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受験薬学:ヒートなのかシートなのか

 
 お受験に使う知識じゃないとは思うんだけど、おそらく実習に行った薬学生や新人薬剤師のほぼほぼ全員が疑問に思うところだろうからこのカテゴリにすることにする。今回はいわゆる“ヒート”について。
 この単語はたぶんマイアミ・ヒートのファンでもない限り世界中で薬剤師しか使わないものなので、「なにそれ? それ知って何か俺の人生に利益ある?」と疑問に思ったnot薬剤師は今すぐこの記事を読むのをやめた方がいい。
 知らないけど俺には必要ないねと思っている薬剤師には一応知っておくことをお勧めする。雑談の中で医師なんかに「そういや君らヒートで払い出すとか言うけどあれ何なの?」と訊かれることがあるからだ。おそらくやつらは日常会話の中でそいつの持っている情報の精度や踏まえている根拠のほどを職業病的に常に推し量っている。
 こういう実務に必要ないお薬トリビアを知らないこと自体はまったく罪ではないけれど、疑問にもつ機会がそれまでの薬剤師人生の中でなかったということはそいつの経験不足を意味してしまう。そして疑問にもつ機会があったにも関わらずその情報を手に入れていないということは、そいつの能力不足を示唆してしまうのだ。だから知らないこと自体は罪ではないけれど、知らないのは罪深いことである。

 なんだか前置きが長い上に説教臭くなってしまった。おじさん化が止まらない。ということで本題、ヒートについて書いていこうと思う。本記事内で使用する画像はタイトルに使ったマイアミ・ヒート画像を除いてすべていらすとや由来である。あそこはほんまに何でもあるで。
「ヒート」
 と薬剤師が言うときに頭にイメージしているのはこれである。


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 お薬に触れたことのあるほぼ全員が触ったことがあるであろう、あのお薬シートだ。だからおそらく「ヒート」と薬剤師が発声したとき皆さまは「あれこいつ今シートって言ったのかな?」と引っかかることだろう。おれもはじめてやつらが「ヒート」と言うのを聞いたときにはそう思った。おそらく実務実習中のことである。
 しかしながら、彼らは何度聞いても「ヒート」と言っている。メモを覗くと「H」なんて書いている。なんてえっちな薬剤師なんだろう? おれが実習初日に接した薬剤師のひとりはとても綺麗な人だった。
 それはさておき、おそるおそるその実習生こと私が「ヒート」と口に出してみると、驚くべきことにすんなり会話が通るのだ。リンゴをリンゴと呼ぶのに誰も疑問をもたないように、おれの違和感だけが置き去りにされて日常業務が回っていく。
 なんてクレイジーな世界!
 思い出は美化や誇張をされるものなので、その日おれはそう叫んだことにしておこう。

 ちなみに薬剤師界隈における「ヒート」の対義語は「バラ」だ。「バラ」と言うとき薬剤師は頭にこんな感じのものを思い浮かべている筈である。


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 こちらは想像がつきやすいことだろう。シートに収まっていない、バラバラの錠剤やカプセル剤のことである。通常ボトルに入って流通しており、それはバラ包装なんて呼ばれる。
 日本ではほとんどボトル払い出しは行われないため、こいつは何のためにあるかというと、おそらく一包化のためである。

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 こんな感じで1回分ごとに薬をまとめてパックすることを一包化という。複雑な飲み方でたくさん薬を使っている高齢者なんかには人気の調剤様式だ。欠点はタダではないということと、飲むのが簡単になるため自ずとポリファーマシー傾向になること、そして自己調節がやりづらくなることである。
 たとえば便秘の薬や睡眠薬なんかはその日の調子に合わせて自己調節したいことだろう。だから現在おれが働いているような精神科で外来も院内調剤をしている病院なんかでは、ベース・レスキューのような考え方も用いて一包化する薬剤とヒートで渡す薬剤をそれぞれ患者ごとに設計したりする。
 そうでなくても調剤内規のようなものに応じてヒートを使うパターンやバラを使うパターンを判断・確認しなければならない機会が多いので、薬剤師は日常業務の中でしばしば「ヒート」と口にすることになるのである。

 さて、このヒートだ。実務実習中、定期的に質問タイムのようなものが設けられていたため、おれは例の綺麗な薬剤師に訊いてみた。
「なんでこれをヒートっていうんですか?」と。
 すると彼女はほんわかとした、可愛い以外に何も意味がない顔で「なんでだろうねえ?」と聞き返してきたのだった。
「いやでも言うねえ、ヒートって。なんでだろうねえ」
 もしわかったら教えてよ、と、まったく知識の足しにならない返答を受けたおれは、正直とても満足した。回答なんて何でもいいのだ。ジェンダーな思考かもしれないけれど、対人業務は圧倒的に可愛い女性が有利である。
 そしてこの疑問を放置するのも気持ち悪いのでその後自分で調べることにした。その結果を改めて思い起こしてまとめたのがこの記事の主題であり、なんと主題に入るまでに2000字近くかかっているようである。おそろしい話だ。

 結論からいうと、「ヒート」の由来はおそらく「ヒートシール包装」だろう。ただしこれは正式名称ではないかもしれない。ヒートシールというのはビニル包装なんかの口を加熱圧着することでパックする技術のことで、ある種の実験やバイトや家事をやったことのある人ならピンとくることだろう。開けたポテチの口を再度シールできるあいつ、なんかで思い浮かぶ人もいるかもしれない。
 かもしれない文体ばかりになるのは、簡単に調べたくらいではこのへんの詳しい歴史がよくわからなかったからである。だからこの記事を作成しているわけだけれど、「なぜ薬剤師はヒートと言うのか?」という疑問に対して研究している人が見つからないのだ。だから当時グーグル様に教えてもらった情報をつなぎ合わせて確認しがてらに推察しているのが本記事なので、もし間違っていたら教えてください。

 一応そのへんの歴史について触れてくれている記事は見つけた。
『医薬品包装の変遷』
http://www.spstj.jp/publication/archive/vol21/Vol21_No4_1.pdf

 日本包装学会のアーカイブである。そんな学会が存在するの。いらすとやにあらゆるイラストがあるように、世の物事にはそれぞれ学会が存在するのかもしれない。
 しかしこの記事を読んでも時期の前後は明確に書かれていない。だから多分におれの憶測も含まれているのだけれど、おそらく医薬品包装の歴史的にはSP包装→PTP包装と導入されてきたものだと考えられる。そしてSP包装という形態にクリティカルに用いられているのがヒートシール技術なのである。ヒート包装なんて呼ばれたりもする。
 このヒート包装の出現は画期的なものだったことだろう。なんせそれまでちまちま測らなければならなかったお薬を分包品で買えるのだ。おそらく爆発的に普及した筈である。
 それでおそらくこの時分に、パッケージされた薬剤の総称が「ヒート」になったのではないかと思われる。対義語はバラだ。これが現在まで脈々と受け継がれているわけである。

 PS5が開発されている現在においても母ちゃんたちは問答無用であらゆるコンシューマ機をファミコンと呼ぶように、我々薬剤師はPTPシート包装だろうがそれをヒートと呼ぶ。ハッシュタグ付きで抗議のツイートが寄せられたとしてもやめることはないだろう。
 実際問題、こういう「そもそも厳密に言ったら不適当だよね」って感じの呼称は便利なのだと思う。元々小さく間違っているのでそれ以上の厳格性が求められないというか。
 たとえば、「PTPシートをヒートと呼ぶのは間違っている! 私は断固としてシートと呼ぶ!」という人がいたとして、彼はSP包装の場合はどうするのだろう? ジプレキサザイディスやミニリンメルトODのような凍結乾燥製剤の裏紙はアルミじゃないし、PTPシートではなくブリスターと呼ぶのが添付文書的には正しそうな気もするぞ。
 というわけで、おれは「PTPシートをヒートと呼ぶのは正しくない」という意見には同意するが、「従ってこれをヒートと呼ぶのは不適切だ」という意見には同意しない。こまけぇこたぁいいんだよ。

 と書いてて気づいたが、この記事の主題はヒートという呼び方が適切かどうかではなくて、なんであいつのことをヒートと呼ぶかだった。つまり今書いているこの部分は蛇足で既に目的は遂げられている。
 話は終わっている筈なのにだらだらと喋っちゃうのもおじさん化の成すところなのだろう。
「ファミコンじゃねえよかーちゃん、これプレステだよ!」
 とかつての若者が文句を言っていたように、絶対にそれらをヒートと呼ばない若手薬剤師たちが現れ、我々おじさん薬剤師たちを駆逐する日も近いのかもしれない。なんせ若かりしころのおじさんたちは、母ちゃんたちの「なんね、わかるんやから呼び方なんて何でもよかろうもん」的な反論には決して耳を貸さなかったのだ。
 

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