何度も見かけた話をした。
「ちょっと都会的な友人」
「ちょっと背の高い友人」
「ちょっと髪の色が違う友人」
わたしが寂しくならないように、友人っぽい別人が世界的に多めに生産されていたんだと思う。

他にも、友人がいない間に友人を思い浮かべたエピソードを1個ずつ話していこうとしたけれど「重いな。」と思ったのでやめた。

二人の食べるペースを見ながら、食べ終わる時が揃うように箸を進める。
撮影現場でお弁当を爆速で食べる日々を過ごしていたら、早食いが癖になってしまったのだ。わたしな早食いをしてしまう度、早食いをするようになってしまった自分に「なんだかいやだなぁ。」と思う。きっとわたしの中にいるマダムが、マナー的に心地よくないんだと思う。ただ、マナー的によくないと思う一方で、早く食べることがなぜマナー的によくないのかという理由がイマイチ分からない。
調べてみると、「早食いがマナーとしてよくないのは、お行儀が悪いから。」という小泉構文な回答ばかりが検索結果にあがり、これはチコちゃんに詰められるぞ。と思った。(わたしは『チコちゃんに叱られる!』を気に入って見ていたが、番組内で「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」とチコちゃんに叱られるところよりも、曖昧な回答に対して続け様に「なんで?」と返されるところの方がよっぽど怖いと思っていた。)

『他の人はこちらも検索』の欄を見てみると「早食い イライラ する」「早食い の人 嫌い」「旦那 早食い むかつく」とあった。
これらは「早食い」について、「早く食べること」自体というよりも相対的な早さでの視点だけれど、どちらにせよ「早食い」がもたらす負のエネルギーはハンパなくて、わたしの中にいるマダムがなんだか心地よくないと感じることは正常なんだということだけは分かった。


友人はお土産のお菓子やお紅茶を袋に詰めて渡してくれた。THEお土産っていうものではなくて、向こうの人が生活として利用しているスーパーに置いてある日常のお菓子をお土産にするところが友人らしくて、同時にわたしらしくて、友人はわたしの友人なんだな。と感じた。
個包装じゃなくて渡せなかったものが彼のおうちにたくさんあると友人が言うので、お茶をしにおうちに上がった。


アルファベットが並ぶパッケージのお菓子が散りばめられたその空間はまるでKALDIであり、わたしの知らないものを次々と紹介してくれる友人の姿を見て、「南蛮貿易だ。」と思った。

While Writing
『Lamp/A都市の秋』

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