誇りを失わない
今回は生徒に対する先生の二大派閥の話から。
私たちの業界的には大きく分けると「褒める派」の先生と「叱る派」の先生がいます。
どちらかと言うとキョンコロ先生は「褒める派」だと自分では思っていますが、過去に酷く生徒を叱って号泣させたことももちろんあります。
でも、概ね「褒める派」です。
ただ、本当は褒めても叱ってもどちらでもいいと思っています。
要はその生徒さんの「誇りが失われなければ」いいんです。
これは親御さんも、先生も気をつけなければならないところです。
例えば教務のテクニックは経験を積めば上がっていきますが、この「誇りを失わせないための声がけ」はあまり行われていない気がします。
以前、ちらっと漏れ聞こえた話でとても怖いと思ったのはこんな話・・・
「わからない奴らには良いものに触れる機会など与えなくていい、どうせわからないのだから」という先生がいたり・・・。
先生に対して「おい、お前コピー取れんのかよ?」という生徒がいたり・・・。
前者は良いものに触れる機会を意図的に与えないという意思を感じるいうこと、また、自分のコントロールの通りの理解でなければ理解したとはいえないという感覚を持っているということが大きな問題でしょう。
後者は「あなたは○○できない」という表現が、相手の事をとにかくなんでもいいから酷く貶めたいという幼稚な考えを持っているということが問題のようです。
そして、両方の共通点としては、おそらく別の人から言われて自分も貶められた経験から来ている可能性があるということが考えられます。
これは大変な問題です。
誰かを貶めなければ自分の満足につながらないという感覚を教育者が持っていることも、これから大きく躍進する可能性のあることも忘れて低い抽象度でしかものが見られない状態で「ま、いいか」と子供が思うことも。
だから、キョンコロ先生は子供たちに何かを教える時「この人は未来のある一点で私や親御さんの思うよりもっとすごい力を発揮する」というイメージを常に持つようにしています。そして、その片鱗を生徒さんの現在の中から見つけ「うまく出来ているよ、その調子」と声をかけるようにしています。
しかる時も「どのように考えて選択するのも自由で、自分の責任で生きていくのだ」と相手の選択の自由、相手の人生に対する敬意などは忘れないようにしています。
これから教壇に立つ若い先生などはこれについて本当に考え抜いた指導をして欲しいと思っています。
今、目の前にいるその生徒さんは先生よりモノも知らないし、先生のコントロールで簡単に動かせたとしても、先生はその生徒さんの人生の本流へは入れません。
時間が過ぎていけば、その生徒さんが学びを重ね、私たちを超えるのだという意識を持って授業に臨んで下さい。
いずれ我々を軽々と超えていけるというイメージと、生徒さんには「未来の時間」があるのだということを忘れないで下さい。
誇りを持って生きられるように、声がけをしてあげてください。
では、次の更新でお会いしましょ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?