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国語表現の授業〜提出物より④ 最終回〜

作文 鞄の中には、個性と荷物

 私の部屋には、さまざまな種類の鞄がいくつもある。中には一年以上も使った覚えのないものも、少なくない。
 鞄は、荷物を入れて、持ち運びがしやすいようにするものである。学校に持って行く時の中身は、教科書やノート、お弁当にタオルなど、その日の授業によってまちまちである。それに、ブラシや鏡、リップやハンドクリームなど、ちょっとした身の回りのものも、毎日のように入っている。
 鞄は単に、荷物を入れるだけではなくファッションの一つでもある。その日の服装に合わせて、大きさ、色、形の違うものを持つ。また、帰りに荷物が増えそうな時には、始めから大きいものを持ったりする。
 今、学校で指定された鞄がなかったり、指定されたものがあっても、厳しく指導されない学校の生徒達は、色とりどりで形も皆違うものを持って、学校に登校する。中には、教科書が絶対に入らないだろうと思われるほど、かわいらしく小さな鞄で来る人もいたりする。その日は授業がないわけではないだろう。持ち帰り、再び持ってくるべき教科書等は、皆机の中だから、大きい鞄は不必要になってしまうのだ。だからといって、小さな鞄では教科書を持ってこなくなる。だったら、指定の鞄を作って全員に持たせようなどと、単純に考えてはいけない。
 授業はたいてい、曜日ごとに違う。また、月曜日は六時間で土曜日は三時間と、時間の長さも違うのだ。授業も時間も違えば、絶対に量も大きさも違ってくる。それを一つの鞄ですませてしまえよというのは、あまりにも身勝手で、無神経だ。
 全校の生徒が同じ趣味ということは、まず考えられない。形や色が、ある人では良くても、ある人では大嫌いだということもある。私達学生だって、毎日学校に来るのだから、自分の気に入った鞄を持って登校したい。ファッションとまではいかなくても、流行はずれではないものを持ちたい。人から強制的に持たされるのは、論外だ。
 大人の多くの人が、「学生は学生らしく」というが、昔の学生のように学生カバンか肩かけカバンで登校するのは、今の学生達には合わないのである。勉強道具を持ってくるのは、今も昔も変わりないが、持つべきものを、いかに楽しくかわいく持ってくるかが、今の学生らしさを表現していると思う。
 使う人の趣味と、何に必要なのかが上手に組み合ってこそ、鞄の役割がはたせると思う。学校にも、中身だけを考えて鞄を持ってくるようなことは、私はこれからも決してしないだろう。鞄には、荷物を運ぶのと、その人の個性を表現する一部分であるという二面性を持っているのだから。

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評価 A   good

ーコレは、今から30年以上前に書いた文章です。
いやぁ〜トゲトゲしい文ですね!怪我しそうです。
自分で自分を傷つけてしまいそうな、強い文章です。時期的には受験の少し前くらいだったと思います。ストレスもあったのでしょう。イライラも鬱憤も、ぶつけてしまえぇ〜!と言う感じですね。

確か『鞄』というお題だけが決まっていて、そこから自分で膨らませて論ぜよということだったと記憶しています。
原稿用紙は400字詰めを2枚以上と決まっていました。長く書く練習の為だったのでしょう。
どうしても短く終わってしまって、悩んでいる人も沢山いました。私はどちらかというと、書き出すとなにを書いているのかわからなくなって、長すぎてまとまらないという症状に悩んでいました。
あ、もう1,500字近いですね、はい、もう終わります。

国語表現の作文の掲載はこれで終了です。
お読みいただきまして 
ありがとうございました。


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