交縁少女AYA 第25話
キーンコーンカーンコーン…――
チャイムが鳴り、一日の授業が終わった。
脱兎のごとく、北澤高校の女生徒たちがビルのエレベーターに殺到する。
部活動をする一握りの生徒を除いて、皆が帰宅してしまうのだ。
――いや…、何処にも寄らずに自宅に帰る生徒は、皆無なのだが…
高校が入る高層ビルの外に出た綾と愛莉は、外の真冬の寒さに、思わず身震いしている。
「――そういゃあサァ…」
綾から話し掛けられた愛莉が、ん?という具合に視線を向ける。
「陽太のコトは、どうなったン?」
遂に来たかと、愛莉が口をへの字に曲げている。
「――あれ?…地雷踏ンだ?」
「べ――、別にヘーキだけどサ…」
通行人が行き交う下北沢南口商店街を、綾と愛莉は駅に向かって歩いている…
******************
1月の3連休の前日、愛莉のスマホに陽太の弁護士から電話があった。
案の定、皇龍一家は逮捕拘留されている陽太に、全く接触して来ていない。
ひどく落ち込んでいる陽太を、五十嵐の意を受けた弁護士が、懸命に説き伏せた。
結果、陽太はヤクザを辞める決意を、固めつつあるとのこと。
そこで3連休明けの昨日、愛莉は朝イチで新宿中央署へ陽太との面会に出向いた。
陽太の弁護士から頼み込まれ、嫌々ながら応じたのだが…
愛莉の面会で、辞める決意を強固なものにさせるのが目的だ。
五十嵐が同伴を申し出たが、愛莉は固辞して独りで行ったのだ。
15分の面会時間のうち、初めの5分間は互いに一言も発せないでいた。
そのうちに俯いている陽太が、ヒックヒックと嗚咽を始めてしまう。
顔をしかめている愛莉のイライラは、高まる一方…
たまらず、大声で怒鳴る愛莉。
「――…ウジウジしてネェで、ハッキリせぇや!」
怒鳴られた陽太が、ゆっくりと顔を上げる。
透明の強化アクリル仕切り板越しに、泣きはらして充血した眼を大きく開けて、愛莉を見ている陽太。
「…どうすンだよ、オメェ?」
「――や、やめ…」
か細い声で、呟く陽太。
「はあぁ?」
容赦なく、愛莉が責め立てる。
「――やめ…、辞める…」
「ナニを辞めンだよッ?!」
「――ヤクザを辞めるってンだよッ!このクソアマぁッ!!」
狭く閉ざされた面会室の空気が、凍りついたかのように静寂になる。
驚愕の表情でいる立ち合い警官の脇で、静かに睨み合っている愛莉と陽太…
――プッ…
思わず愛莉の口元が、緩んでしまう。
それを見た陽太の表情が、次第に柔和なものへと変わっていく。
「――待ってンから…」
「――…え?」
愛莉の呟きに、ポカンと呆けた反応をしている陽太である…
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「――…いやぁ~、アイだネェ~」
腕組みをして眼を閉じる綾が、からかうようにウンウン頷いている。
「ばぁか、そんなンじゃネェっての…」
口をへの字にしてイラつく愛莉の頬が、ほのかに紅潮している。
「じゃあ、ヤクザを辞めるから陽太、釈放されンだ?」
「…罰金を払えばネ」
「じゃあ、罰金払ってあげンだ?」
「ばぁか!そンなコトしねえっての」
「――陽太…、罰金を払えるだけのカネ、持ってンだっけ?」
怪訝そうに、綾が訊いている。
「持ってるワケねぇジャン」
「はぁ?じゃあ、どうすンのサ?」
「カネが無ぇヤツは、罰金の代わりに労役ってヤツをすンだって」
「へえ…、そンなのがあンだ」
「罰金の分だけ働けば、釈放されるンだってサ」
「ドコで、労役すンのサ?」
「知らネェよ、ソコまで」
愛莉がイラつき始めたので、綾は追究の矛を収めることにした…
愛莉と別れた綾は、自宅とは逆方向、新宿行きの電車に乗る。
行先は、五十嵐のアパートだ。
授業が無い日は、五十嵐の部屋に入りびたりなのだが――
≪高校行かねぇんなら、追い出すからな!≫
五十嵐に怒られ、愛莉に会いがてら仕方なく、授業がある日は通っているというわけだ。
電車の扉の脇に立ってボーッとしながら、綾は考えを巡らせている。
愛莉は、陽太が釈放されたら、付き合うかどうか明言しなかったが、
――その気がネェのに、学校に遅刻してまで、面会に行くワケが…
母親の再婚相手の義父とも、いい関係を築きつつあると聞いた。
愛莉は確実に、交縁少女から脱ける道を歩みつつあるようだ。
対する綾はといえば、五十嵐の気を引ける可能性は、残念ながら極めて低い。
かといって今更、あんな母親がいる家に帰る気には、到底なれない。
広島の父親の所にでも…――
それでは高校を卒業する前に、愛莉と離れてしまう。
それはイヤだ。
――五十嵐サン以外の、新しい彼氏…
――いやぁ…、今はそンな気にはナァ…
とはいえ綾は、五十嵐の意に反して、アパートにすっかり居ついてしまっている。
布団一式を持ち込んでしまう厚かましさに、五十嵐も半ば諦めモードだ。
全然エッチをしてくれる気配はないが、それでも構わない。
洗濯に掃除、買い物に料理と、五十嵐が帰宅するまでには手際よく済ませている。
すっかり主婦になりきっている綾には、愛莉も脱帽してしまっている。
料理は引きこもっていた時期に、ネットで調べて自己流で覚えた。
五十嵐だって綾の料理の味には、まんざらでもなさそうだ。
だから今の綾は、毎日をソコソコ楽しめている。
こんなのは、初めてかも…――
いや…、駆琉と一緒に居た時は、今以上に楽しかったはずだ。
自問している綾の頭で、駆琉との日々が走馬燈のように流れていると――
ふいに、身の毛もよだつ卑猥な中年男の顔が、どアップで現れる。
――そうだ…
――これは、立ちんぼをしていた時の…
次々と卑猥な笑いをする男たちの顔が、どアップで現れては消えることが、綾の思考の中で繰り返されている。
思わず、身震いをしてしまっている綾。
――なんて気持ち悪ィこと、してたンだろ…
******************
綾は五十嵐のアパート最寄りのスーパーで、例のごとく夕食の買い出しを済ませた。
左手にレジ袋を提げ、右手のスマホで今宵のレシピを検索しながら歩く綾。
文化センター通りを渡って、区立東大久保公園につながる小路に入る。
元は都電の車庫だった所だが、公園に転用されたとのこと。
小さな公園だが、子供向け遊具が置いてあり、背の高い樹木も何本か植えられている。
今は冬枯れの時期だが、夏になればソコソコ緑が生い茂る。
高層住宅が立ち並ぶ狭間の、癒しの空間がここにはある。
大寒の時期の、凍えるような寒風に縮こまって歩く綾。
高校の制服のミニスカートが風でまくられないよう、後ろにも気を配らないといけない。
「――…ちょっと」
ふいに誰かが呼び止めるので、綾が立ち止まって振り向く。
ウルフショートの前髪が、風になびいて時折視界を遮る中で、綾の眼に映ったのは…
ボブショートの黒髪で、黒のピーコートにチェック柄の襟巻をした18歳ぐらいの女子が、こちらを睨んで立っている姿。
「――あンた…」
風上に立つ女子の髪が、顔の前になびいている。
「五十嵐サンの何なの?」
砂埃で細める綾の眼には、明らかに怒っている女子の顔が映っている。
「――…ハアぁ?」
負けじと綾が、身体の向きを変えて女子を睨み返す。
「なンなのサ?出し抜けに――」
「あンた、これから五十嵐サンのアパートに行くんでしょ?」
「だから、なンなの?」
「あンた、いくつなの?」
「なンなんだよ、おメェは?」
顎を引いた綾が、激しくガンを飛ばしている。
綾と女子が睨み合って立つ間を、砂埃を上げて冷たい風が吹き抜けていった…
******************
所変わって、五十嵐が住むアパートの部屋では――
「――そうか…」
東大久保公園で歩いている時に、声を掛けられた女子のことを綾から聞いた五十嵐が、深刻そうな顔をして考え込んでいる。
「家政婦ですって言って、あしらったけどサァ…」
「――ハァ?…お前が家政婦ぅ?」
「なっ?!――ナニよ、ソレぇ!」
驚愕の表情をした五十嵐を、綾が思いっきりひっぱたいている。
「だ――、だってよ、そんな若ぇ家政婦、フツーいねぇだろ?」
「いいジャン、別にィ!」
打って変わってケラケラ笑う五十嵐と、ふくれっ面をしている綾。
「だって実際、そうジャン!」
「俺は、頼んだつもりねぇけどな」
「もぉぉ~!茶化してネェで、ちゃんと説明してっ!」
「わかった、わかった…――」
ちゃぶ台に片肘をついて胡坐で座る五十嵐が、右左と肘を入れ替えながら、宙を見て考え込んでいる…
「――その娘ってさ…」
暫く考え込んだあとで、五十嵐が呟き始めた。
「ボブショートの髪形…、してなかったか?」
「してた」
「…3年ぐらい前に、なり行きで16歳の娘と――」
眉間にシワを寄せた真剣な表情で、綾から視線を逸らせて話している五十嵐。
「ヤッちゃった事があったって、話したろ?」
「――まさか…」
「多分、その娘だ」
ちゃぶ台の前に女の子座りで座る綾が、表情を曇らせている。
「今は、仙台の里親に引き取られて、暮らしているはずなんだが…」「え?」
「以前マザーポートで、彼女の里親を紹介してあげたんだ」
「それが、なンで…」
「たまたま上京して来たにしては、おまえの事を知ってるとは…」
「――どうして…、マザーポートで?」
「彼女も、トー横キッズだったんだ」
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