茂木健一郎さんの動画『日本の教育に多様性がなかったからこの惨状』を見て考えたこと
先日にこんなツイートをしました。
概ねこの通り手放し大賛成なんですが、ちょっと考えることがあったので深堀りをしていきます。
主に私の小学校・中学校時代の思い出から考える、これからの教育の話です。
(過去を振り返ると呪詛のようなことしか出てこないですが、どうかお付き合いください。)
小学校・中学校は軍隊みたいだった
私は小・中・高と公立の学校に通っていました。
高校はとても良い環境で仲間と切磋琢磨でき、充実した日々だったのですが…
小学校・中学校に関してはもはや学校ではなかったですね。
まるで監獄か、軍隊みたいでした。
クラス全員が基準点に届くまで永遠に基本計算とか、
全員髪型・服装検査に合格するまで、クラス全員でお説教を受けないと行けなかったりとか、
体調不良でも昼休みは必ず外に出て遊ばないといけないとか、
振り返ると「なんだそれ?」ってものばかりでした。
ってわけで、小学校・中学校は大嫌いでしたね。
学校に行かない=悪
そして茂木先生も動画で仰っていたこと。
「学校に行けない・行きたくない」は認められない現状なんですよね。
学校に行かなければ内申点もつけられない。
内申点がつかなければ普通の高校に進学することは出来ない。
学校がキライなだけで社会のレールから外れてしまうというのはおかしな話です。
苦しませているのは学校側だというのに。
皆と同じ行動が出来ない=悪
頭髪は統一・学力の標準化・長時間の部活動など…
学校が求めるものってちょっとズレているんですよね。
全員が同じ見た目で、同じ行動をすることを「集団生活」と呼んでいるようです。
私がびっくりしたのは小学校時代の先生の一言。
「まだ授業で習っていないことを口走る奴は最低。」
うちの小学校では習っていない漢字を使うのも、
学校で扱っていない地理や歴史の知識を披露するのも、
マイナスという概念について言及するのも禁止でした。
特に中学受験組は苦労したようですね。
小学校3~4年生から学校の進度なんて無視して勉強を頑張っているわけじゃないですか。
学校ではどこを習って、どこを習っていないのかなんて覚えてないですよ。
授業中に意見を求められる度に、まだ習っていない知識について触れてしまいよくお説教されていました。
もうね、今考えると笑っちゃいますよ。
これが日本の「教育」です。
優秀な人材が育たないのも当たり前ですね。
真面目な人が一番損をする環境
当たり前ですが、上記のようなお説教って授業の時間を潰して行うんですよ。
誰かが違反物を持ってきたら学年全員体育館に集められてお説教。
誰かがまだ習ってない事を発言したら授業をストップさせてお説教。
誰かが放課後問題を起こしたら次の日は午前中の授業を全て潰してお説教。
何かあるごとに授業がストップするんです。
学校以外で勉強する方が効率が良いというのは誰の目から見ても明らか。
なのに「学校に来ない=悪」とされているんですよ。
もうさ、そういうのやめませんか?
一番被害を受けているのは、真面目に学校に通おうとしている人。
「学校に来ない人はおかしい」
「全員で足並みを揃えるべき」
こんな価値観だから、真面目な人が損をする環境が出来てしまうのではないでしょうか。
「学校に行きたくない」があってもいいじゃない
「学校に行きたくない」って言う子にはいろんな背景があるんです。
●勉強はしたいけど環境が悪い
●そもそも集団生活が合わない
●学校の勉強が簡単すぎてつまらない
どれもこれも、悪いことではないですよね?
今はホームスクーリングやオンライン学習など、昔に比べて良いサービスも増えてきています。
でも学校はそれを許さないんですよね。
このコロナの時代、茂木先生がおっしゃるように教育においても多様性を認められるようになることを祈ります。
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