紫陽花に光沢はない。

出先で雨が降ってきて、今年何本目かのビニール傘の購入。昨年の今頃、雨を少しでも好きになれたらと、雨の日はフルトンの傘と共に過ごそうと決めたのに未だに購入していないのである。

傘はわたしをまるっと覆い、「ドドドドド」という雨音がわたしを覆う。まるで殴られているよう。
怖い。寒い。冷たい。
「もうどうにでもなれ。」と全てを諦め集団リンチを受け入れているようでしかない雨が、わたしはどうも苦手。


傘をさしても足元はびちゃびちゃで、サンダルは水を吸い込んだ。一歩一歩ジュワッとする足の裏。自転車を漕ぐたびに腿を擦る制服のスカートを思い出させるように、濡れたデニムパンツの裾が肌を擦ってヒリつく。

駅上のカフェで人と待ち合わせ。
テーブルの下でこっそりサンダルを脱いで、右足の裏で左足の甲を滑らせた。下校中、雨に心を折られカフェに逃げ込み、張りつく膝下の靴下をくるぶしまで折り畳み下げている時を思い出させるように、濡れた足はピタッと冷たくて、ちょっと痒い。


こうしてわたしは「梅雨」であることを認識した。


指先を、梅雨色に染めたい。
ネイルサロンにて「今回はどんな感じにしますか?」と聞かれるとわたしは毎度、年号を発表するかのようにテーマを発表する。
前回は「新緑」であった。


次は「紫陽花」に決めた。


デザインの齟齬をなるべく避けるべく、ネイルはいつもシンプルなワンカラーで仕上げてもらっている。それでも、カラーのニュアンスが違ったり、透明感が違ったり、フォルムが違ったりで悩まされることもしばしば(中学一年生の頃、oftenの和訳で「しばしば」という日本語を覚えました。)あるので、ていねいにイメージの共有をしていく。

たくさんのリファレンス写真を見せればビジュアルとして間違いはないはずであるが、なんとなくのニュアンスやコンセプチュアルな理解があればぐっとイメージに近づくはずだと、わたしは言葉を考える。

水浴びをした紫陽花。
「ちょっと膨らませすぎなんじゃないか?」というくらいに膨らまされ、色が伸び薄くなったヨーヨー。
Teleの「初恋」とか「花筏」とか、RADWIMPSの「ハイパーベンチレイション」とか、溺れるナイフの「コウを追いかけて」とか、おいしくるメロンパンの「look at the sea」とか、Billie Eilishの「Ocean Eyes」とか、そういう水分量の高い音楽みたいな。

そんなイメージであったけれど、混乱を生む可能性を感じて「水っぽくて、ちゅやんって感じ。」という言葉に全てを託した。

なんとなく伝わったらしく、そういうデザインなら料金が変わってしまうけれど「デザインやり放題」というメニューで再現出来ると提案があったのでお任せした。


今まで、ブルーグレー、ネイビー、ボルドー、ピンク、グリーンなどいろんなカラーを爪にのせてきた。
ネイルを変えた日は湯船に浸かりながら、決して生物らしくはない色の爪が、まるで生まれながらであるかのように馴染むことへ不思議に思う。
ただ、クリスマスシーズンに浮かれてゴールドのマグネットネイルをした時にはどうも馴染まず、これまでとの違いを考えてみた結果、馴染まないのは生物にそぐわない光沢をしていたからであるとわたしは結論づけた。

くしゃみすら自由にできない、両手を塞がれた状態で、ぼぅっと作業を見つめていると「オーロラ」というらしいキラキラする粉を塗り始めた。


「オーロラ」なんていう自然界の名称ではあるものの、生物にそぐうはずのない派手さをしている粉に慌てたが、「それは生物にそぐわない...!」とは言い出せず黙って様子を伺っていた。

仕上がりはやはり生物にそぐわない光沢をしていた。そして、その粉のために「デザインやり放題」というメニューに変更になり、そのメニューはいつものものより3500円高いことを知った。
あの粉を塗ることが「放題」になることに戸惑いを隠せなかった。


帰り道、紫陽花を見かけて手をかざしてみたけれど、やっぱり紫陽花に光沢はない。


生物にそぐわない光沢に悲しくなったが、ふとコガネムシも同類の光沢であることに気づき、仮説を立て直さなければいけないと思った。



そういえば、調べてみたらまだ梅雨じゃなかったっぽかった。

While Writing
『Tele/花筏』

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