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坂のある町

私は坂のある町が好きだ。
小さい頃住んでいた町がたまたま坂の多い街で、そこに懐かしさを感じてか、自分が一人暮らしをする時、坂の上から見た風景が綺麗なのと、猫がたくさん住んでいるからという理由でこの町に住むことに決めた。

実際に住んでみると上るのが大変だったり、雪道だとツルツル滑って地獄を味わったりと不便なことも多いのだが、帰り際の坂の上から見える綺麗な夕焼け空を見ているとすべてがチャラになったように感じる。
冬は真っ暗で月も星も綺麗に見えるし、そうした四季折々の町の美しさを感じられるので、気づいたらこの町に住んで10年も経ってしまった。

この美しい景色に見惚れいるのはひょっとしたら私だけかもなんて密かに思っていたら、先日の帰り道、近くの保育園の目の前でとある親子を見かけた。
その保育園はちょうどお気に入りの坂の傾斜地に立っていて、目の前の道路からはまさしくいつもの美しい光景が見られるのであるが、立ち止まったお母さんが夕焼け空に向かってスマホを掲げ、グラデーションの中に白く映える月を中心に写真を撮っていたのだ。
そうか、あなたもこの風景の魔力に捕まってしまったんだな。
そうほっこり思いながら、私は夕焼け空のもと坂道を下り、家に向かってのんびりと歩いて帰っていった。

そして次の日、なんと、また例のスマホを掲げる彼女をあの場所で見かけたのである。
今度は子供はおらず一人きり。おそらくお迎えに向かう直前だったのであろう。
そこでふと、もしかしたらこのお母さんにとってこの場所は、多忙な一日の中で安らげる貴重な場所なのかもしれないと思い始めた。
さっきまでお仕事をしていて急いで子供を迎えに行って、これから帰ればご飯にお風呂に片づけにと山盛りの家事が待っている。
そんな仕事モードからお母さんに変わる一瞬のひと時。この時間が、自分の為に一息つける大事な時間なのかもしれないと、誠に勝手ながら想像してしまった。
スマホで切り取った景色を胸に、今夜も寝るまで忙しいのだろう。お疲れ様でございます。

その日は前日と違いちょっと曇ってかすんだ空。それはそれで包み込むようなやさしさを感じる味わい深い空である。

遠くに見える観音様が、今日も忙しい私たちをお疲れ様と労ってくれているようで、また明日からの頑張ろうと坂の上から一歩を踏み出したのであった。

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