見出し画像

レスリング阪部創選手のドーピング冤罪についての薬剤師的な私見

 これはなかなかに悩ましい事件で、おそらく最終的な帰結までにとても長い時間を要するだろうから、ここらへんで現状俺の知るところをまとめてみることにしました。某NBA放送に投稿した内容+αって感じで、興味がある人だけ読めればいいのでちょっぴり専門的な内容や、自分なりの考察のようなところも交えていこうと思う次第。笑い事じゃない内容だけども楽しんでいただければ何よりです。

 ことのはじまりは昨年6月、レスリングの阪部創選手(イケメン)がアセタゾラミドという利尿薬を使用していたとしてドーピング処分を受けました。利尿薬はドーピング薬をウォッシュアウトする目的で利用されることがあるため、直接ドーピングに使用はしないが検査の対象薬となってるわけですね。阪部創選手の検査結果は紛うことなき陽性で、血中から禁止薬物アセタゾラミドが確かに検出されました。

 しかしながら、これは完全に選手側に過失のない、医師に診察を受けて処方された普通の薬への、ドーピング薬の混入であることが後日判明することになったのです。

 処分が取り消されると共に阪部選手は製薬会社を提訴します。2019年11月15日に第1回の口頭弁論が開かれたとのことで、まさに現在、一部(俺の中)でホットな話題となっています。

2019/3/4 スポニチ
レスリングの阪部創 ドーピング処分取り消し 医師から処方された胃腸薬に混入か
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/03/04/kiji/20190304s00032000320000c.html

2019/10/24 日刊スポーツ
阪部創、無罪のドーピング違反で製薬会社を起訴
https://www.nikkansports.com/sports/news/201910240000489.html

2019/10/24 朝日新聞
「胃腸薬に禁止薬物」レスリング選手、製薬会社を提訴
https://www.asahi.com/articles/ASMBS5JTLMBSUTQP015.html

 あたりが参考記事ですかね。

 こちらが製薬会社側の言い分。要約すると、当社で作成をしていない原薬の汚染が原因であり、その汚染の程度も最も厳しい基準の範囲内なのですが…といった感じ。この混入を原因とした健康被害はありえないとしています。
https://www.sawai.co.jp/release_list/20190419/671

 彼らは過失、少なくとも、何か賠償責任が生じるような過失はないというスタンスで、この件に関して棄却を求めています。
https://www.sanspo.com/sports/news/20191115/spo19111518450008-n1.html


 よくわかんない人の方が多いと思うので簡単に補足しますと、製薬会社に対する原薬の立ち位置は、レストランに対する野菜のようなものと考えれば想像しやすいと思います。原薬は純粋な化学物質で、これに添加剤を加えたり形を錠剤に整えたりして製薬会社は『お薬』を世に出すわけです。

 公共機関が設けた基準範囲内での野菜の汚れや異物の付着について、料理を提供したレストラン側に責任はあるのか? ないとしたら、それは農家や、あるいは基準を設けた機関の責任になるのか? どこにも責任がないならこの選手はこの先いったいどうすればいいのか? といったところが論点ですかね。頭にも書きましたが難しく、なかなかに悩ましい問題です。その後の経過はちょっとググった程度ではわかりません。

 こうして阪部選手はわずかに―健康被害の可能性がない程度に―利尿薬に汚染された薬剤を服用し、それがドーピング検査に引っかかることとなりました。凄い感度の検査だなあと思うところですが、その日に服用したとは限らない禁止薬物の使用を暴くことが必要で、人体で自然に生合成されるものでなければ擬陽性の危険性は低いわけだから、ありったけの感度で検査をするのかもしれませんね。詳しい人がいたら教えて欲しいところです。

 さて、今回この阪部選手はどう考えても利尿薬の使用はありえないことだと自分で思い、自身の使用薬剤を自主的に分析検査したところ、その中に利尿薬アセタゾラミドの混入が確認できたようです。これは自分で勝手に証明しなければなりませんでした。相手は証拠を正しく出しているわけだから、当然といえば当然ですかね。

 しかしこの自主的な分析検査に対しては、よくそこまで頑張ったなと感心すると共に、おそろしさに身の毛がよだつ思いがします。普通ここまで頑張れないし、分析には専用の機械が必要なので、やるツテもないことだろうと思います。製薬会社が協力的になる筈がないのでどこかの大学の研究室にでもお願いしたんですかね? ちょっと想像がつきません。前述の参考記事内で調査機関に依頼したようなことが書かれていたのでどこかにそんな会社があるのかも。

 と、まあこんな次第で、誰も意図せず、誰に訊いても大丈夫と言われる薬剤にドーピング検査の対象薬が紛れ込み、それで検査に引っかかる可能性は実例ありで存在します。この阪部選手の事例における製薬会社は国内のものですが、原薬メーカーは国外の会社でおそらく世界中に卸していることでしょうから、この可能性は日本に限った話ではありません。この話題の薬剤は自主回収などの処置も取られていないので今後ありえない話でもありません。

 ほかの薬剤やスポーツで同じような混入が生じた事例はあるのかしらと思ってざっと調べたところ、プロ野球界隈にも見つかりました。

2019/9/25 時事ドットコムニュース
巨人選手摂取サプリに禁止薬物=契約するドーム社製品-プロ野球
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019092501269&g=spo


 この事例の場合はドーピング検査に引っかかる前段階で混入が確認されたため、「ふ~ん。大丈夫なのかしらねえ」くらいで済んでいる印象です。海外の事例は調べていませんが、前述の参考記事内には、海外でも最近見られるようになってきていて問題視されている、といったようなことが書かれています。

 こんなところが現状俺が知っているこのドーピング冤罪事件のあらましです。悩ましいのは、すべての登場人物が悪いことをしているわけではないのにこのような悲劇が生じているところですね。

 阪部選手の言い分はわかります。

「使用可能な医薬品を飲んでドーピング違反者になってしまった。使用可能な薬から禁止薬物が出たら、選手は自分を守ることができない」

 まったくもってその通りですね。

 仮にこれがドラッグストアやインターネット経由で購入した、言ってしまえば自分で勝手に行った薬物療法で同様の結果が得られたのであれば感じ方も違うことだろうと思います。しかし、阪部選手の場合は医師診察の上で処方され、薬剤師が調剤監査した薬剤でドーピング検査陽性となったわけです。きわめて理不尽な出来事でありその不条理さに対する怒りや憤りは想像もできません。

 だから、そんな薬を作った製薬会社を訴えるという行動は至極当然のものだと思います。そう思いはするのですが、一方で、製薬会社側の言い分にも頷けるのです。

 ドーピング検査の対象となる成分は限られており少数なのだから、その混入がないかどうかを検査するのは容易かつ当然のことであり、製薬会社はその義務を果たしていない、といったところが選手側の主張ですが、これで勝つのはおそらく無理です。

 あらゆる分野でそうでしょうが、薬剤の製造過程においても、果たすべき規準のようなものが国際的に設けられています。その中で異物の混入についてどの程度以下にしなさいよ、みたいな項目があるのですが、それをこの薬剤は満たしているようなのです。

「いやどの程度とかじゃなくて、ゼロにしろよゼロに。異物混入なんて冗談じゃねえよ」

 といった主張をしたい気持ちはわかりますが、現実的ではありません。なぜなら、ないことを証明するのはとても難しいからです。悪魔の証明をさせたがるのはナンセンスなことでしょう。

 ではどうするか? 一定のとても低い、この程度であれば有害さはないよねといえる値を定めて、それ以下であることを保証すればいいんじゃないのという話になるのです。これが薬剤の製造過程において果たすべき規準のようなものであり、ちゃんとその範囲内であることは確認できていますよ、というのが製薬会社側の主張になります。

 仮にこの主張で製薬会社側が負けるようなことがあれば、俺が悪い人だったらその判例をとても有意義に使います。

 おそらく、ものすごい感度で検査すれば何かしらの異物混入が見つかる薬剤はそこら中にあると思いますので、その見つかった成分を禁止した規定の競技を何かしら作成し、適当な選手 or 選手もどきにそれを飲ませて検査して処罰すればいいわけです。そして製薬会社を訴える。

 まあこの計画は粗悪なのですぐにバレて勝てないと思いますが、こんな感じで良いシナリオを探せば、どこかに転がっているんじゃないですかね?

 閑話休題。とにかく製薬会社側からすると、ちゃんとした規定に沿ってちゃんと製造販売しているわけだから、それに文句を言われましてもねえ、といったような感じでしょう。もちろんこんな悲劇を繰り返してはいけないので、以後気をつけられるように改善できるところは改善しますが、そもそもの責任はありませんよ、といった主張に反論するのはちょっと俺にはできません。

 では薬剤製造時の規定そのものが不適切なのか?

 ドーピング検査の感度が高すぎるのか?

 どちらも変更するにはそれなりの労力と時間とリスクが伴いそうな気がします。攻めるとしたらドーピング検査の方かなあと思いますが、緩めた結果そこを利用したドーピング手法が横行する、みたいなリスクも考えられるのでなかなか難しそうだなあと思います。

 原薬が悪いんだったら原薬メーカーこそを責めるべきなんじゃないの、と思う人もいるでしょう。しかしこれも難しいです。原薬作成には原薬作成に関する規定や規格があって、彼らはそれをパスしているようだからです。

 そもそも、製薬会社や原薬メーカーはスポーツ選手のみを対象として薬を作っているわけではありません。彼らの目的は安全安心な品質の薬剤を作って人々の健康に寄与することであって、そこにはちゃんとした公的機関の設けた品質管理の基準があります。スポーツ界隈独自の検査に引っかかって選手が不利益を被ったと言われましても、そんなの知らんがなというのが正直なところじゃないですかね。

 しかしながら、そこには実害を被った若く有望で何も悪いことをしていない選手がいるわけだから、何か彼のためにできないか、こんな事例が再び生じないためにはどうすればいいのか、といったところは当然考えられるべきでしょう。

 繰り返しますが、このように登場人物の全員が罰せられるべきであるような過ちを犯していないのに確かな悲劇が存在する、というのがこの冤罪事件の悩ましいところです。個人的には、製薬会社が多少譲歩して、責任を認めたりはしないけれども何かしらスポンサードするなり仕事を与えるなりして結果的に選手の助けとなってあげるのが良い落としどころかなぁと思います。最終的にはこのような問題に対して共闘の姿勢のようなものを作れれば、もっともよいのではないですかね。

 ただそれには選手側や、あるいは世間の認識を改める必要がおそらく必要で、そういったことなしにただ助けのようなものを得てしまったら、金をもらって丸め込まれたような印象になって誰の利益にもならないかもしれません。難しいところですね。

 いずれにせよ、この事例の今後の動きには要注目です。実際のところ裁判がどのような結果に終わるかわかりませんが、むしろ終わった後の動向の方が個人的には興味深いと思っています。

 どこかから金を持ってこれるなら、こうしたドーピング検査対象薬の混入を分析検査した上で提供するような、スポーツマン用医薬品会社みたいなものが立ち上がったら面白いかもしれません。スポーツマンにとって安心なOTCを製造販売すると共に、対象薬の全ロットを検査し安全性を保証する医薬品集を作成し、有料会員にその情報を提供するような感じの会社。

 どこかに既にあったり、大きなプロスポーツクラブであれば自前でやってそうな気もしますが、どうですかね。何なら高給で俺を雇ってくれても構いませんよ、と、実在しない企業に売り込みをかけたところで終わりとさせていただきます。さようなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?