カウントダウンで連れ出して。

皆勤賞だったピラティスに早くも終止符。
箱根の温泉に行くというのは、ピラティスと同じく「健康をする。」という動詞であるのできっと公欠扱いである。

相変わらずTeleの音楽を生活に馴染ませている。
車がバウンドするリズムに惜しくも合わないBPMがもどかしい。

以前、季節限定かなにかのサプライズでお湯が白く濁っていた。米ぬかの湯だそう。わたしはそのお米の甘い匂いがするお湯をとても気に入って、ぷかぷかと浮いている米ぬかの入った袋につんつんとちょっかいを出しながらだらだらと浸かった。

次の日、身体に赤い水玉模様が出来ていた。
しつこくちょっかいを出したせいかもしれない。


浴槽をみると、今日は米ぬかの湯のように白く濁ってはいるが米ぬかの湯ではない湯が張ってあった。
なんの湯なんだろう。と思ったが、「しじみのお吸い物だ!」と思ったらそれにしか思えなくなったので、しじみのお吸い物ということにしておく。


ひと通りぼけーっと考え事が終わる頃にはとうに逆上せているが、どうしても「温泉の恩恵をちゃんと享受出来ただろうか?」と不安になってしまって出来るだけ長く浸からなければという気持ちになる。


「出来るだけ」というのが昔から苦手である。
「ページ数は指定しないけれど、出来るだけたくさん漢字を練習をしてくる。」という宿題とか、別に休まず寝ずにやれないこともないし。
わたしはいつも全力であるので、自分で終わり時を決めるということが本当に出来ないのだ。そしていつもそれに苦しめられている。

あぁ、あつい。
あついけれど、上がるという決断をくだせない。

温泉というリラックススポットで自分のそんな特性に苦しみ悶えていると、隣の親子が10から数字を数え始めた。


「じゅーう、きゅーう、はーーーーち、なーーーーーーーな、ろぉーく〜?ごぉーお、よーん、さぁーん、にーーーーい!いーーーーーーーち!」

強弱をつけたりニュアンスを変えていて、母親というのは表現力に長けているんだなと感心する。


「ぜーろっ!」


わたしはその「ぜーろっ!」と一緒にお湯から上がった。勝手に親子に混ざってしまって申し訳ないが、こうでもしないとタイミングを失ってしまいそうな気がしたので仕方がない。
親子のカウントダウンで思ったよりすんなりとお湯から上がることが出来たわたしは、わたしの人生にはこうやって一緒に連れ出してくれる人が必要であると感じた。

お風呂からあがるといつもはコーヒー牛乳を飲むが、今日は気になっていた館内のカフェに行くことにした。
カスピ海ヨーグルト(なんかぷるぷるしているヨーグルト)を頼んで付いてきたメープルシロップが表面張力を本領発揮してぷっくりとしていたのがかわいかった。


お夕ご飯にはお目当ての猪の温泉湯くぐりを食べた。
湯くぐり。なんてお上品な言葉なんだ。「しゃぶしゃぶと湯にくぐらせる。」という文の中でこんなに印象が変わるなんて。思えば、わたしは「しゃぶしゃぶ」という擬音にあまりしっくり来ていない。今後は湯くぐりという表現を積極的に使おうと思う。


猪のお肉を湯にくぐらせると、母は「体温が上がりそうだね!」と健康意識を見せた。
母は、猪とかスッポンとかそういう類の食べ物の効能に対して「体温が上がる」以外のレパートリーを持っていない。

メニューを覗くとイチオシに湯葉丼が載っていた。
湯畑を湯葉の取れる畑だと勘違いしていた彼を思い出して、ふはっと笑ってしまった。
思い出し笑いってコスパいいな。


いつの日か07を押して落っこちてきたコーヒー牛乳はあの人を想いながら。
いつの日か23を押して落っこちてきたコーヒー牛乳はあの人を想いながら。

変わりゆく数字。コーヒー牛乳はいつもわたしの気持ちを知っている。


While Writing
『あいみょん/強くなっちゃったんだ、ブルー』

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