『見える』と『視える』
今回は、注意力について話します。
僕の書く文章を読むのは主婦が多いだろうという偏見に基づいて、受験で必要な注意力を掃除で例えます。子供に掃除をしてもらって、その進捗を見に来たとしましょう。その時、子供はキラキラした目で掃除が終わったと言いますが、部屋の隅にはしっかりホコリが残っています。
さて、子供は掃除をサボっていたのでしょうか?
子供によってはサボっているかもしれません。しかし、たいていの場合、子供には部屋の隅のホコリが『視えていない』のです。パッと床を見た時、目に映ったホコリを認識できるかどうか、その感受性が子供と主婦では異なります。日常的に、何に気を配って生活しているかが、この感受性を形作るのです。
そして、主婦も、子供の時にはホコリが『視えていなかった』はずです。ではなぜ視える様になったかといえば、部屋の汚れに気を配って生活するようになったからです。
僕が言及したい『注意力』とはこのことです。見えた物を視るスキルと言い換えても良いでしょう。
同じことは中学受験においても言えます。例えば、算数の計算ミスや国語の抜き出し問題など、注意力が要求される分野で点を落とす子がいます。そしてそういった子に注意力不足を指摘すると、『たかがケアレスミス』と真剣に受け止めません。これではいつまで経っても『視える』ようになりません。
頭の中の解法のレパートリーは演習量と比例する傾向がありますが、注意力は演習量とはあまり関係がありません。一回一回の勉強で少しずつ直していくしかありません。周りの大人が、根気強く指摘し続けるしかないのです。
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