道の街を踊る[2023/10/02-2023/10/08 日記]
10/2(月)
きょうからパリ旅行。行きの電車は6時台だったので、5時に起きて支度をした。最初の予定が健康診断なので、朝食は食べれないが、久しぶりに友達に会うのでせっかくならちゃんと化粧をしたい。なんとか時間通りに家を出たが、トラムがタッチの差で行ってしまっていて、次のがなかなか来ずはらはらした。なんとか電車に乗ったあとも興奮してしまって眠れず、モバイルバッテリーを忘れてしまったので(やっぱり忘れ物をした)、ノートを取り出して土日の日記を書いた。
パリに着いたのは予定より15分くらい遅れていて、まあTGVは基本遅れるものなので仕方ないのだが、慌ててホテルに向かった。パリには1年弱住んでいたが(家は郊外だったが)、あまり土地勘のない地区だったのでホテルの近くでうろうろと迷い、ホテルに着いたのは予定より20分以上遅れてのことだった。ホテルの入口のところで親友のKと合流。遠目に姿を見ただけで思わず名前を叫んでしまい、きゃーきゃーはしゃぎながらハグをした。この1年以上、夫の友人に会うことはたくさんあったが、自分の友達に会ったのは初めてだったので、こういうノリがなんだか懐かしくてとても嬉しい。Kとは中学1年以来の仲で、大学時代はそれほど頻繁には会わなかったが、大学卒業後に不思議と会う機会が増えて、ここ数年は紫乃やもうひとりの親友Tちゃんと4人で旅行にも行っていた。わたしの数少ない大切な友人の一人である。
ホテルの部屋に荷物を置いたあとは、Kと一緒に電車に乗り、途中で別れてわたしは病院に向かった。なんだかんだあって、1時間くらい遅れてしまったが、病院のひとは全然気にしていないみたいだった。
12時半ごろに健康診断が終わって携帯を見ると、Kから、きょうの午後ベルサイユ宮殿で乗馬をするはずが、乗馬屋さん(?)から待ち合わせ場所の連絡が来ないという。彼女は電話が使えないうえにフランス語も話せないので、代理で電話をした。フランス語と英語をちゃんぽんで話しながらなんとか連絡が取れて、ひと安心かと思いきや、一回のやり取りではうまく時間と場所が伝わらず、何回か電話をしたり、メールをしたりしつつ、わたしはわたしでミュシャ展に行きたかったのでグランパレに向かった。ところが、いざグランパレに着いたらなんと改装工事中で、ぐるりと周りを半周してからようやくネットで調べてみると、全然違う場所で展示をやっているらしい。この日のパリは28度の快晴で、スマホの電池もどんどんなくなるし、手持ちの水も尽きそうだった。Kと乗馬屋さんとやりとりしつつ、とりあえずいったんホテルに戻ることにした。
ホテルでお水を1リットルくらいがぶ飲みし、トイレを済ませると、ちょっと落ち着いた。充電しつつ、Kの遅刻を乗馬屋さんに電話とメールで平謝りし、なんとか15時半にKが無事待ち合わせ場所についたのを確認したときはとても安堵した。それからわたしは大使館に用があったので、閉館ぎりぎりの16時半に大使館に滑り込み、1番線を行ったり来たりした疲労でもうホテルに戻って休むことにした。
19時くらいにKがホテルに戻ってきて、一休みしてから近所のレストランに夕飯を食べに行った。ふたりともなんだかんだ朝ごはんしか食べていなかったからはらぺこで、シェア用に前菜のコロッケみたいなものと、メインにそれぞれ牛肉のタルタルを頼んだ。
Kとは一時期同じ会社で働いていたので、ほとんど週1で飲んでいたが、会うのは1年2か月ぶりだったので、話が盛り上がりすぎて、隣の席のお姉さんたちにちょっと白い目で見られたほどだった。(同じ音量で話していても、フランス語で話すより外国語で話す方が白い目で見られがちなのは、話している内容が分からないせいだと思う)ほとんどなにを話したか覚えていないが、友達とそういう益体もない話をしている時間は人生においてとても大事だなと改めて実感した。
夕食の後、ちょっと離れたところにあるシードルバーに行って、そのあともう一軒行きたかったのだがわたしの疲労が限界に達していて帰ることになった。あまりにも眠くて口数が極端に少なくなってしまい、Kにも一瞬で眠いことがばれたのはちょっと笑えた。ホテルに帰って、先にお風呂に入らせてもらい、「寝てな~」と言われて先にベッドに入ったら、ほんとうにKがお風呂から上がる前に爆睡してしまっていた。
10/3(火)
朝9時起床。Kが先に早起きして近所でパンを買ってきてくれたので(ありがたい)、ホテルの部屋でクロワッサンとシナモンロールとミルクティーのちょっとおしゃれな朝ごはんを食べた。
のんびりめの10時すぎくらいにホテルを出て、パリの中心部のLes Hallesにあるショッピングモールを見て回った。同じH&Mとかでも日本とはちょっと品揃えが違うらしくて、Kは鮮やかなオレンジの素敵なオケージョンワンピやくすんだオリーブグリーンのレースのカーディガンなどを買っていた。思えばKとはあまり服を買いに行ったことがなかったので、彼女の買い物する様子を見るのはなんだか新鮮だった。これはここでしか買えなさそう、というものを試着して良ければさっと買い、いまいちな点があればすぱっと諦めるのが、潔くて彼女らしい。わたしはスーパーでお水だけ買ったが、後で重くてとても後悔した。
予約の時間より遅れて11時半ごろにオルセー美術館に着き、なかのカフェでお昼ごはんにしようかと思ったが混みすぎてて諦めた。火曜日は閉まっている美術館が多いせいでオルセーはとても混むと聞いてはいたが、実際トイレすら15分以上待つような有様で、あまりじっくり居られるような感じではなかった。Kはあまり近代絵画は好きではないらしく、わたしが好きな彫刻も全然興味がないようなので、たぶんオルセーにそれほど見たいものがあったわけではないのだろう、さくさく見て回った。
結局お昼は諦めてオルセーを出て、次なる目的地のクリュニー美術館(国立中世美術館)の裏のレストランでお昼ごはんを食べた。このあたりは火曜日定休のお店や、お昼休みがあるお店が多く、16時ごろになっていたので食べられそうなところを探すのにちょっと苦労した。あとやたらチーズフォンデュのお店が多かったのにはなにか理由があるのだろうか。お昼ごはんは鴨のマグレをふたりでシェア。店員さんが口頭で説明する本日のメニューを、一回で聴き取って理解できるようになっている自分にちょっと感動した。
クリュニー美術館には、Kがどうしても見たかったという「貴婦人と一角獣」のタペストリーがある。このタペストリーは教科書に載っているので知っているひとも多いと思うが、Kが愛してやまないアニメ「ガンダムユニコーン」に登場するらしい。Kがめちゃくちゃ解説してくれたので、あとでちらっと展示室の解説を見たら、Kが話してくれた以上のことは書いていないくらいだった。ミュージアムショップのグッズの充実ぶりが他の美術館と比べて群を抜いて良くて、Kは何を買うべきかめちゃくちゃに悩んでいた。わたしもタペストリーを作る感じで栞を作れるキットを買った。我ながらいい買い物だったと思う。
そのあとオペラ地区に移動して、ユニクロに行ったが、わたしが買いたかったコントワールデコトニエのコラボブラウスはもう売り切れていた。ついでに大きなSEPHORA(日本でいう@コスメみたいなところ)があったので、おみゆさんにおすすめされたNARSのプレストパウダーを購入した。ここのところ何年かはパウダーはずっとキャンメイクにお世話になっていたので、いきなりのデパコスにちょっとそわそわする。
たくさん歩き回って疲れ果てたので、一回ホテルに荷物を置きがてら休憩しに戻り、夜ごはんは昨日のシードルバーの近くのカフェに行った。ほんとうは昨夜行こうとしたところだ。そこがほんとうに雰囲気が良く、お店のひともお客さんもみんな感じがよく、そしてもちろん食事もとんでもなくおいしかった。間違いなくパリで行った中で一番いいお店だと思う。
夕飯を食べながら色々と大事な話や大事じゃない話をした。わたしが海外生活でそれなりに苦労していることをとても心配してくれているKは、「辛かったらいつでも帰ってきていいんだよ。旅費は出してあげられるから心配しなくていいんだよ。紫乃もTちゃんも同じ気持ちだよ」と言ってくれて、わたしは思わず泣いてしまった。そんなふうに自分を思ってくれている友達がいるというのは、ほんとうにありがたいことだと思う。人生の半分以上を一緒に過ごしてきて、いまでもこんなに無償の愛とやさしさをくれるなんて、友達というよりもはや家族だよね、という話をした。わたしだって、Kのために通訳したり何度も電話したりしたけれど、それを迷惑だと思ったり嫌だと思ったりは全くしないのは、家族なら当然だと思うからだろう。
10/4(水)
この日も朝9時起床。わたしの希望で、朝ご飯はオペラ地区にある日本のパン屋さんAKIに行った。ここの桜餅あんぱんは本当においしい。日本みたいな食パンはこっちのパン屋さんでは買えないので、食パンをできるだけたくさん買ってきてほしいという夫の要望で、6枚切りの食パンを3袋買った。けっこうな重さになった。
そのあとルーブル美術館へ。ルーブルはいまはたしか時間指定のチケットを買わないと入れないはずなので、昔ほどの混雑はないはずだが、それでも入場とオーディオガイドの列に合わせて1時間くらいは並んだだろうか。オーディオガイドは3DSを使っているのだが、これの地図機能がなかったらわたしたちはたぶん多いに道に迷っていただろう。いや、これがあっても十分道に迷っていたのだが。昔ルーブル美術館に来た時には、時間がなくてほとんど絵画しか見なかったが、意外にもエジプトや古代オリエントの遺跡がとても多くてびっくりした。広すぎて一個いっこちゃんと見ていたら時間がいくらあっても足りないだろう。今回は海外に出ている作品が多くて(ちょっと前まで日本でもルーブル美術館展をやっていたし)、入れない部屋もたぶん全体の1/4くらいはあったと思うが、それでも一通り軽く見て回るのに5時間もかかった。ミュージアムショップはやはりクリュニーほどの面白さはなかったが、バーバパパとのコラボグッズがけっこう可愛かった。
そのあとKの希望でLongchampに行くために、シャンゼリゼへ。Kはたっぷり悩んだ末にお母さんへのお土産を買い、そのあと凱旋門を見に行った。凱旋門の前でわたしのポラロイドカメラで撮ったKの写真がとても良くて、あげたらお父さんへのお土産にすると言って喜んでくれた。それからKが乗馬屋さんに教えてもらった乗馬道具のお店に行き、ウェアを買おうと試着してみたが、どうにもサイズ感が合わず断念した。
ホテル近くに戻ってきたのは19時過ぎだった。通り道のスーパーで水やあしたの朝食を買おうと立ち寄ったが、結局これから夜ごはんを食べに行くには疲れすぎているということで意見が一致して、スーパーで出来合いのものを買ってホテルで食べることにした。今回の宿はアパートホテルだったので、こういうときに食器の心配をしなくてよいのはとてもありがたかった。ハムやらサラダやらお酒やらを購入して、ほくほく顔でスーパーを後にした。昨年夫と新婚旅行で京都に行ったときも、宿に小さなキッチンがあったので、うち一晩はお惣菜を買い込んで晩酌にしたものだった。こういう楽しみ方を覚えてきたことに、ちょっと歳を取ったんだなという感慨がある。
お風呂に入ってから晩酌にして、結局0時近くまで話し込んでいたような気がする。10代を一緒に過ごした友達というのは、いくつになっても話が尽きないものだ。こういうときわたしはいつも『違国日記』を思い出す。きっと多くの人にとってそうであるように、わたしにとっても、自分のことを十いくつのころから知っているひとがいることは、すごく必要なんだなと実感するからだ。
10/5(木)
6時起床。眠いねむいと思いながら支度をし、Kをオペラ座横の空港バスのバス停まで送っていく。最後のメトロの中では、さすがにふたりともちょっと口数が少なくて、なんだかしんみりしたまま別れるのはさみしいなと思っていたけれど、たぶん眠かったのが大きくて、バス停に着くころにはいつも通りになっていた。バスはやっぱり遅れてきて、Kが乗り込んだのを見てもすぐに離れる気にはなれず、無事発車するまで見守っていた。
それからホテルに戻り、あまりにも眠かったのでちょっと仮眠した。こんなにも眠い状態でひとりでスーツケースを持ってメトロを乗り継ぎするなんて怖すぎる。ばたばたと荷造りを済ませて、チェックアウトを済ませ、ホテルを出たのは9時15分ごろだった。少しは余裕を見ていたが、TGV(フランスの高速鉄道)は発車5分前には扉が閉まるので、念のため急ぎ気味で駅に向かった。しかしTGVもやっぱり15分以上遅れているのだった。この国の交通機関は時間通りに来るということを知らないらしい。
TGVに乗ってからは、耳にノイキャンイヤホンを装着してあんスタの曲を流していたら、気がつかないうちに爆睡していた。目が覚めたのは到着する10分前だったので驚いた。気の早いフランス人たちが下りる支度を始めたざわめきで目が覚めたらしい。無事にストラスブールまで戻ってこられてほっとひと安心だった。
夫は体調がすぐれないので迎えに来られないとのことだったが、果たして家に帰るとパジャマに長袖のパーカーを着て、いかにも具合が悪そうだった。なんとわたしが家を空けているわずか3日間で、どこかから風邪をもらってきてしまったらしい。帰宅したばかりで興奮が冷めやらないわたしは、そんな夫にずっと旅の思い出を話して聞かせていたが、お昼ごはんを食べたらさすがに疲れが出たのか、すとんと眠ってしまった。夜もいつもよりずっとすんなり眠れた。4日間で47キロも歩いていたので、それはさすがに疲れても当然だろう。
10/6(金)
朝から用事があり夫と出掛けた。といっても家から30分もかからない近場だったが。せっかくの機会なので、NARSのパウダーを使ってみたが、思っていた以上のきれいな仕上がりにテンションが上がった。用事を済ませた後、居合わせた夫の知人とカフェでお茶をした。ショッピングセンターに併設のホテルのラウンジを兼ねたカフェだったが、こういう落ち着いていてちゃんとしたお茶が飲め、気軽には入れる感じのカフェを見つけるのは意外と難しいので、今後も何かの機会に利用しようと思った。
帰宅したあと、やはり昨日までの疲れが出て化粧も落とさずに昼寝をしてしまって、午後中ずっと眠ってしまった。
夕方、夫とちょっとしたことから口論になり、ふたりの間でずっと前からわだかまっていたことについて話しだしたら止まらなくなってしまった。いったん落ち着いたと思ったものの、夜布団に入ってからふたたびそのことについて話し出したら、ふたりして身も世もないくらいに号泣してしまった。こんなに泣いたのはいつぶりか分からない。1年分くらい泣いたかもしれない。夫婦でいること、夫婦で居続けることは、結婚する前にわたしが思っていたよりもずっと難しいらしい。でもこうやって声も涙も枯れるまで、心の底から思っていることを話し合える関係でいられるうちは、きっと大丈夫だろうと思えた。
10/7(土)
夫の風邪をものの見事にもらってしまったらしく、朝から鼻水が止まらない。結婚して以来ずっとそうだけど、夫のほうが免疫も弱いしひとに会う機会が多いせいか、だいたい夫が風邪をもらってきて、それをわたしがもらうというパターンが定着してしまった。家庭内感染というのは、寝室が一緒だと避けるのは至難の業だ。それでもわたしは基本的には免疫も自己治癒力も高いので、夫が治るよりさきに治ってしまうからおもしろい。
とはいえおもしろがっている場合ではなく、おそらく昨日あまりにも泣いたことと、旅行中はしゃぎすぎた反動が来たらしく、わたしは一日ベッドにいることになった。ほんとうにいくらでも眠れるのだから、よほど疲れていたのだろうし、あらためて躁状態のあとには絶対に鬱がやってくるのだということを実感せざるを得なかった。
10/8(日)
きょうも一日ベッドにいた。具合は昨日より悪くて、ほとんどの時間は眠っていたが、眠るのに疲れても、頭が全然働かなくてなにもできないので、ベッドの中でYouTubeを見ていた。あんスタのMVを見たり、BTSを見たり、いつもお世話になっている美容系YouTuberの鹿の間ちゃんを見たりして時間をつぶす。このまま一生こうやって、眠るか無為に時間を過ごすかしかできなかったらどうしようと焦りがむくむくと湧き上がってどんどん大きくなる。旅行前に自分からお願いして新しく依頼してもらった仕事も、内容すら確認できないまま放置されている。このままでわたしの人生はいいのだろうか。ここのところずっとそのことを考えているけれど、答えは出ない。とにもかくにも風邪を治して、ゆっくり休んで鬱がましになるのを待つしかないとは分かっていても、焦る気持ちは治まらない。
過去の日記はこちらから。
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