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「誉めて伸ばす」ばっかできるわけない

「誉めて伸ばす」という呪縛

今の親世代は、「昔と違って子どもは誉めて伸ばす」を実践してきました。

まだ子どもが幼児のころなら、「なぜ人を叩いてはいけないのか」をよく話して根気よく教えていくというのはよいことだと思います。昔のような「殴って同じ痛みを分からせる」という方法論は今の時代アウトです。ならば言って聞かせて納得させるという事を根気よくしていくほかありません。これを読んでくれているお父さんお母さんは、きっと育児書やネット記事を読んで熱心に「良き親」をされてきたことと思います。大変でしたよね。

でも。

小学校に入って学年も上がっていくと、誉めるところが見つからない。気付けば怒ってばかりいる。また今日も怒ってしまった、後悔・・・。辛いですよね。本当は笑って話して楽しい家庭にしたいのに。

「靴をそろえられない子」を誉めて伸ばせるか

話は変わりますが、「靴をそろえる」はどうでしょう。

靴をそろえなかった子がそろえるようになった。誉めてあげられる。

ちょっと待って。

その前に、「そろえるようになる」ってのが必要ですよね。誉めるためには「誉めることが出来る状態に持っていく」ことが必要です。実は、これが「誉めて伸ばす」の弱点です。

もちろん「そろえた方が次に履きやすい」とか「靴に限らず、物はきちんとそろえておくのよ」と言い聞かせ続ける・・・ことも考えられますが、実際は非常に難しいわけです。

そもそもよく考えたら。

なんでもかんでも子どもに「納得」させるのって不可能じゃない?

だって「靴?別に次履くとき困らないし」って言われたら、大人だって「確かに、たいして困らないよな」って気持ちもあったりするわけです。

こういう「理屈じゃないところ」は、言って聞かせて納得させて・・・というやり方とは相性が悪いのです。子どもが理解するのも大変だし(だって子どもだし)親だってずっと同じ事言い続けるなんて天使でもない限りできやしない。人間だもの。イライラすることだってありますよ。だからなかなか誉めて伸ばすってところまでたどり着けない。当たり前なんです。

しつけとは、理屈がないところにある

本来「しつけ」に分類されることがらは、ある程度理屈抜きで「そうさせられる」という対処が必要になります。よく分かんないけどこうしなきゃいけないんだ、って、社会に出るときの第一歩じゃないですか。もちろん物によっては「いやいや、もう変えなきゃいけないでしょ」ってこともあると思います。

でもやっぱり社会は「そう言うよく分かんないルール」を守ることでお互いうまくやっている部分もあるわけです。

今の子たちは、そういう「よく分かんないけどこうしなきゃいけない」ってことを知りません。大人が全て放棄してしまったといってもいいかもしれません。

今の大人が悪いとは言いませんが、やっぱりある程度「大人が子どもに強制的に何かをさせる」という部分って、必要なんですよね。

それがないままあっという間に成長して中学生とか高校生になってしまう。

もう、ほとんど「誉められることがない」毎日です。

「誉められる」を失った子どもたち

小さいときにとにかく「誉めることで人は成長するのだ」と大事にされてきたのに、あるときから突然テストの点数や試合結果という嵐の中に放り込まれます。

誉められることを失った子どもたちは、誉められることを夢見て延々とさまよいます。

同じクラスに学年1番がいる。
隣のクラスには大会で優勝した子がいる。
スマホを見ればキラキラ整形の子がたくさんの「いいね」をもらっている。

なんで私だけこんなんなんだろう。誰にも「いいね」されない。

子どもたちは毎日そう思って生きています。

「親は誉めなければならない」呪縛からの開放

そもそも、子どもを育てるのに「誉める」一択なわけがないんです。

時には怒るし、時には納得いかないことでも我慢させる。そういうことだって必要なんです。

「そんなこと分かってる」って思われるかもしれませんが、どこまで覚悟を持ってやれているでしょうか。

子どもを育てると言うことは、双方に痛みを伴うのが当たり前なんです。誉めて子どもばかりがいい気持ちになって親が我慢し続け根気よく・・・なんてのは、そもそも人間関係として歪(いびつ)なんです。

誉めて伸ばすだけじゃ、うまく行かないのは当たり前なんです。

「スマホ?うちはダメ」

例を挙げてみましょう。

今の親のほとんど全てが通る、子どもからの「私もスマホ欲しい」問題。

どういう対応をしましたか?

もちろん早くから持たせてリテラシーを身につけさせる方針も全然ありです。むしろ今の学校ではそういう方向で教育していますよね。現実に持っている子がたくさんいるから、そうせざるを得ないというのが正直なところでしょうが。

ここはあくまで思考実験として。

「みんな持ってる」
「私だけ持ってないといじめられる」
「1日1時間って時間決めてちゃんと使うから」
「次のテスト頑張るから」

容赦なく「あ、うちはダメだから。はいおわり。」と何人の人が言えるでしょう。

スマホはあくまで例ですが、こういう「自分の思い通りにならない」ことって世の中生きていく上では必要な体験ですよね。

もう一つ例を挙げてみましょう。

子どもがサッカーが大好きで、クラブチームの練習に精をだしている。子どもが楽しくやりたい事をやっている姿は親としてもうれしいですよね。

そんなとき、「塾の宿題をやってないんですが、最近の様子はどうですか?」と塾から電話がかかってきたとしましょう。

テキストを開いてみると白紙だらけ。

毎月高いお金をはらって、週に何回も送り迎えしたり時にはお弁当を持たせてまでやっているのに。

知らないうちに自分の子が「好きな事しかやっていない」ことに気付いていますか?

やりたい事を応援してあげたい。その気持ちは分かりますが、一方で「やらなければならないことをやらせる」から逃げちゃってませんか?

厳しいですがこれは親の責任です。

「やりたいこと」と「やらなければならないこと」、一生ついて回る永遠の課題です。が、「すきなことしかしていない子」が最近とても多いです。

サッカーはゲームやyoutube、TikTokに置き換えてもいいです。

やりたい事だけができちゃうのって本来おかしいことですよね。

「誉める」しかしてこなかったとしたら、それはちょっと軌道修正した方がいいと思います。大人になったら働かずにインターネットばっかしてるニート・・・みたいになってしまうかもしれませんよ。


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