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本が読めなくなってしまった

かつて、浴びるように本を読んでいたわたしは、どこに行ってしまったのだろう。

近頃めっきり本が読めなくなってしまった。鬱状態のときには文字を頭が受け付けなくなるという話はよく聞くけれど、自分に限ってそれはないだろうと思っていた。何故なら、人生で一番ひどい状態だった大学二年生の夏からの一年間、わたしはたぶん人生で一番本を読んでいたからだ。

午後遅くに起きて、明け方眠るような生活の中で、多いときは一日で3,4冊読んでしまうくらい、ずっと本を読んでいた。それ以降も、読む量は減っていきながらも、わたしの生活はずっと本と共にあった。枕元の積読の山を切り崩しながら、図書館でも頻繁に本を借りていたし、出掛けるときはたいてい鞄に本を入れていた。

でも何故か、この一年半でめっきり本を読まなくなってしまったのだ。
原因に思い当たる節はいくつかある。

まず国外への引っ越しをしたことは大きい。もちろん本は何冊か持ってきたけれど、今の家には本棚らしい本棚もないので、物理的に本に触れる機会が減った。実家には本が山ほどあったので、それは恵まれていることだったんだなと今更ながら実感した。それから日本語の本を扱う本屋さんや図書館がないこと。だから新しい本に出合う機会も少ない。Twitterで情報収集はするけれど、もともと本は書店で買う派で、用がなくとも立ち寄っていたくらいなので、これができなくなったことはかなり大きかった。電子書籍という手ももちろんあるが、わたしは正直電子書籍があまり得意ではない。電子書籍だと本を読んでいるという実感が得られないのだ。kindleリーダーも持っているし、電子書籍も買ったりはするけれど、わたしにとって本が紙であることはけっこう大事なことだったのだということも思い知った。金銭的にも物理的にも、読みたい本を全て買うことは不可能だから、気軽に本を貸し借りできる家族や友人が身の回りにいなくなったことも正直しんどい。

でもそういう、海外生活におけるハンデやデメリット以前の問題で、そもそも持ってきた本すら読めていない現状がある。

フルタイムで働いているわけでもないし、夫とのふたり暮らしだから家事にもそれほど時間を取られるわけでもないし、やるべきこともあまりないのだから、自由になる時間などいくらでもある。
でも気力がないのだ。

以前、「Twitterを永遠に見てしまうのをやめたい」という記事を書いたことがあった。

これはいまも改善できていない悩みのひとつだ。Twitterを見続けるくらいなら、本を読んだほうがずっと有意義だということはよく分かっている。でも気がつくとTwitterを見ている。もしくはインスタのリールを見ている。きっと、自分から探しに行かなくても次から次へと情報が入ってきてしまうことが問題なのだろう。SNSは、気力がないひとと、とてもマッチしやすい。

思えば日本にいた頃にも、就職を機にめっきり読書量が減ってしまったということがあった。当時は単純に時間がないのだろうと思っていたけれど、原因はそれだけじゃなくて気力のなさもあったように思う。

この2,3年の間は、わたしにとって色々と変化の大きい期間だった。就職して、転職して、結婚して、海外に引っ越しをした。それはもう、気力を使い果たしてしまっても仕方がなかったのだ。

半年ほど前、「ソシャゲに復帰して気がついたこと」という記事を書いた。

この記事にも書いたことだけれど、わたしはここ数年の変化の大きさに、疲弊しきっていたのだと思う。それが目に見えて現れたのが、本が読めないという現象だったのだ、きっと。

最近、ほんのすこしだけれど、気力が戻ってきつつある感じがする。日本にいる親友が、読みたかった本をたくさん送ってくれたことが刺激になったのか、自然と本を手に取ることができるようになっている。わたしはそのことがとてもうれしい。今年はほとんど本が読めなかったけれど、きっとこれは自分の回復のために必要な期間だったのだ。大丈夫。すこしずつでも前に進めている。


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